最高に美しく純真な世界。ベルギーの小さい女の子の目で見た1960年代の日本郊外の美しさを見て、日本の私たちは心が洗われるような思いを抱きます。すべてにわたって繊細な色使いと表現。ユニークで不遜でちっちゃい女の子の観察の確かさ。それを見ている私たちの中に沸き起こるなつかしさ、いろんな温かい思い出、死や移り変わる世界に対峙しなければならない苦しさ。もうおなかいっぱいになって感激して終わり。
…とならないのは、私が長年この原作者アメリ・ノートンを愛読していて、少女アメリのその後から今に至るまでを思ってすごく複雑な、ちょっと暗い気持ちになっているからです。
初めて読んだ著書は「殺人者の健康法」という、今までに読んだ小説の中で一番「度肝を抜かれた」作品でした。初対面の二人が舌戦っていうんですかね、言葉のバトルだけで相手をどこまで痛めつけられるか、というおそろしく挑戦的、刺激的な作品。息もできないほど集中して一気に最後まで読みました。こんなすごいものを書くのは誰?と思ったら、ベルギーの外交官の娘で日本在住経験のある若い女性。その後、翻訳作品は全部読んできた中に、この映画の原作もありました。が、そこに至るまでのことを先に書きます。
彼女はさまざまな国を家族と移り住んで、ベルギーの大学卒業後、日本に来て貿易会社で働きました。1年間だけ。そのときに彼女が味わった苦渋が「畏れ慄いて」という小説で描かれましたが、母国においても父親が外交官を退くのを待って発売されたそうです。小説だからいろんな脚色があると思うけど、ありそうな話だなぁと思って読んだものでした。「殺人者の健康法」は、事実をありのまま描けない状況で彼女をさいなみ続けていた強大なストレスがもたらした作品だったのかなと思ったりして。
この作品の原作「チューブな形而上学」も10年以上前に読んだけど、感想はわりとあっさりしてましたね。彼女のコミカルな大物感を楽しんだけど、この映画のような形に昇華されるほど美しい作品だと認識できていませんでした。今なら映画「ROMA」とか「雪次郎の夏」とかも参照しつつ、美化されているのかもと思いつつ、心地よくなま温かく、思い出に浸る作品としてただ純粋にこの作品も愛せたかもしれないけど。その後日本に戻ってきた彼女が経験した、3歳のアメリよりも大きな”畏れ慄き”を想像すると、残念で申し訳なくて、言葉にならないです。今も日本の伝統的な会社のどこかで、外国人女性社員がお茶くみをさせられて、意にそわないことに耐えてる、ってこともあるんだろうか。
この映画の公式サイトで、これほどフランス語圏で評価されて知名度もあり、邦訳が何冊も出ている(絶版かもしれないけど)原作者について、ひとことも触れられてないのもあえて避けた感があります。
ただ、今このタイミングでこの作品が作られ、日本についての描写がかなりリアルで違和感が少ないこと、音楽が福原まりだったりすることを考えると、著者は長い年月を経て、少しは彼女をさいなんだ日本に近づいてもいいと思ってくれてるのかな。そうだといいけど。と思います。
(西尾さんの着てた服だけは、別のアジアの国っぽかったよね?)