多分、原作読んだことあると思う、大昔に。
江口寿史の「赤いワニの行進」みたいな(古すぎてわかる人あまりいないか)、多数の連載に追われた才能ある漫画家の苦悩が、こういうはじけた作品として昇華されるんだろうか?
苦悩する作家が稲垣吾郎、ばるぼらに二階堂ふみ、撮影がクリストファー・ドイル、音楽は橋本一子…この上なくぴったりなしつらえだけど、なんとなく乗れない。稲垣吾郎が受け身な感じだからか、ちっともいやらしくない映画になってる。それとも、妖精たちがふわふわと交わるような映画が撮りたかったのかな。「ホドロフスキーのDUNE」みたいに、アイデアは完璧だったのに作ってみたら違った、とか(違うあのDUNEは作られてない)。
何か見落としたかなと思ってもう一度見てみるけど、同じだ。音楽が高尚すぎるんだろうか。
いずれにしても、ばるぼらというのは、新宿駅西口地下あたりで売ってる極めて効力の強い合成麻薬の名前ということでいいんでしょうか。(それも違う可能性が高い)
息子があえて今この作品を自分の演出で世に問いたいと思った、その父と息子の間にどんな感情や意識があったのかな。