先に「女神の継承」を見てしまって、「コクソンの方が怖かった」と書いてる人が多かったので、どれほどおどろおどろしい作品なのかと思ったら、國村隼は見慣れていて少なくとも”異形”ではないし、村の駐在さんクァク・ドウォンが愛嬌たっぷりで(サモハンキンポーやジョン・ベルーシを思い出した)、つい笑いさえこぼれてしまいます。・・・途中までは。
「女神」と同様、やけにピンクグレーがかった画面。血と雨でどろどろになった暗い被害家屋。水浸しのものを見ると、乾いた部屋の中にいても、まとわりつく気持ち悪さが移るようです。
収拾がつかないほど散らかって汚れた家(焼け跡もそうだけど)って、見てるだけで気持ちが沈んでいきます。そういう、無言の圧力みたいなのを鑑賞者に負わせていくのが、この監督はうまいんですね。
しかし、「女神」のほうは女の子が大人である分エロスもありだし、演技力もすさまじ
かったので、エクソシストの凄みで縮み上がる感じは「女神」の勝ちかな。その後でこっちを見てしまうと既視感もあるし。
なぜ日本人が単身で韓国の田舎にやってきて呪う必要があるのか、ふわっとでもいいから語ってほしかった(納得感がもう少し欲しかった)気もします。
この作品が2016年、女神が2021年。クレバーな原始的画面作りが、この5年でさらに進化したんだな、と思いました。