<ネタバレあります>
VODで見つけられず、TSUTAYAでDVDレンタル。テレビにつないでるDVDプレイヤー2種で再生できず、ポータブルDVDプレイヤーで見てるので画面ちっちゃいです。
パキスタン青年もアイリッシュ女性も若くてさわやか。自分のいちばん初々しかった学生時代の恋愛みたいに共感します。(※思い出はかなり美化されている)
制作時期は、「ケス(1996年)」よりずっと後、「Sweet Sixteen(2002年)」よりも後、明るく前向きな「明日へのチケット(2006年)」の前年の2005年の作品。「麦の穂を揺らす風(2006年)」以降は誰も救われないストーリーが多いように思ってたけど、「エリックを探して(2010年)」や「天使の分け前(2013年)」も「麦の穂」より後だ。ケン・ローチ監督は、誰も救われない映画ばかり撮る監督にだんだん変貌していった・・・と見るのは短絡だということはわかった。
そんな分析をしようとしたのは、この作品が「甘い」と感想を書いている人がけっこういたり、私から見ても「ひとつの愛が成就しそうに見えることがハッピーエンドなのではない」ということくらいはわかるけど確かにエンディングには甘い愛の喜びがあふれているのは、初期の作品だからだ、という理屈をつけようとしたからだ。(わかりにくい説明)
これって、日本人の私がアイルランドで仏教徒のまま現地のカトリックの男性と結婚する、というのと同じかもしれない。日本人はパキスタン人ほど差別されない、と思ってるとしたら、そこですでに私自身の認識に差別意識があるからかもしれない。実際は、現地の人のような英語もしゃべれず、小さい頃みんなが見た絵本もアニメも知らないし、中高生の頃に流行ったものも知らない私は、相当な部分で孤立するんだろう。夢の海外移住も、「日本人老人村」として高いお金を払う代わりに守ってもらえる繭みたいなところに住むのでなければ、苦労するのかもしれない。
20代の頃は、知らない人たちにビビりながらも、この映画のロシーンみたいにオープンだったと思う。世界は飛行機やインターネットの発達でどんどん小さくなって、料理も文化も人種もどんどんミックスして面白くなっていく・・・と思ってた。でもその後の数十年で、世界は小さく狭く細分化されて、ミクロのブロックで埋め尽くされていくようだ。まじりあった部分は、他の部分からすごい勢いで攻撃されたりしてる。自分の中の「世界」の認知がどんどんゆがんでいくほど、世界は平和から遠くなっていく。
一見幸せに終わるこんな映画を見ると、かえって不安になってしまっていろんなことを考えてしまうのでした・・・。