映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

メアリー・マクガキアン監督「ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ」3689本目

タイトルを見ると、アポリネールとローランサンみたいにこの二人はそもそも恋人同士だったのかと思うけど、そういう話ではないです。見る順番としては、ドキュメンタリーの「アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー」を先に見て良かった。ル・コルビュジェのファンの私も、こっちが先だとついていけなかったと思う。

まぁそれにしてもこの作品のコルビュジェはカッコ悪いですね。上野の西洋美術館のような端正でクールな美を生み出した巨匠が、この体たらく・・・。

この2本を続けて見て「歴史に埋もれてしまった不幸な天才アイリーン」って結論付けて終わる人も多いかもしれないけど、彼女には上昇志向は見受けられない。才能と性格、生き方は別だし、才能のありすぎる女性は昔も今も叩き潰されることが多いので、本人は「お願いだからほっといて」って気持ちだったんじゃないかなと思う。家は自分たちが住むためのものを完璧に作れればそれで充分だったのでは。

それでも嫉妬に燃えるのが上昇志向の強い男たちだ。これほどの才能のある女性に寄ってくる男はダメ男と嫉妬男くらいなのだ。(決めつけすぎてるな)

現代に生きる才能豊かな女性たちに、目立ちすぎず幸せになってほしいと改めて思うのです・・・。

 

マルコ・オルシーニ 監督「アイリーン・グレイ 孤高のデザイナー」3688本目

この人のことは知らなかったけど、コンラン・ショップとかで見た記憶のあるお高い椅子やキャビネットのいくつかがこのドキュメンタリーで取り上げられていて、彼女のデザインだったことを知りました。ル・コルビジェは建築好きな私の憧れの崇高な建築家様なんだけど、彼がみにくい嫉妬心をむき出しにするほどの才能の持ち主だったというエピソードも興味深い。実際、ありそうな話です。「ル・コルビュジェとアイリーン 追憶のヴィラ」もさっそく見てみます。

それにしても、建築や洋服のデザイナーのドキュメンタリーや作品を見るのが大好きなのに、私はそういうのを所有したり身につけたいと全く思わないのはなぜだろう。あんな絵の中のような暮らしは自分に見合わないからかな。もし、有り金はたいてそういう生活をしてみたら、人間性ももっと洒落たものになるんだろうか・・・いや、なるわけないか(笑)

三浦大輔 監督「何者」3687本目

朝井リョウ原作作品はいつも、人間の心の裏側の部分を大事にしてるように感じる。誰にでもある、温かく優しい気持ちのほうじゃなくて、同様に誰にでもある、どろどろとして暗い想いのほう。なんでそっちを甘やかすんだろう、楽しくないのに。それとも、どろどろしていることが快適になってしまってるのかな。

こういう、自分の中の共感が少ない作品は、避けて通るより「自分以外の人たちが何を思っているか」から逃げないために、ときどきは見るようにしてるけど、やっぱり今回もこんな気持ちになってしまった。

何度見ても同じ気持ちになるかもしれないけど、気が合わない人とも一緒にご飯くらいは食べたいので、これからもときどき見てみる。

何者

何者

  • 佐藤健
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ロバート・ゼメキス監督「魔女がいっぱい」3686本目

<結末にすこし触れています>

「バックトゥザフューチャー」「フォレストガンプ」のゼメキス監督。子ども用の楽しい絵本を見ているような作品でした。

評価は低めだけど、まあ小さい子と一緒に見ると思えば、このくらいのわかりやすさも良いのでは。

なんかみんなネズミになっちゃって、ネズミの一生もいいものだ~♪ってなるところが、原作ロアルド・ダール(皮肉きつい)の面目躍如。

オクタヴィア・スペンサーおばあちゃんの温かさ、アン・ハサウェイの怪演も楽しいですね。原題「The Witches」に対して邦題「魔女がいっぱい」もいい。だってほんとにいっぱいいるんだもん!

製作・脚本に名を連ねてるギレルモ・デル・トロの色というか”毒”はあまり感じなかったな。デルトロ監督作品も、どんどん作ってほしいです。

マイク・リー監督「ヴェラ・ドレイク」3685本目

ハリポタシリーズ全作を見直すうちに、正しさを強硬に押し通そうとするアンブリッジ先生が主役を演じたこの作品も見たくなりました。

このおばちゃん・・・。ただ善良で優しいだけのあか抜けない中年女性。自分より困っている誰かのために尽くすんだけど、そのことが自分に犯罪としてのしかかってくることを、想像できなかった。でも想像していても辞めなかったかもしれない。

いつも小ぎれいにして、純血の価値観を守ることに誇りを持っているアンブリッジ先生とは真逆です。イギリスの俳優のこういう上手さがほんとに好きだわ。

懲役刑の判決、家族の苦しみ。「困っている人を助けようとしたの」では終わらない。失敗して亡くなった女性たちもいた。

刑務所で、同じ罪で投獄された女性たちと「あなたはどうやったの」「何年?」と話す場面はみょうに普通っぽくて、そこでの生活にヴェラおばさんも次第に慣れていくんだろうな、と少しほっとする感じがあります。刑務所に入ることは死ではないから。

