映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

オードレイ・ディヴァン監督「あのこと」3640本目

公式に医師の手に寄らず堕胎するって、最悪どういうことだろう・・・と想像したおそろしいことが一通りぜんぶ時系列的になぞられた映画でした。さすがアニー・エルノー、今たぶん世界一自分を客体として観察できる人。一切目を背けずに、”そのこと”を写し続けた監督の覚悟もすごいな。

彼女(主役アンヌであり、作者アニーでもある)は後にノーベル文学賞を受賞するくらい突出した学生だったのでしょう。フランスの階級感覚を想像するのは難しいけど、若く野心的な彼女が、学位を取ることをどれほど重要な通過点として欲していたか。そこをしっかり伝えるのは、彼女の特異性を際立たせるためではなくて、堕胎しなければならない女性の事情と彼女の強い要望を描くためだと思います。

一方、そうなるに至った事情は、相手がどこで会った誰かという程度にしか触れられません。どのように彼らは避妊に失敗したか、彼女がどういう気持ちで行きずりの男と寝たのか。望まない妊娠に至る事情は人それぞれだから、ここを描きすぎるとその先の共感度合いにひびくから。堕胎の物語であって、恋愛や男女の物語ではないから、だと思います。日本映画だと、男が暴力的だったり、彼女に深い悩みがあったりと、避妊できなかった理屈をくどくどと描くこともありそうだけど、これはコンテクストの映画ではなくて、世界一(と私は思ってる)冷徹なアニー・エルノーによる堕胎する女性の観察小説だから。

それにしても、これを生き抜くには相当強い身体が必要だ。何度も身体を刺激しても、ひどい感染症にもならず奇跡の回復力をみせて勉強を続ける。堕胎しなくていい方が母体には安全なので、この状況に陥っても学業を続けられる仕組みを作る、という考えもあるだろうし、安全な堕胎(少なくとも違法ではない)方法の研究もひとつの解決方法です。でもやっぱり、この映画で起こったことを防ぐためには、なるべく確実な避妊と、直後に女性が自分でできる避妊対策が有効なんだろうな。・・・自分も女性なので、自分にも起こりえたかもしれないことをどう防ぐか、という風にどうしても考えてしまいますよね・・・。

30年前ならサンドリーヌ・ボネールがアンヌを演じたかな。顏は変わってないなのに、あまりに貫禄があって、彼女が母親役だと気づくのに時間がかかってしまいました!

あのこと(字幕版)

あのこと(字幕版)

  • アナマリア・ヴァルトロメイ
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