Vol.2のほうが、初見のときの印象が残ってない。「ビル」が特段こわくもなく変でもない、一見ふつうのおじいさんだったところから始まるからかな…。愛人に父親と紹介されて、デタラメな話を合わせさせられるのって、けっこう殺意わきそうだな。
という過去の教会での出来事のあと、時系列は現在に戻ります。ワルでどこか可愛げのあるマイケル・マドセンはテンガロン・ハット、場所はアメリカの砂漠。タランティーノの生まれ育った本来の世界に近い。「レザボア・ドッグス」「ジャンゴ」やこの場面は得意分野って気がして安心して見ていられます(Vol.1は不安だったんかい)。
マドセンの魅力もわかる。が、20年前の私には、苦手な西部劇が始まってしまったようにも見えました、確か。そして、彼のブライドへの仕打ちは、キチクの仕業に見えたに違いない。(こんなのきっと、引田天功みたいに、技を持ってる人なら彼女には簡単に違いない)と自分に言い聞かせながら見ていた気がする。実はその仕業、”トラウマ映画”の一つとして見たあの映画の結末と同じ。今の私は、再見だからもう平気だ。
パイ・メイという仙人は、ドラゴンボールかストリートファイターに出てた?と思うほどマンガだ。これは日本人にはマンガすぎて、そこだけCGと思うくらいだ。
「お前は(白人でアメリカ人で女だから)最悪だ」という字幕があった。セリフでは「It will take a while(白人でアメリカ人で女だから、修行が終わるまでだいぶ時間がかかるだろう)」。皮肉っぽい言い方が日本語字幕では、ストレートな言い方に常に直すんだよな。急いで読むから簡単にしなければいけないのはわかる。あれ?日本語は主語や細部を省いて「あれ」「そんな」「こういう」といったあいまいな表現が多いのと、矛盾する気がしてきた。私たち普段、あいまいなまま共感だけしあって暮らしてるのかしら。まぁ、それでもいいか、平和なら…
脱線した。戦闘シーンは、銃や自動車ならいいけど武道だと、うっとりするほどのキレは、当たり前かもしれないけど、ない。だからマンガに見える。そしてVol.2は長い物語に決着をつけるために、1つ1つの場面にじっくり時間を取っているので、Vol.1の流れで興奮している観客がクールダウンする。集中力が途切れたころにエンディングで、ブライドと娘が車に乗って出て行ったあと、ビルどうなったっけ?…家の外に誰かが倒れている場面は見逃してしまうかもしれない。ここで見落としてはダメなのだ。
ということで、20年空けて見てもキル・ビルはカンフーやチャンバラになじみのある東アジアの観客には、どこか違和感の残る作品ではありました。Vol.2をもう少しまとめて、3時間半くらいの1本の作品にしてもらったほうが…ああすみません、わがままを言い出したら止まりません。
でも見直してよかった。新しい発見がたくさんありました。
