この監督の作品は好きでおっかけてるけど、映画館の割引デーと予定が合わず、上映情報をちょくちょくチェックしてたのに2年も経ってしまったので、とうとうBlu-Rayを購入。詳しい解説がついてるし、特典映像として石橋英子さん主導の映像作品「GIFT」や主演の大美賀さんの監督作品といった、セットで見るのがベストな作品も収録されてるので、ぼんやりと映画館で一度だけ見るより完全に近い映画体験ができたんじゃないかと思います。
なんとなく見覚えのある人が何人か出てる。いつものように、みんな棒読みに近い印象があるけど、一般の人の話し方なんてこんな感じなのかもしれない。毎回、聞いているうちにやがて慣れる。特別な言葉を使ってるわけじゃなくて、たとえばグランピングの説明会で住民が言うことは、みんな自分の身の回りのことを自分の言葉で話してるだけだけど、そういうものが積み重なって、(ブックレットにも書かれてたんだけど)世界を形作っていく感覚があって、こじんまりとしているのにすごく重い。小さな彼らの後ろに何千トンもある山がのしかかってくるような。
この父子、不思議な存在感。末端の市民のようでありながら山を代表しているようで。説明会に来ている芸能プロの担当者たちは、最初は典型的な自然破壊、資本主義者の悪者のようなのが、くるっと裏返って、コロナ禍で収入が途絶えて苦しんでいる善意のアーティストの仲間に見えてくる(監督の立ち位置に近い場所でもある)。この裏返る快感。かといって、名水でうどんを打ち、小鹿を撃つ村人たちは悪には見えない。完全な悪は存在しない。でもその言葉の意味は、”悪の凡庸さ”と同じことにも思える。どう捉えよう。少女は悪いからではなく、最も弱いから、最も汚れていなくて敵として攻撃しやすいから、連れていかれるんだろうか、それとも、善も悪も無垢のなかにひとしく存在している自然のなかに、取り込まれようとしたんだろうか。結末は見えないけど、これはかたき討ちを繰り返すものたちの物語ではなさそうなので、イヨマンテの逆のようなものだと、私はたぶん捉えたんだと思います。
私(たち)は村に憧れるだけの、何物でもない外部の人間だけど、でも、生まれが村だったら、外部の人たちに文句を言いながら暮らす普通の村の人だったんだろうな、とも思う。誰かわかりやすい悪者を設定することで何かを解決しようとしないほうが、私も好きです。
大美賀監督の短篇「余る日」は濱口監督曰く「ヤベェところがある」という黒い作品で、黒さと短さゆえに理解しやすい(といっても、どういう意味を見出すかは見る人によって違うんだろう)面白い作品でした。
音楽のまったくないこの作品を見たあとで「悪は存在しない」を見ると、改めて、音楽が映画のトーンを強く決めていることを思い知ります。こっちの作品の一番強い部分は、言葉のないこの村の原風景。山。最も長く、生まれたときからそこにいる人たち。そういうものたちあってのこの映画、背景みたいなもの。濱口作品は人間たちが作っていくドラマが多かった気がしているので、河瀨直美監督が顔を出してるような、自然のなかで小さな人間という感覚がすごくあります。
いろんな映画の断片が頭に浮かんでは消える…「由宇子の天秤」で彼女が持った正義感や好奇心、あとで裏目に出るその気持ちのようなものを芸能プロの人たちが持っているようにも見える。鹿とその報復をイメージすると、「聖なる鹿殺しの伝説」が浮かんでしまう。人間の中の感情や考えのゆらぎも、大自然のなかの因果応報も、くっきりとした結末のないまま、私たちは放り出されるわけです。
あの子が被るのは死なんだろうか、それでは身も蓋もないので、たとえばこれから何年もの間意識不明のまま、村上春樹の小説に出てくるような異世界を心でだけさまよって、何か光のようなものが現れたときに元に戻る、とか。(←勝手に想像してろ、私)
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