映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ライアン・ホワイト監督「愛しのフリーダ」3028本目

 いきなり結論をいうと、彼女が私にとってのミッシング・リンクだったんだな。英国的カルチャーとビートルズの間が、途切れてたのだ。

ロンドンの語学学校にちょっとだけ通ってた頃、ロンドン大学の学食でナイジェリアからの留学生の男の子がまだ英語がよく聞き取れない私に「Would you pass me the salt, please?」。何度も何度も聞き返したら最後に「Salt.  Please.」。アメリカ人でも日本人でも「塩いい?」で済むところを「塩を取っていただけますか?」っていうのが英国文化だ。(彼はSolicitorじゃなくてBarristerになったからバカげたカツラを被って法廷に立ってたんだよな、今思うと)

私が働いてたオフィスには「Tea Lady」という素敵な白髪の女性が10時と3時にやってきて、全員の好みを覚えていて「ケイコはwhite coffee with sugarだったわよね」とか言って飲み物を出してくれてた。私はいろんなものを飲んでみたいもんだから、しょっちゅう注文を変えて彼女を戸惑わせてた。

…そういうことなんですよ、英国文化って。そういうのと、地下のクラブで革ジャンを着てロックンロールを始めたビートルズが、今までつながらなかったんです。それを、きわめて礼儀正しくて優しいフリーダがやっと埋めてくれました。

私がロンドンで会った秘書の女の子たちは、あの頃でも短大出くらいの若さで(フリーダは16歳で就職したのかな、なんて若い!)、すごくいい学校を出たわけじゃないけど、真面目で優しくてかしこくて、アジア人の私にも優しかった。彼女たちのおかげでたくさんの会社がちゃんと回ってた。彼女たちはみんなフリーダだった。彼女たちが足を踏ん張って仕事やメンバーを守った。

(その中の何人かは”お局”になった、多分)フリーダも長く秘書をやってたから、お局だったんだろうな。

そういう人の視点だから、ちゃんとつながってる。人間は一夜で変わらない。みんな英国的な親のもとに生まれて育ってビートルになったのだ。ファンレターに丁寧な返事を書く秘書が彼らを英国的に守ってきたのだ。

そういえばロンドンにいたときに、マーク・ボランのファンクラブに手紙を出したことがあったな、お墓参りに行きたくて。そしたら丸文字のお返事が来た。「Marc is now at ...」って場所を教えてくれてファンクラブの入会申込書が入ってた。あの時代にはまだ、手書きのファンレターって文化があったんだよな。

なんかいい映画だった。

愛しのフリーダ(字幕版)

愛しのフリーダ(字幕版)

  • フリーダ・ケリー
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