映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

黒澤明監督「生きる」3776本目

やっぱ見るよね。

息子は加藤嘉?と思ったら金子信雄だった。その妻は、杉村春子的だけど関京子という。彼らの家に家政婦はいない。飲み屋でおごってしまう小説家は伊藤雄之助。英国版のほうはサッカー好きの労働者みたいな感じだったけど、こっちはインテリ崩れのような感じ。

若い事務員「小田切とよ」の明るくて人懐こい感じ、イメージ通りだけど、彼女が彼に会いたがっている理由は、推薦状を書いてもらうのではなく辞職願の押印だ。日本だもんなぁ。彼女の退社後の仕事はレストランではないし、マネージャーを狙うような出世欲もない。この辺は国の違いというより今の女性の仕事のありかたを映してるのかも。

若い役人アレックス・シャープがオリジナルでは日守新一。まじめで純粋なところのある役どころで、彼が最後に一人で公園へ行き、遊びまわる大勢の子どもたちを見る。

何より違うのは、やはり、主人公の雰囲気なのだ。緊張して大きな目を見開いて、うまく自分を表現できない中年の日本の男だ。真面目にやっていればいいと思って、何も深く考えずにやってきたから、息子夫婦はこういうときに冷たいし、若い事務員には気味悪がられる。このときの志村喬なんと47歳。現在のキムタクも中居くんも草薙くんも彼より年上、香取慎吾ちゃんと同い年という衝撃。

全体の構成は私が思っていたより2本はよく似ていて、役所の仕事に戻った後すぐに葬儀の場面だった。日本の役所の人たちも、ちょっとびっくりするくらい英国版との共通点がある。「ゴンドラの唄」も思ったような調子っぱずれじゃなくて、太くて素晴らしい声だ。

小田切とよはお通夜には来なかった。彼女の後半の出番はなくて、存在感は英国版のほうがだいぶ重要だ。ブランコの彼を見かけたおまわりさんは、その場所で出会ったのではなくお通夜の焼香に来ていた。英国版のほうが将来に希望が感じられ、オリジナルは日本らしい同調圧力、事なかれ主義に圧倒されて終わる。

自分だけの主観的感想。「東京物語」でもこの映画でも、最後は冷たい家族が最後に泣いたりするのが偽善的だと、以前は思っていたけど、人間ってそういうものなのかもしれない、と気持ちが少し動いた。大声で叫ぶときは誰でもきれいごとを言う。でも日々の忙しさの中で、小さいと思っていることは、割と平気で無視するのだ。大事なことを見逃してしまった悲しみや後悔は、取り繕いとか偽善とかではないのかもしれない。彼の息子が今度は最期の数か月に、誰にも成し遂げられないような偉業をなして、死後に初めて認識されるのかもしれない。

いくつになっても気づくこと、学ぶことってあるな。生真面目で正義感をふりかざす若者から始まって、どこまで寛容な人間になれるか、が私の人生の目標なので、しみじみと見て良かったと思っています。

生きる

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  • 志村喬
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