映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

土井裕泰 監督「花束みたいな恋をした」3293本目

タイトルにドン引きしてたんだけど、友達に激しく勧められて、やっと見た。思ってたのと全然違う、めちゃくちゃ”こじらせた”、めんどくさい(私みたいな)男女の恋のおはなしだった。ここまで似たものどうしでも、うまくいかなくなるのだ。この映画では、まだ二人は別れたばかりで、それぞれ新しい彼氏彼女はいるけど、まだ一人暮らしをしてる。なんでもっと年を経た設定にしなかったのかな。その方が若い人にも若くない人にも、自分のこととしてとらえやすいから?

頭のどこかに(まだ若いんだから再会からまた愛をはぐくんで、めでたしめでたしになってほしい)と思ってる一般的視聴者の自分と、人生は映画じゃねえんだよと毒づく”いっぱしの映画評論家かなにか気取りの自分”がいる。もっというと”人生は別れの連続。添い遂げたとしてもいつかはすべての者たちと別れがくるのよ”などと達観した振りをしたがる偉そうな自分もいる。

ものすごく普遍的なお話なので、見た人の8割以上、自分のことだと思ったろう。でも、こんなに傷つけずにきれいに別れられるケースは少なそう…恋愛は感情だから、壊れるときも感情本位になりがち。と思う。

読んだばかりの遠藤マキ(つげ義春の妻)が書いた家族日記を思い出した。理由は彼らも多摩川の近くに住んでいて、なんとかやりくりしながら、なるべく好きなことをして暮らしてたから。彼らは生き別れはせずに死別してしまったわけで、そのほうが幸せだとか美談だとか簡単に言えないだろうけど。

キラッキラの出会いから切ない別れまでを描いた作品は、「めでたしめでたし」の作品よりは今もずっと少ないと思う。

切なくなるとお腹がすくので、とにかく今は「さわやか」ハンバーグ食べに静岡行きたいです。