映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

キケ・マイーヨ 監督「ロスト・ボディ~消失~」3546本目

<結末とかオチとかにふれています>

おっとアメリー・ノートンが原作だ。「殺人者の健康法」を読んで以来ずっと注目してるベルギーの作家です。この原作が書かれたのはいつだろう。情報少ない・・・。でも彼女が書くなら、会話で相手をとことん追いつめる不条理劇に違いない。

映画の原題は「Perfect Enemy」、原作のタイトルは英語にすると「The Enemy's Cosmetique」らしい。英語のWikipediaにかなり詳しくあらすじが載ってるんだけど、建築家の前に現れた怪しい人物は原作では男なんだな。映画ではなまいきそうな若い女性。突然ある特定の人物の前に現れて、徐々に、徐々に、徹底的に相手を追い詰めていくのがアメリ・ノートン節。でもなぜ彼は逃げられないのか。「殺人者の健康法」は自宅に押しかけられる話なので、逃げられない気持ちもわかるけど。フライトを待っている空港も、別の意味で逃げられない場所なのかな。

見終わってみたら、アメリ・ノートン版「マルホランド・ドライブ」だった。ノートン作品ではいつも、強迫観念の権化のような加害者と被害者がすさまじい言葉のSMを繰り広げるんだけど、この作品ではその二人とも一人の男の心の中にいるんだな。脅迫者が若い女の子なのは、そのカラクリをわかりにくくする仕掛けだと思った。

彼がその妄想に襲われたきっかけは、”妻の墓”へタクシーで行って、そこから飛行機に乗らなければならないことの重圧だし、若い女がアムステルダム出身で20歳前後なのは、あのとき妊娠していた妻がそのままアムステルダムに飛んで出産していたら?という、彼の20年にわたる想像の娘だから。自分を責め、自分を擁護し、心の中ですさまじいい葛藤が起こっていても、表面的には「降ろしてくれ」と言っても飛行機の扉はもう閉まっていて、少し騒いだだけの普通の乗客だ。彼はその後も自分の罪を自分の墓まで持っていくのか、墓までの時間はすぐなのかまだ何十年もあるのか。その辺の追いつめられぶりが最後よくわからない感じだったので、なんとなく収まりがつかなかった気がします。

これ小説で読んだら、途中でやめられなかっただろうなぁ。アメリ・ノートン作品って最初の数冊しか日本語訳されてないけど(フランスの作家っていつもそうだ。ノーベル賞を取ったアニー・エルノーも同様)、その後の作品も読んでみなければと思いました。