映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

カービー・ディック/エイミー・ジーリング監督「ウディ・アレンvsミア・ファロー」3005本目(KINENOTE未掲載)

U-NEXTにHBOの番組が入るということで、ドラマ見ないんで関係ないかなと思ってたけど、これは気になるので見てしまいました。2回シリーズのドキュメンタリー。ミア・ファローや彼女の長年の友人たち、養子たち、実際に被害を受けていた子を含めてさまざまな人たちの生々しい証言から、白黒が浮かび上がってきてしまいます。ウディ・アレンの映画は面白いんだ。でもこれを見ると彼は黒だといわざるをえない気がする。彼の作品の主人公はすべて、自分のおかしな妄想に突き動かされていて周囲が見えない。自分以外の誰の気持ちも考えることができない。彼自身が幼い少女たちに対してそうだったんだな、ということをなぞっているような映像でした。

それにしても、アメリカの少女たちのどれくらいが大人の男たちにおかされてきたんだろう。この映画に出てくるだけでも、ウディ・アレン以外の男性から被害を受けた人もいる。ほかの大人におかされたトラウマを持ちながら、未成年のときにウディ・アレンと付き合ってしまった女性もいる。のちに結婚したスン・イーもそうだ。怖いなぁ。。。なんか平安時代の少女婚みたい。よくわからないまま嫁がされること自体の是非をいうのは簡単じゃないと思うけど、「その後その男に一生愛されて幸せに暮らしました」が良いわけでもなく、だからといって女性の性の主体性だけにこだわりたくもないんだけど、なんかすっきりしない問題がある。

ここまでくると、多分ちょっと病気であるウディ・アレンという人が、じゃあ映画なんか作らないほうがいいのか、それとも彼にはその才能しかない、その才能に関しては秀でているのでやっぱり作ってもらったほうがいいんじゃないか、という点でも、もやもやしてくる。

人間って、社会って、ほんとうに複雑。簡単に割り切れる問題なんて実社会には存在しないんだ、ということを実感するばかりです。