映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ヌリ・ビルゲ・ジェイラン 監督「読まれなかった小説」3348本目

<ネタバレだらけです>

「雪の轍」の監督か。あの映画も面白かった。この映画の舞台はトロイの木馬で知られるトロイ。トルコ国内にあるとは知らなかった。

主人公の青年はモラトリアム感が漂う、小説家志望の青年。大学卒業後は教師を目指していたが、初めて書いた小説に愛着が強く、なんとかスポンサーを募って出版しようとしている。対照的なその父は何十年も同じ形にセットされたような髪型、自信満々、とヤマっ気たっぷりで、実際ギャンブルで長年家族を泣かせている。「ツイン・ピークス」のリーランド(ローラ・パーマーのパパ)を連想してしまった。

「雪の轍」はヨーロッパのEU加盟国のどこかの物語みたいだった記憶があるけど、この作品の映像はヨーロッパの周辺、ソ連から独立した国々やイランのような雰囲気。宗教や長年の慣習の是非を、主人公が友人たちと長い時間議論する場面があるのは監督の主張なのかもしれないけど、大枠で見れば(祖父と)父と子の物語だと思った。この作品も、とにかく長い会話の場面が続く。よく知らない国の人たちがローカルなことを話し続けるのに、不思議と退屈しない。

冒頭からすぐ、父が娘を「ガムを取ろうとするとバネで指をはさまれるおもちゃ」でからかう場面で、父と息子は笑うけど母と娘は怒る。父と息子は激しく反発しあっているけど、この二人に通じるものがあることが早くも示唆されてる。

すごく印象的な場面がいくつかある。父が井戸を掘り続けている近くの木に切れたロープが垂れ下がっていて、その下で父が横たわっている。息子は最初その光景を見なかったことにして帰ろうとするけど、思い直して戻ってみる。多数の蟻が彼の顔と体をはい回っている。死んでいるように見える。そのとき父が目を開けて「寝ていた」という。…なんかリアルだ。この青年は、すぐに駈け寄ったり助けを呼んだりするタイプじゃない。

小説の出版スポンサーは見つからず、彼は借金をして本を出してから兵役に出る。先のことを決めたくないモラトリアムの、典型的な選択。しかし戻ってきて、本を預けてあった書店に訊くと、1冊も売れていないという。母も妹も最後まで読まなかった。愛読しているのは父ひとりだ。主人公は、長年の母の父への思いを聴き、父と初めて時間をかけて話し合い、最後の場面では父が諦めた井戸掘りを自分で続けている。

この父親は、パラレルワールドではギャンブルの代わりにパワハラやセクハラ、あるいは何かの犯罪に染まっていたかもしれない男。だけど妻は、もし生まれ変わっても彼と結婚するという。ギャンブルを止めろ、パワハラを止めろ、ということと、彼は愛されるべきじゃないということは違う。祖父と父と子、それぞれ別の方向にねじ曲がった野生の梨の木。めいめいが自分を追求しているようで、何か大きなものの手のひらの上で優しく見守られているような気もしてくる作品でした。

読まれなかった小説(字幕版)

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