マッティ・ペロンパーはもちろん、カティ・オウティネンさんも出てなくて、冒頭すぐゼレンスキー大統領がロシアのウクライナ侵攻についてコメントするのがラジオから聞こえてくる。今までと違う時代だ。いまこの瞬間だ。これまではこの監督の作品を、遠いヨーロッパの寒い国の少し昔の出来事だと思って安心して見ていたのに、急に自分の身近なこととして突きつけられる。フィンランドが意識するロシアは、ベトナムの人が意識する中国に似ている。
不愛想な若い女役を引き継いだのはアルマ・ポウスティ、アル中の労働者役を引き継いだのはユッシ・ヴァタネン。二人とも前担当者に似てはいないけど、いかにもいそうな存在感は共通してる。…アルマ・ポウスティはムーミンの作者「トーベ」では奔放な若い女性を演じていて、そのときはワイルドな印象だったけど、さすがカウリスマキ監督、まったく別人のようなおもむきです。
二人で初めて見る映画は「デッド・ドント・ダイ」(笑)。多分監督同士、親近感を感じていそうなかんじ。
全体的には、いつものカウリスマキ作品であり、原点のような、あるいは頂点のような、普遍性を感じます。ここにきて今さらのように、平板なせりふ回しが笠智衆と原節子に見えたり。カティさんとマッティさんでなくてもカウリスマキ映画なのである、ということを納得したからでしょうか。女性も愛した奔放なトーベ・ヤンソンを演じた人が今回の主役だから、本当はカラフルなヘルシンキの笑わない二人が、リアリティの薄い、寓話化された人たちなんだと実感したからか。
何度も何度も同じ人たちの同じ暮らしを描いてるようにも思える。でも何度見てもいい。人生に余計な期待を何も持たない彼らの、ささやかな暮らしが、いいなと思う。SNSとかやらない人たちの、絶対インスタ映えしない生活。
最近、自分をずっと喜ばせ続けるのって、結構しんどいなと思ったりする。一日一回おいしいコーヒーを飲むとか、そういうテンション上げる努力は止めて、ただ普通に、快適にいられればいいんだよな。自己肯定感が低かったので、なんとか這い上がろうって思ってたけど、誰に意地を張るでもなく、自分らしく楽にくらすのが一番。と思うようになった私には、するっとなじむ作品なのでした。