映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

アダム・マッケイ 監督「ドント・ルック・アップ」3619本目

映画のデザインセンスやテンポが変わってる。往年のソール・バスの焼き直しみたいなタイトルとか。それと、強烈に豪華なキャスティングがまず印象的です。

彗星を発見した主役の二人はジェニファー・ローレンスとレオナルド・デカプリオ。切れ者の若い女性と、若干タヌキが入った中年の学者・・・デカプリオ、シワが増えた感じはないけど、なんとなく、悪さが増したような印象・・・。ベテランキャスターにケイト・ブランシェット、大統領にメリルストリープ。特攻に出る屈強な男はヘルボーイ、ロン・パールマン。キュートなディーバはアリアナ・グランデ、コンビニでレジの子にからむチンピラにティモシー・シャラメ。マーク・ライランス演じるピーターの歯の抜けたような危機感のない喋り方もすごい。「博士の異常な愛情」のピーター・セラーズと張る。みんな楽しんで、なりきって演じてるなぁ・・・。

「フィッシュストーリー」を思い出してしまったんだけど、普段、日本よりは冷静に現実の危機に対処できそうなアメリカが、まるで日本みたいに問題を直視することから逃げてるのが、おかしいというか気持ち悪いというか・・・。特攻攻撃をヒーロー化した時点で、科学が根性論に負けた。

これって恐竜が絶滅したときくらいのインパクトなのかな。だとしたら、地球の骨組み(骨なんてないけど)自体には大きな影響はなく、表面がズタズタになったけど生命は絶滅せず、その後生まれた人間が私たちだ。と考えると、取り返しがつかないほど絶望的なことでもないような気がしてくる。ジョナ・ヒル・・・。

ライアン・ジョンソン監督「ナイブズ・アウト グラス・オニオン」3618本目<KINENOTE未掲載>

これ公開されたら見に行こうと思ってたけど、映画館では上映されなかったのね。他で見られない作品がだいぶ溜まってきたので、とうとうNetflix加入しちゃいましたよ。(見たいの全部見たらすぐ解約するかも)

そういえば、前作もすごく楽しかったけどトリックの妙を楽しむ映画ではなかった。今回も、冒頭から謎のからくり箱が送られてきて、なんとなく「っぽい」感じで次々に謎を解くと箱がオープン。バッハの楽曲を唐突にヨー・ヨー・マ本人が解明(必要?)。派手なビッチのチャーミングな笑顔に見覚えがあると思ったらペニー・レインでしたね。生き生きとしたキャストの中で、カサンドラを演じたジャネール・デモイの知的で確固としたたたずまいが美しい。

しかしストーリーは、前作もムリムリではあったけど、今作はそれに輪をかけて後付け感、こじつけ感が強くなりましたなぁ・・・「コンフィデンスマン」かと思うよ・・・。楽しいんだけどね。せっかくのダニエル・クレイグにもう少し名探偵の実力を発揮させてあげて欲しいような。

でも第3作を諦めずに期待して待ちたいと思います!

ギレルモ・デル・トロ監督「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」3617本目

テーマはあまりに見慣れてるように思えたけど、見てみたら実に魅力的な作品でした。キャラクターもストーリーも頭に入ってるのに、表現だけの違いがすべてだといってもいいのかもしれません。

デル・トロ監督なので、子どもの純真さを哀しく描いて胸を打つのかなと思ったら、その点は予想通りでした。この木でできた、ニスも塗っていない木目のままのピノッキオの素朴さが可愛らしくて、わがままも気まぐれも子どもらしくて惹きつけられます。ゼペット爺さんも、セバスチャンも、魔女もサーカス団長も・・・そしてケイト・ブランシェット演じるおサルさんも、実に、実に生きています。これほどの豪華キャストが姿を見せず完全にサルやコオロギです。監督の手腕という他ありません。

なんか、大好きな絵本を集中して読んでいたら、キャラクターが動きだして音まで聞こえてきて、すっかり世界にはまりこんでしまった、みたいな感じの作品です。楽しさも切なさもヤバさも、相乗効果で倍増する。ほんとうに監督は子どもの世界を作り上げるのがうまいんだ。

松本優作 監督「Winny」3616本目

日本ではこんなに本格的な法廷ものの映画って少ないんじゃないかな?構成も背景調査もしっかりした作品で、映画としての出来はすごく良かったと思います。

一方、取り上げられた事件そのものについてはどうなのか?・・・一昨日この映画を見に行ってから、あの裁判が行われていた頃のことを思い出そうとしているんだけど、あまり明確に思い出せない。当時の自分の立場も個人的な意見も。

