面白いなぁ。人間って。こういう清濁の区別を安易に決めずに人間を描いた作品って好きだ。視野を広げてくれる。
ワイセツか否かという問題は、宗教とは別だし表現の自由の問題とは重なる部分があっても同じではない。こういうの見ると、フランスのシャルリ・エブド事件とか思い出すんですよ。いろんな趣味の人がいるから、表現の自由はなるべく広く確保したいけど(さまざまな表現の映画を制限なく見たい者としては)、特定の人たちにとって命より大事な神様を冒涜する表現を赦さないでほしいという気持ちもすごくよくわかる。あの事件は私にとって、自分の「自由」の判断基準を揺さぶるものだった。ミロシュ・フォアマンは「アマデウス」にしろ「カッコーの巣の上で」にしろ、人間の内面の怖さと可笑しさを強烈に表現した監督で、この作品も同様に凄みを感じさせます。
だいいち主役の夫婦がウディ・ハレルソン(「ロスト・イン・ロンドン」っていう不思議な映画を自分で制作)とコートニー・ラブ(言わずと知れた「ニルヴァーナ」のカート・コバーンの妻で、いろんな噂が絶えない)だ。怪しい二人なんだけど、怪しい人たちって面白いんだ。コートニー・ラブって壊れた美女の代表のようで存在感がすごい(好感度はめちゃくちゃ低いけど)。彼女の、ラリってるようなうっとりしてるような半笑いの話し方、何かを思い出すと思ったらミッキー・ロークみたいだ。相手を傷つけないんだけどなんか怪しく見えてしまう。
最初の裁判の裁判長を演じてるのが、ラリー・フリント本人というのもまた面白い。意外と若い。ウディ・ハレルソンより普通のビジネスマンっぽい気までする。本物の奥さんはどんな人だったんだろうな・・・。