映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

シェーン・メドウズ 監督「ザ・ストーン・ローゼズ メイド・オブ・ストーン」3013本目

こりゃ参ったな。

バンドの解散後やアーティストの死後にファンになって、「彼らが活動してた時代に生まれたかった」って思ったことが何度もある。ストーン・ローゼズは、私が音楽をまだ聴いてた頃、ロッキン・オンをたまに読んでた最後の時代のアーティストであるだけじゃなくて、私がロンドンに滞在してたときにシングルカセットを買って聴いたのに見逃してた。というか良さがわからなかった、あんなにロッキン・オンで騒いでたのに。

いっそのこと、一生「私にはもうロックはわからなくなったんだな」で済んでればよかったのに、今初めて「こいつらすごい」って驚いてるのが悔しい。

1992年にロンドンのピカデリーサーカスのHMVかどこかで買った彼らのシングルカセット(まだその頃はそんなのを売ってた)は「アイ・アム・ザ・レザレクション」。たしかB面はインスト。おそろしくシンプルで、やたらビートが強いのにメロディはCMソングかJ-POPみたいにキャッチ―、愛想のないボーカルが「君が俺の気分を沈ませる」とか、ひどい歌詞を歌う。戸惑っただけだったのは、雑誌に「ビッグマウス」とか書かれてるのを先に読んでたからかな。あるいは当時私がロンドンで発見して喜んでたのは、ブラン・ニュー・ヘヴィーズとかビューティフル・サウスとか、メロディの美しいグループだったからか。時代的には、マンチェスター系の華々しい台頭の少し後、ロンドンのレコードショップの店頭ではもう彼らは目立たなかった。80年代にでたファーストアルバムからのシングルは50ペンスとかで売られてた。

私の周りの人は誰もロックなんて聞いてなかった。あの会社の人たちは、会長の名前に「Sir」がつくくらいで、中~上流階級だったんだろうな。派手なブランドものばっかり着てたし、会社には役員のための豪華食堂が、一般向けの社員食堂とは別にあった。(役員食堂に招待されたとき初めてザクロを食べて、種を出していいかどうかすごく困ったんだった)私が同僚に「ブリクストンにあるミーン・フィドラーってライブハウスにウィルコ・ジョンソン・バンドを見に行った」って言ったら「…私たちはそういうの聞かないのよ」って言われたな。。。。(自分からライブハウスの話とか、今ならしないだろうな)

映画を見ながら、唯一よく知ってる(持ってるから)「レザレクション」を演奏するまで、それでも「ふーん」って聞いてたのに、この曲になったとたん「あれ…?」英語できるみたいなことを普段言ってるくせに歌詞がさっぱり聞き取れない私は、映像で字幕を見ながら曲を聴けるのはありがたい。歌詞は大切だ、歌う気持ちを知って聴くのと知らないで聴くのでは共感度が違う。

どういうことかというと、彼らの曲は、メロディだけならそれこそシリアルのCMに使えるくらいキャッチ―なのもあるけど、詞が怒っている。それが当時のマンチェスターの若者たちの真実なんだな。ロンドンの大企業に会社の金で行ってた私が知り合うことのなかった、ローカルの人たち。

ボーカルのイアン・ブラウンってめちゃくちゃ大口たたく人としか知らなかったけど、ふわっと喋るしステージでの動きはくねくねしてて、なんか家で音楽に合わせて鼻歌歌いながら遊んでるみたいだ。つかみどころがない…。
やたら饒舌になっているのは、自分はバカだったなーと気づいて動揺してるからだ。自分がバカだったと知ることは、ひとつ階段を上る気持ちよさがある。いくつになっても。

今から(行けないけど)マンチェスターに行って、当時を知らないオバサンとして滞在してみたところで、このモブの中に入り込んでなにか共有できるわけじゃない。同時代性って大事だなぁ、モブ一人一人はまるで接点がないって知ってるけど。

今も名盤と名高い彼らのCDを入手して、しばらく聴きふけりながら、行ったこともないマンチェスターに思いをはせよう。