冒頭の60秒間の、まぁなんてスタイリッシュなこと。何度も見ちゃった。くわえタバコでやさぐれたジャンヌ・モローからすごい速さで遠ざかっていくカメラ、ミシェル・ルグランのドラマチックなピアノ。(最初クイーンの「セブン・シーズ・オブ・ライ」イントロかと思った、あっちのが新しいけど)人生は劇場だ、すべてを賭けて走りぬくのだ、だけど盛り上がりだけじゃない、音楽は転調して、未来が反転する運命は止められない…… そんな彼女の人生があの冒頭だけで予告されてる。
もっというと、堕ちるべき運命なら堕ちてしまえ、と語りかけてくる。映画見てるとときどきありますよね、まじめにコツコツ働いて安定した暮らしをする現実の自分に対して、飲んだくれて異性におぼれて家族をかえりみないパラレルワールドの自分を一瞬、夢想してしまう瞬間が。この映画を見ている間だけ、自分が遠い国、遠い時代のカジノに入り浸って賭けまくっていられる。堕ちていくことって本当に不幸なんだろうか?とかね。
映画の結末は、恋愛に関してはいちおうハッピーエンドだけど、冒頭と同じ音楽で、今度は二人で雪崩のように落ちていくという未来を感じてしまいます。現代アメリカ映画にこの二人を持っていったら、一緒にセラピー通うしかないだろうな。でもドゥミ監督は、雪崩堕ちる女の美しさに夢中だ。彼は不思議と不幸を志向する。でも確かに、だからこそ美しいのだ。
この映画のジャンヌ・モローはマリリン・モンロー的ブロンド(当時のブロンドについてきた意志の弱いイメージを使ったんだろうか)で、”とにかく強い、怖い女”という他の映画でのイメージとはちょっと違う。その分堕ちる勢いはすごい。もう、雪崩打って落ちていく感じ。
真面目で地味な銀行員にしか見えなかったクロード・マンが、旅行先で彼女に出会ってから急に自信たっぷりの魅力的な男になるのは、お金と恋愛のおかげ。彼はこの出会いで本当に生まれ変わったのだ。
私もいつかニースに旅行して、さんさんと日の当たる地中海に面したテラスでカクテル飲んでみたいわ。「天使の入江」で賭けてみたい(ちびちびと5ユーロずつくらい)…なんか、大金持ちになりたい、とかじゃなくて、映画を見に行くように一瞬だけ放蕩することにあこがれるんだな。ど貧乏になっても大金持ちになっても、多分私はそのうち飽きる。(なんてことを言ってるんだ私は)
ジャック・ドゥミ監督って、ロマンチストで、自分自身ちょっと弱さのある(自覚してる)人だったのかな。ギャンブルの魅力や依存症への優しいまなざしから、そんなふうに思ってしまった。ますます、アニエス・ヴァルダは妻であり母だったのかなー、などと感じてしまうのでした。