70年後の今なら、ヴェラに感謝したりリスペクトしたりする人もいるだろう。

刑務所のほかの女性たちと違って、ヴェラは誰も死なせなかったから。・・・この辺のさじ加減に監督の考えが出てるなーと思う。ケン・ローチだったら、お金に困って有償で手術をして患者を死なせた女性が主役かもしれない。マイク・リーの女性たちは純真でやさしく、人を傷つけたりしないのだ。

でも、観客たちにこのテーマについて考えさせる上では、これで十分な気もする。私たちは無慈悲な作品を見すぎてるのかな??(いや現実にあることをそのまま作品化したものも多い)

前田陽一監督「虹をわたって」3684本目

なんと天地真理主演作品。U-NEXTの「新規入荷作品」で見つけて、つい見てしまった。1972年作品。歌を聞くとつい鼻声でものまねをしながら歌ってしまう世代、「まりちゃん自転車」が欲しかったけど買ってもらえなかった世代です。

彼女の存在感は今なら誰だろう、とたまに考える。明るく可愛らしく清楚でキャラが強すぎない、お人形的な存在。絶対的不可侵。多分この人、アイドル像は多分に人工的に作られたものだとしても、明るくてのんきで根っから天真爛漫な人なんじゃないかな、という気がする。あまり計算せず、このあと成人映画に出てしまったり、大人のキャラクターを作れずに今に至っているのが、すごく普通の人のように思えて。意外としっかりした歌声を聞いてると、「おかあさんといっしょ」の歌のおねえさんみたいな感じもする。

ドリフとかクレイジーキャッツとかの映画もだけど、流行を狙った昔の映画って、当時の人たちの服装や文化がリアルに伝わってくるので楽しい。当時はまだチビで、その頃の大人の世界は遠く思えてたけど、今見ると若造たちだ。

岸部シロー、なべおさみ、三井弘次、財津一郎、有島一郎、一緒に働いてるチャキチャキの女子は左幸恵だ。そして萩原健一。若い。若いけど初々しくなくてふてぶてしい。さすがだ。この頃、テンプターズは解散してPYGSという本格的なグループを組んでいて、映画「約束」で評価されて「太陽にほえろ!」にも出ている。でもその少し前にはテンプターズのアイドル映画やドリフの映画にも出ていた。当時はまだその後の方向性が世間的には確定していなくて、何でもやってた感じだな。

沢田研二もタイガース解散後、ショーケンとPYGSをやっていた時代。この映画の中で、あまりヒットしなかったらしいソロデビュー曲を歌う場面があります。・・・いろいろ、ちぐはぐな感じだけど、みんなまだ軸が出来上がってなかった時代だ。

「男はつらいよ」もドリフも、あらゆるアイドルやお笑い芸人をフィーチャーしたコメディ映画も、楽しくてそれなりに面白いのだ。今ってもうこういう安心して見られる映画ってあんまりないのかな?私はひとつの時代の文化として、こういう映画を振返ってみるのが大好きなんだけどね・・・。

 

成瀬巳喜男監督「女が階段を上がる時」3683本目

成瀬巳喜男監督作品は、最初に一気に数本見て、それからはポツポツと見ているだけ。いいなと思った作品はまとめて同じ監督の作品を見尽くすまで見ることが多いけど、15年前はDVDが出そろっていなかったんだろう。今はU-NEXTだけで18本もある。昔の映画が大好きな者としては本当にありがたい。

監督は女性を描くのがうますぎる、といつも思うけど、それより今回は高峰秀子の演技のすごさに参りました。彼女が演じる圭子は、孤高の銀座の女として、長年強く清く肩ひじ張ってやってきたけど、30という年齢(若いよ!)、母や兄の問題、銀座の他の女たち、自分を気に入って店に通う男たち、さまざまなものの重さで、崩れ落ちてしまう瞬間がやってくる。

この映画のタイトルは「階段を上がる時」だけど、女たちは階段を上がろうとしてつまづいたり落ちたりするだけで、上り詰める者はいない。女が階段を上れなかった世界。金を持ってるのは結局みんな男たちで、女たちは男を手玉に取っているつもりで奪われているだけだ。この時代には、女たちに希望を持たせる映画を作ることすら罪作りに思えて、ためらわれたのかもな、と思う。

でもこれで終わりじゃない。次の日はまた店で、幸せいっぱいのような輝く笑顔で客を迎える。たぶん彼女は新しい店でまたパトロンを探しながら、ゆくゆくはもう少し小さい小料理屋みたいなものを開いたりするのかもしれない。仕事上のパートナーである小松っちゃん(仲代達也)は、要領のいい純子(団令子)みたいな女と一緒になるのかもしれないけど、圭子と完全には切れないんじゃないかな。彼女の店でしれっと板前でもやってるのかもしれない。

人間、一度堕ちたところがスタートラインですよ。(知ったような口を)

銀座のホステスの中に、塩沢ときがいるのに気づいてしまった。私が知ってる彼女は、テレビドラマの中の風紀の先生だったので、お前がホステスかよと突っ込みたい気持ち・・・。