映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ライアン・クーグラー 監督「罪人たち」4000本目

このブログ、記念すべき4000本目、ですが、KINENOTEの鑑賞回数や記録数とは全然一致しない・・・。まいっか。

<ネタばれあります、ご注意>

「アンテベラム」に続き、たまたまだけど、現代のブラック・エクスプロイテイション映画といえそうなものを見ました。見る前は「許されざる者」みたいなシリアスで重いやつかと思ってたので、怒涛の展開にびっくり。まさか…ゾンビ映画だったとは(というより吸血鬼か)。ゾンビ/吸血鬼映画のバリエーションの増大がますます進んでて、現象としてすごく面白いです。でありつつも、確かにこれは「アンテベラム」と共通していて、吸血鬼性を持ち込むのは白人。この映画の”吸血鬼性”は、差別の有無というより、一度取り込まれたら二度と逃れられない白人文化のような感じもします。

招かれなければ中に入れないというルールも面白い。もう、入れた時点で自分を明け渡したも同然で、親切心のある者からやられるのは真理って気もします。店に入りたいという白人カントリーバンド(いつ練習した?)を追い返す場面は、白黒逆の場面は今までに何度もあちこちで見たという既視感の上に来るので、違和感にニヤリとします。

北部の大都会シカゴから南部ミシシッピデルタに戻ってきた双子がSpeakeasyを開き、旧知のミュージシャンを雇う。映画のなかで流れる泥臭いブルースを聞きながら、悪魔にまつわる話を聞いてると、「クロスロード」を思い出す人も多いのでは?夭逝したブルースギターの天才ロバート・ジョンソンが、十字路で悪魔に魂を売ったという伝説をモチーフにしたあの映画。といっても映画で音楽を危険視したり否定することはなくて、この辺、この映画の価値観の軸がよくわからなくなる。音楽や酒は身体を焼くけど大切な魂の一部で、一方、吸血鬼性=白人性は人間性を奪う憎むべきもの。か。ハリウッドだったりディズニーランドだったり、便利で進歩的な生活。そう考えると、欧米のアフリカ系の人たちは(アジア系の私たちだってそうだけど)完全に白人文化にどっぷりと漬かっていて、それを問題だとも思ってない。吸血鬼たちの正解は愛と平等と自由があって永遠でKKKもいないという。なんだこのラブ&ピース、ヒッピー的で何かの宗教コミュニティのような吸血鬼の世界。誰かが攻撃されると吸血鬼全員が苦しむのって、「ミッドサマー」で女たちが一斉に同じ反応をするのを思い出す。善悪ってなんだっけ。時代によって移り変わるものだとは思ってたけど、世界はさらにダイバーシティを極めていく。

最初に現れた吸血鬼はアイルランド系で、立って踊るアイリッシュ・ダンスを踊りながら自分の出自を歌う。

年老いてレジェンドとなったサミー役のバディ・ガイはルイジアナ州出身でシカゴで活躍している89歳のアーティストだけど、彼の場面はまた、善悪や生死や愛憎を全部忘れて一瞬の生命の輝きだけに注目しようとする。今の(アメリカの?)世の中は、これほど刹那的な価値観を持たざるを得ないのかな。

全体的に、いろんな要素が盛り盛りなんだけど、あくまでもエンタメを目指してる感じが、タランティーノ作品を思い出します。ゴールは問題提起ではなくて、もっと面白いものを作ることを目指している、という。

出演者についていうと、マイケル・B・ジョーダンはブラピみたいにかっこよくてスマートで愛嬌もあるスター俳優って感じだなぁ。ヘイリー・スタインフェルドは聞いた名前だと思ったら、「トゥルー・グリッド」のあの女の子がこんな大人になったのか。

見れば見るほど部分部分が気になって忙しい。とても面白い部分がたくさんある映画だったけど、トリビアに満ちたタランティーノ作品にも一本ずぶとく通る破壊的な激情(最後のバトルは目を覆いたくなるようなバトルだったり)はなくて、なんとなく気持ちがとっ散らかったまま終わってしまった。エンドロールの中に何度も映像がはさまったりするのも、その前にガツンと決めきれなかった未練のような、そこに製作者の意外な弱気が見えるようなな気もして、好きだけど個人的にはアカデミー作品賞って感じではないと思うのでした。

罪人たち

罪人たち

  • マイケル・B・ジョーダン
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