<結末にふれています>
裁かれたのは父コーリャだけだから、彼を「善人」とする明確な邦題の意図があるわけだな。てことは彼は多分無実という前提…。あるいは、浮気女リリアも、裁かれた善人の一人だろうか。
この監督の「ラブレス」を見たとき、あまりの絶望感に言葉を失ってしまった記憶があって、この作品もそれを下敷きにして見てしまいます。この作品では多分、若い後妻リリアを最も憎んでいたのは息子ロマだった。男たちはみんな彼女を追いかけて、女たちは困ったもんだという顔で見ていただけ。すぐ殴る父も尻軽な母も要らない、一人で生きていく、とロマ少年は思っている。そんな人生でいいのか?
コーリャは自分の土地を失わないための闘いに負け、妻を失い、無実の罪(たぶん)で投獄される。泣きっ面に蜂も蛇も毒蜘蛛もやってきて地震や洪水まで発生するような、ズビャギンツェフ監督の世界。
屋外で射撃の的にするために、共産主義の英雄たちの写真を運んできていた男がいた。この演出は、かなり大胆だと思うけど、2022年3月21日の今日はもうできないかもしれない。監督の絶望の深さを、私たちはほんの少し前まで、俗人的なものだと思ってたけど、そうではなかったのかな…。