むかしの高田馬場駅前の風景、よく再現したなぁ。と、やっと思う。この駅にもう3年も通ってるけど、風景を見まわす余裕がやっとできてきたかな。
このブログに原作を読んだ感想を3つ、映画を見た感想を1つすでに書きましたが、映画をもう一度見ました。
生まれ変わりが多くて登場人物の相関関係をすぐに全部思い出せない。一人の人の生まれ変わりは一度だけじゃなくて何度か起こるので、かなりややこしい。でも、筋を追うんじゃなくて今回は人の気持ちの動きに注目して見てみます。
そうすると、まず「不幸な女の美しさ」ってあるんだろうな、と気づきました。この映画のなかの有村架純は、最初に見たときはそれまでのドラマでの彼女の明るいイメージに引きずられてたけど、今見ると、泣き疲れてもう何にも期待してない表情をちゃんとしている。不幸で美しい女は隙だらけで、とても弱いから、弱い心や悪い心の人たちは強烈にひきつけられて、その悪のはけ口にしてしまうこともある。幸せから、どんどん遠くなる。美しくても賢くても、悪い運命から逃れられない人っているんだと思う。
でも、瑠璃は不幸じゃなかった。というか、幸せになったから、その幸せを追い続けてるんだ。現世に未練を残す人は、怨みをもって魂だけを地上に残して幽霊になるんだと思ってたけど、こういうパターンもあるのかもしれない。(生まれ変わりが科学的に解明されてない状況では、そういうフィクションもあるねという話かな)
本を3回読んで映画を見ても、これまでは心情的に共感するものがなくてピンとこなかったけど、今回は初めて入り込めたかも。その理由は、うちの猫が先日病気で行ってしまったからかな。両親が逝ったときも悲しかったし引きずったけど、これほど自分が愛して可愛がってきたものを見送るのは初めてで、なんとなく、天国かどこかで幸せにしてるかなーとか、生まれ変わるならやさしい飼い主のところだといいなーとか、化けて出てきてくれてもいいのになーとか、非現実的な心配ばかりしています。「愛する者への愛着」の物語なんだな、これは。この気持ちを今自分の中に持ってる人が読んだり見たりすると、持っていない人と違う反応が起こる。
そう考えると、音楽を「Woman」や「リメンバー・ラブ」に差し替えたことで物語をわかりやすくしてることもわかる。
「あきらくん」は、何度か瑠璃からのコンタクトを実際に受け取っていたからこそ、次は絶対に受け留めようと思っただろう。自分から追いかける気持ちがなかったとしても、愛する者が自分を求めてきたのに気づかない、ということを恐ろしく思うだろう。もし次があるなら、どんな姿で来ても見つけようと思うだろう。そういう気持ちが今はわかる。
人間って、というか自分って、すっかり大人になったつもりでも、まだまだわからない感情があるもんだな。見直してみてよかったです。