NapsterやWinMXが違法コンテンツやソフトウェア配布の温床となっていたことや、WinMXの「MX」を「NY」に変えて後継ソフトを開発した日本人がいて人気が出てると聞いたことはうっすら記憶してる。金子さん逮捕の2004年5月には私はまだソフトウェア会社の法務部にいて、違法コピー撲滅!とか言ってたはずので、どちらかというと彼らを敵視してもおかしくないけど、少なくとも敵だとは思ってなかった。(当時私はPCオタクだったので)でも逮捕には驚いたはず。「食事用のナイフを作った人は殺人ほう助の罪には問われない」というより、「人を殺さないで下さいと書いた銃を売ればそれは殺人の道具ではない」くらい例えを絞りたい気もするんだけど、それでも法治国家としては、ソフトウェアの開発者をなんらかの法律違反のほう助の罪に問うのはおかしい。

作った人に、それで人を殺せるとか、違法な利用ができるという認識があっても、それだけでその人を罪に問うべきじゃない。そんな法律を作ってはいけないしそんな運用をするのも間違ってる。なのに有罪にしてしまったのが第一審の誤りで、高裁と最高裁の判断は真っ当なのだ。

この映画は、金子さんを悪い意図を持った人ではなく不器用で純粋なエンジニアとして描いていてすごくほっとしたけど、それでも、完全にイノセントな天使のような人だったと考えるのはいい大人に対してちょっと失礼に思える。当時のエンジニアって、ものすごくざっくりと言うと「自力でP2Pソフトを開発するのってすごくチャレンジングで面白そう。完成させて開発者コミュニティに投稿したらみんな尊敬してくれるかな。でもそんなん作っちゃったら違法に使う人がいてもおかしくない。なんかそれって著作権法の穴なんじゃないのかな」と思いながらコード書いてる、って感じだったんじゃないかと思う。ちょっとまずい気はしてるけど、自分にできるのはコードを書くことだけで、世の中の問題を自分で解決するなんて無理。ソフトウェアでその部分を制御すればいいのでは?と思いついたのは逮捕された後だったりする。

彼がWinnyの修復を禁止されていたせいで日本のソフトウェアの発展が遅れた、と私もずっと思ってたけど、映画を見てその後いろいろ調べてみて、それだけじゃないなという気がしてきてる。TRONが本当は世界を席巻するはずだったとか、いろんなことを言う人がいたけど、今思うのは、誰が善人で誰が悪人だ、みたいな二元論で被害者意識を持つくらいなら、現実的に誰も彼もを自分の方に取り込むために何が問題で何をしないといけないか、ちゃんと考え抜いて、コツコツ調べて分析して対策を続ける者しか生き残れないってこと。技術だけじゃなくて知恵と努力が必要・・・そういえばそんなことを考えて、日本のエンジニアを助けたいとか言ってビジネススクールに通い始めたんだったっけ。何の役にも立てなかったわ。

でも細々と著作権の勉強は続けていたりする。著作権侵害は侵害された権利者だけが告訴できる「親告罪」なんじゃないのか?って話が映画の中でも出てたけど、TPP法改正以前からその除外とされてた「技術的保護手段の回避を行うことを専らその機能とする装置やプログラムを公衆に提供する行為」にWinnyは合致するので警察が告訴したってことなんだろう。その事件の裏に警察内部の問題の隠匿があったとこの映画では示唆する。さもありなん。いろんな権威が信じられなくなった今だから、観客もそこをくみ取ってついて行くことができる。

あの頃の同僚や弁護士たちは、この映画をどんな風に見るんだろうなぁ。あるいは見ないのかな。もう忘れてしまって、今立ち向かっている事件や問題にかかりきりになってるのかな。でも映画好きな者として、私くらいは、一人の無邪気で才能あふれるエンジニアが拘留されて有罪判決を受けて、早くに亡くなった事件のことをまじめに思い出していたい、と思うのです。

吉野耕平監督「ハケンアニメ!」3615本目

「バクマン!」の題材をアニメにしたような作品かと思って見てみました。あれも面白かった。あっちはジャンプの人気マンガが原作、こっちは意外にも辻村深月が原作。映画になった作品を並べて見てみると、原作の形態の違いはあまり気になりません。どっちも熱く燃えて作品を作り続ける人々を描いた力作。

何で小説家の辻村深月がアニメ制作現場の小説を書いたんだろう?と思ってWikipediaを見たら、もともとアニメ好きでかなり取材を重ねたらしいですね。なんかリアルなのでアニメ制作の経験があるのかしらと思ってしまった。

この映画では、まるで斉藤瞳がほぼ未経験から大抜擢されたみたいに見えるけど、後半に下積み時代を語る場面があります。にしても斉藤瞳は自分の作りたいものがはっきりしていて、どんな百戦錬磨の人たちにも臆せず戦えて強いなぁ。ここで臆してしまう人けっこういるんじゃないかな。

映像制作会社でど素人の別業界から来たばかりの私(※制作部門ではない)が3分ていどの番宣番組を作らされたとき、構成案17回書き直して、編集や音効のベテランになめられてバカにされてサンドバッグとなったときの記憶がよみがえってくる・・・記憶じゃなくてトラウマか、

