映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

クエンティン・タランティーノ監督「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」3833本目

これで、ひとりタランティーノ特集も終わりだ。なんか寂しい。

<以下、結末にふれています>

改めて。これはまたひどい映画だな(けなすつもりではない)。。。

ブラピとデカプリオ。デカプリオは映画スターでブラピはスタントマンの役だけど、ヒーローはブラピだ。タランティーノ作品では常に、裏方と弱い立場の者がヒーロー(注:その判断に属人的なものはあるけど)

映画プロデューサー、アル・パチーノがデカプリオ(49歳)に「あっち(ブラピ60歳)は君の息子かい?」っていうのもひどいが、ブラピが飼ってる血に飢えた肉食犬による最後の殺戮は、この映画の文脈では完全に加害行為だ。ぜんぜん自己防衛になってない。ヒッピーはガラの悪い乱暴者というだけで、ほぼ未遂だったのに犬に食われてしまった。これを正当化するものは唯一、ポランスキーやシャロン・テートの映画をこよなく愛し、あの事件に対する憤りをマグマのように溜めて育て続けてきた映画ファンの恨みつらみだけだ。「イングロリアス・バスターズ」も、映画の中だけに限っていうとナチスによる加害よりナチスを地獄に送った”こちら側”の人間たちの暴力の方が爆発的だ。タランティーノは、自分自身が映画オタクで、マニアのトリビアを構築して作ったこの映画は、自分を含むマニアたちの映画愛を満足させるためだけのものだとよくわかってる。これを見て誰かが暴力行為に及ぶなんてことはない、という前提でしか作れない。

つまりこれは(あるいはタランティーノ作品のすべてが)内輪うけなのかもしれない。同人作品なのかもしれない。大好きで大好きでたまらないスターたちの、自分の好きな部分をおおげさにフィーチャーして、長年のファンとしてのフラストレーションを爆発させる。スタントマンってめちゃくちゃ運動能力がすごくて、スターそのものよりよっぽどカッコいいんじゃないか?めちゃくちゃカッコイイ女性ヴィランをもっとみんなに見て欲しい。自分の愛するスターたちをひどい目に合わせたやつらに、映画のなかで復讐したい。…etc. いや、単純なヒッピー嫌悪だろうか。そうだとしたらユダヤ人嫌悪とわりと性質が似ているような気がする。

そんな私も初見ではずいぶん興奮して見たのだ。タランティーノと同じ映画マニアだから、どっかんどっかん大うけした。でもどう考えても、グリーン・ホーネットの頃のブルース・リーは本筋には関係ないし、こうやってスターを散りばめて喜ぶのはマニアだけだ。必然性はない。うーん。私はこの作品の評価を180度変えようとしてるんだろうか。(初見で90点つけたんだけど)