映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

エドワード・ヤン監督「エドワード・ヤンの恋愛時代」3760本目

機会を見つけては少しずつ見てきたエドワード・ヤン監督の作品。これは見た記録がないんだけど、なんか既視感がある。1994年の作品だから、社会人になったばかりの頃にVHSでレンタルして見たのかも。いつかテレビで放送したこともあったかもしれない。

今日早稲田松竹に行ったのは、小説「月の満ち欠け」を読み直していて、劇場も気になるしその周辺の神田川や駅までの道を歩かずにいられなくなったから。何で今まで行かなかったんだろう、馬場でしばらく仕事もしてたのに。で、思い立った翌日にちょうど朝からこれを上映してたので行ってみたわけです。上映開始15分前に着いたら長蛇の列。チケットが買えてよかったけど、開始が少し遅れました。

この作品、1994年の台北といえば、私が初めて出張で行ったのがその少しあとだ。スタバができたり、女性の髪形が若い人からおばちゃんパーマでなくなって、町を歩く日本女性と地元女性の区別がつきにくくなっていったりした頃。この映画の中の女性たちは当時の最先端の美女たちだったのかな、スタイリッシュで美しいですね。シシド・カフカか菅原小春を思わせる「モーリー」ニー・シューチュン、オードリー・ヘップバーンまんまの可憐な「チチ」チェン・シァンチー。その恋人ミンはどこにでもいそうな普通の好青年。モーリーの裕福な恋人アキン、彼に取り入ったり、いい女に片っ端から手を出すメガネのラリー。モーリー、チチ、ミンの同級生だった、芸術家気取りの映画監督バーディーは盗作騒ぎ。盗作された小説家はモーリーの姉の別居中の夫。モーリーがクビにした女優志望のフォン、ミンの離婚した両親のそれぞれのパートナー。人間関係がめちゃくちゃややこしくて、だいたいみんなステディなパートナーの他の誰かに心が動かされたり手を出したり出されたりして、混迷を極めています。ついていくのがやっとで、常に「えーっとこの人は誰の何だっけ」と考えながら見ていきます。でも、「モラル」をとっぱらってみたら人間の心の動きってこんなものかも。とっぱらったように見えるモラルに、彼ら自身はがんじがらめになっていると意識していて、高度成長期の台北で何を大切にすればいいのかわからずに戸惑っています。

彼らの心の動きに、なんともいえず共感してしまうんですよね。説明が難しいけど。翻弄されながらも、心がまだやわらかい。ウォール街のエリートビジネスマン、みたいな冷たく乾いた欲望じゃなくて、最先端の場所ではあるけど、完璧に着飾っているけど、中身はまだ少年少女たちで、多感な彼らが、昔の台湾と今の世界のはざまでがんばっていて。

設定だけぱっと見ると、当時の”トレンディドラマ”のようで、だから邦題が「恋愛時代」なんだろうな。当時の日本のドラマも、もっと今よりは泥臭かったと思う。

今は、誰かを好きになること自体が「怖いこと」になってしまってないか?本当に好きだと、好きじゃない振りができないから。お行儀よく、カッコ悪く見られない自分を保つには、心を動かさないほうがいい、というように。

最後の場面、完全に気持ちをもっていかれましたね・・・。もしや、そうなるといいな、と思っていたらそうなった、という終わり方。その後もチチとミンは一緒にいながらも、心が離れそうになったり、それぞれ誰か他の人にふらふらと行ってしまうこともあるだろうけど、ずっと大事にしていくものを確かめられた、という気がします。

大切なものって何だろう、と、自分を見まわしてみた観客も多かったんじゃないかな。心がじわっと温かくなる、さすがの名作でした。

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  • ニー・シューチュン(倪淑君),チェン・シァンチー(陳湘琪),ワン・ウェイミン(王維明),ワン・ポーセン(王柏森)
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