以前の勤め先に外語大のポーランド語学科を出た同僚がいて、なぜポーランド語を専攻したんだろう、まだ17-8の子どもの時点で、と思ったことがある。すでに「惑星ソラリス」やキェシロフスキ監督の映画に出会って、人生変えられたのかな。…と思うくらい(つまり人生を変えるかもしれないくらい)この人の映画は深いんだよなぁ。
さてこの作品も、「愛」といってもラブラブハッピーなわけはなくて、「赤の愛」を思わせるストーカーの話だった。すんごく粘着質なので、キェシロフスキ監督は。どこか冷めてて第三者的視点があるのに膠着する。
この作品ではストーキングされる女性が彼を受け入れてみようと思う。実験みたいに、もて遊ぶみたいに。昔は”大好きな彼をまちぶせ”とかが純愛のひとつのパターンだったのが、今は「キモい!」の一言で切り捨てられるようになった。愛ってどこまでが愛なんだろう…。
そして”選手交代”が起こる。自殺未遂に及んだ彼のことが気になってたまらなくなり、双眼鏡を覗き、彼のことを聞いて回り、やっと部屋に戻った彼を見舞い、彼の望遠鏡で自分の部屋を覗いてみる。彼女が自室に彼が訪れる想像をするとき、彼の気持ちに共感している。…これを現実として描かないところがまた、深いというか監督らしいというか。死刑は実行され、結ばれる場面は空想として描かれるという悲観的世界観。
そもそも、友人は出征中で、友人が覗いていたのを引き継いで自分も彼女の部屋を覗くようになったという迂遠さ。すべてを知りたいと熱く思うことは愛なのだろうけど、同じ思いをしなければ理解はされない。
でも彼女がとっかえひっかえ男を連れ込んでいたことは「愛」ではない。彼女はストーカーされ、自殺未遂をされたことで愛を知ったともいえる。
迂遠なんだけど、考えて考えて考え抜く男なんだキェシロフスキ監督は。
ということで、この作品もとてもみごたえがあって面白かったです。