それにしても。自分の意見を通し、最高のものを作ろうとする監督の思いと現場の無理は、心情的には理解できるけど、美談にしちゃいかんやつだよな。尺も納期も厳格なテレビの枠でアニメを作り続けることにはもはや無理がある。1分伸びても公開が3日遅れてもほかのコンテンツに影響しないネット配信からのスタートで、売上も時間も余裕を作れるように移行した方がいいと思う。監督が長生きしたとしても、末端のアニメーターが一人、二人、死ぬ。

吉岡里穂ってとても誠実な演者だなぁ。吉岡里穂なのに、ときどき江口のりこだったっけ?と思う。江口のりこが演じそうな(主観です、すみません)役柄になりきってるから。”天才”の中村倫也も尾野真千子もいい(いつものことだけど)。柄本佑もいいけどちょっとトラウマよみがえるな。

とにかく今はコージーコーナーのいちごエクレアが食べたい。原作ではポンデリングなんですって?(こういう提携ってすごくあるよなぁ・・・)

 

森井勇佑 監督「こちらあみ子」3614本目

この映画は、見始めてすぐ、あみ子ヤバいぞ!と気づいて、病院から赤ちゃんを抱かずに帰ってきたお母さんに「赤ちゃんは?」「赤ちゃんは?」と大声で毎日100回繰り返して、家族総出でボコボコにされるのかな、とドキドキしました。これは義母の視点。私もピリピリしてるときに無神経にうるさくされるのがかなり苦手です。

でも、一度やらかしてしまったことで完全崩壊する家庭であってほしくない、とあみ子の視点で感じていたりもします。純粋な善意による行いが赦される世の中であってほしい。愛情で解決できないか、試してみてほしかった。彼女を巻き込んできちんと話をしないのは”やさしさ”なのか、諦めと疎外なのか。あみ子は「なんでみんな黙ってるの」と一人でつぶやきます。

これ昔から自分の中で悩み続けてることなんですよ。私はあみ子のように空気読めない部分と、義母のように神経質な部分が両方あるので、あみ子に似た人を傷つけてしまったことも、義母のような人を傷つけてしまったこともあって、どうやって折り合いを付けたらいいかずっと考えてるけどまったく答は出ません。わかってることは、こういうことをあまり深刻に考えると、この映画のように辛いさびしい成り行きになってしまうということくらい。あみ子を変えるのも義母を変えるのもほぼ無理だし、父が受け止めることも兄がぐれないことも難しい。

昭和の戦前戦後の子どもたちの出てくる映画とか見てると、感情むきだしの暴れん坊なんていくらでもいて、親も先生もそいつらをボコボコに殴るし、泣かしたり怒らせたりしながら嘘のない気持ちをぶつけ合う中で、どの辺が中くらいなのかをなんとなくそれぞれわかっていくように見えます。何もかも正しくきれいな世界になってしまうと、どうやってもはみ出してしまうあみ子は置いてけぼりだ。

この映画の結末には、味方になってくれる大人を一人も見つけられないまま大人になって、しょうもない男にひっかかったあみ子が出てくるのかな、窓のない施設に閉じ込められて毎日絵を描いているあみ子かな、などと心配しながら見ました。あみ子なりの疎外感に圧倒されて海へ歩き出したら、沖の舟の人たちが最初は「おいでおいで」をしてたけど、それがだんだん「バイバイ」になってみんな行ってしまう。その瀬戸際。一人のときに事故にあって死んでしまう子どもって案外こういう瀬戸際を超えてしまった孤独な子たちも含まれるんじゃないか、と思ったりもします。

やらかしちまった人たちが、それぞれ、やっちまった後ろめたさを持ちつつも、完全に出ていかなくていい世界がいい。変な人もヤバい人も、まあまあウェルカムで、ぶつからずうまくお互いにすり抜けられる世界。いろいろあってもみんなでおいしいご飯が食べられる世界。そういうのを作っていきたいと思います。

噓のない、真正面から迫ってくる力作でした。

こちらあみ子

スタンリー・トン 監督「ポリス・ストーリー3」3613本目

「エブエブ」のミシェル・ヨーの若い頃のアクションを見てみたくなって、U-NEXTを検索したら入ってたのでさ~っとアクションの場面を中心に流して見てみました。

ほぼ今から30年前。ちょっと堅いですね。今のほうが圧倒的に妖艶で迫力があります。白雪姫に出てくる魔女みたいに、いろんな滋養を身に付けて美魔女になったのではないかと思うくらい。この映画ではミシェル・キングと名乗っていたようです。

ここではやっぱりジャッキー・チェンの親しみやすさとアクションのすごさが印象的で、改めて彼の作品も見直してみようかなと思いました。