映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ペドロ・アルモドバル監督「パラレル・マザーズ」3564本目

<ネタバレあります>

やっと見てきた。アルモドバル監督、完全復活、って感じ。「トーク・トゥ・ハー」や「私が、生きる肌」のように、一つの主題をひねってひっくり返して、彼以外の誰も思いつかないところまで料理するという、監督らしい世界の真骨頂です。

日本には「水に流す」という言葉と風習があるけど、スペインのアルモドバル監督は簡単にあきらめません。ペネロペ・クルス演じるジャニスはいったん目の前の事実から逃げようとするけど、不思議な運命で産院の同室だったアナと再会し、真実に向き合わざるを得なくなります。

監督が今回テーマとしたのが「遺伝子検査」。スペイン内戦で虐殺された人々の身元不明の遺体を掘り起こして、遺伝子検査によって身元を特定する仕事をしているアルトゥロと知り合ったジャニスは、彼に”行方不明”の自分の祖父のを探してもらうよう依頼する。ジャニス・ジョプリンにちなんで彼女をジャニスと名付けた父親は顔もわからない。でもアルモドバル監督は一貫して、スペインの”王道”を外れる人々に共感する。

ジャニスが自分の娘の出自をうやむやにせず、勇気をもって事実を明るみに出すことは、彼女が自分の祖父を探し出すために必要だったのですね。電話番号を変えて、アナからもアルトゥロからも逃げていては自分の過去も未来もない。

というところを踏まえても、ジャニスとアナの再会のしかたや、ジャニスの娘の結末、ジャ二スとアナの同居・・・という流れが監督らしい”逸脱”ですよね。「取り換え子」の物語は太古の昔から各種あるけど、この料理のしかたは、なかなかないよなぁ。誰も粘着質にならず、決めたらスパッと行くところが監督らしい。(cf「ボルベール」のペネロペの夫事件の扱い)

戦争は全部悪いし誰も幸せにならないけど、その中でも内戦って悲惨だ。憎むべき相手が誰かわからない。隣のおじさんかもしれない。誰かを憎みたいけど今自分がいる世界を破壊したくはない。・・・でも遺骨のDNA鑑定をしても加害者は特定できないわけで、監督はあくまでも、敵を攻撃するのではなくて事実を踏まえて先に進もうという未来志向なんですよね。なんか久々にこんなに前向きな監督を見たようで嬉しくなりました。

(ジャニスの祖母が「ペイン・アンド・グローリー」でペネロペ・クルス演じる監督の母の老年時代を演じた女優さんだったね)