映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

スティーヴン・スピルバーグ監督「フェイブルマンズ」3643本目(KINENOTE未転記)

これもまた、見た後のあたたかい気持ちが、スピルバーグ。という作品でした。

ミシェル・ウィリアムズやっぱりうまい。悲痛な、身体の奥から湧いてきて止められない悲しみや渇望が、見ているものの胸にそのまま伝わってくる。これは、映画に夢中になった男が、少年の頃の映画との出会いと母との別れ、自分がまだ何者でもなかった頃の切なさをしみじみと回想した映画なのだわ。「ニュー・シネマ・パラダイス」だし「ROMA」だし、他に数々作られてきた映画監督の少年期は、映画鑑賞者の胸にもぐっとくるところがあります。でもやっぱり、母とベニーの関係、それも、父がよくよく理解した上でという点は異色で、まるで岡本かの子の映画を岡本太郎が撮ったかのような不思議な感触もあります。

列車と車の激突シーンがトラウマのように繰り返しよみがえってくる「地上最大のショウ」、私は10年前に見ていたけど、58点って!なにさまだと思ってたんでしょう、当時のわたしは。

竜巻を見に行ってしまう母。ピアノの才能があった母。純粋で嘘のない子どものままの心で大人になったんだな、この人は。この家族のその後はどうだったんだろう・・・知りたくてたまらないので、ググってみたら、このお母さまは2017年に亡くなっているけど、息子の授賞式などに姿を現してたくさんインタビューにも答えてたんですね。映画の母と同じブロンドのおかっぱ頭で、キラキラした瞳の、映画よりもっと勢いのある女性という印象。子どもたちへの深い愛情のこもったコメントが印象的です。

父を演じたのはポール・ダノ。父親役をやる歳なのか・・・。眉尻を下げた複雑な気持ちの表情、が印象的な彼なので、この役にはぴったりです。

ジョン・フォードはデイヴィッド・リンチなのか・・・。最初、吹替で見てたので見逃してしまった。字幕で見た二度目では、笑ってしまうくらいハマり役だわ。

天才的な頭脳を持つ理知的な父と、果てしない芸術的感性をもつ母から、硬軟どんなテーマでもエンターテイメント大作にしてしまう巨匠が生まれたんだなぁ。「一番好きなことを徹底的に楽しんでやれ」というのがユダヤの教え、となんとなく認識していたのが、この映画ではその通りだったように思います。

他人を、あるいは大切な人を傷つけないために我慢しなければならないときもあるけど、できるだけ自分に正直に生きるしかないんだよな。そうしないと、変にストレスをためて、SNSで自分と関係ない人たちを糾弾するような人にもなりかねないのだ。極端な話。でも日本社会はわりあい抑圧的で画一的なので、自分の本当に好きなもの、やりたいこと、わからなくなっている人が多分たくさんいる。年をとって自由な時間が増えたときに、ゆっくり考えて初めて気づくこともあると思う。イケてるおかしなじいさんばあさんがたくさんいる社会はたぶんいい社会だ。スピルバーグ一家のいいところは見習いたいもんです。

フェイブルマンズ (字幕版)

フェイブルマンズ (字幕版)

  • ミシェル・ウィリアムズ
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川口潤 監督「THE COLLECTORS さらば青春の新宿JAM」3642本目

新宿JAMの存在くらいは知ってたしコレクターズのライブもどこかで見た記憶のある元ロック娘の私でも、この映画の存在は知らなかった。これからこの映画を見る人はどれくらいいるんだろう。みんな見ればいいのになぁ。

JAMの場所は東新宿のほうなのか。全く行くことなかったなぁ。ロック娘の頃、パンクはカッコいいけどモッズはよくわからない、ファッション先行度合が強すぎる気がするし、採り入れて自分のものにするというより、形から入ってそのままと思えて、あんまりカッコいいとは思わなかった。

でもオバサンになるとわかることもある。クロサワとかオヅとかムラカミハルキとかを本気で愛する外国の若者の中には、そっくりそのままのコピーを作ろうとしてかなり独自の作品を作り始める人もいる。コレクターズの音楽はモッズかどうかはわからないけど、ポップでとても美しく、他の何物にも似ていない。本人たちの意図しない融合変性が体のなかで起こったんだ。加藤ひさしの声はびっくりするくらい今もよく通るし、古市コータローのギターはキレキレだ。もしや、今日本のシティ・ポップに狂喜している海外の人たちは、コレクターズを聴いたら好きになるんじゃないだろうか。

だってこの映画、この間見た「ブリティッシュ・ロック誕生の地下室」と同じなんだもん。アメリカのブルースに憧れたロンドンの若者たちと、モッズに憧れた新宿の若者たちはほぼ重なる。

しみじみと、いいバンドだなぁ、コレクターズ。

 

ロベール・ブレッソン監督「田舎司祭の日記」3641本目

<いろいろネタバレあります>

何やら陰鬱な表情の、若い田舎司祭が新しく村にやってくる。「ラルジャン」のロベール・ブレッソン、誰にでもある良い心と悪い心の葛藤や、悪運に巻き込まれて逃れられない運命を、あの映画でも描いてたように思います。

この設定や白黒の禁欲的な画面で思い出すのはミヒャエル・ハネケ「白いリボン」ですが、あっちは司祭に妻が来るし、閉塞的な村から徴兵によって抜け出しました。この映画で村人が語る「自分が従軍したときの上官は元牧師だった、彼はラバの上で戦死した」ということばが、「白いリボン」の牧師の行く末だったら切ないなぁ、と思ってしまった。村の人々は「白いリボン」のほうが悪辣で、こちらは清濁併せ持った普通の人々に見えます。

そもそも神って。宗教って。一律同じものとして学んだり運営していくのには無理のある、一人ひとりの心の中の存在のようにも思えます。神学校で教えることと、村の教会で教えることは、目的が違うのでかなり違うのかもしれない。よくできた人は、「人々のさまざまな状況をすべて愛で包み込む普遍性の高いものが宗教だ」というかもしれないけど、戦争と平和の両方を包み込める愛なんてあるんだろうか?

こういう作品を見ると、映画そのものを超えて考え込んでしまいますね・・・。

田舎司祭の日記(字幕版)

田舎司祭の日記(字幕版)

  • クロード・レイデュ
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オードレイ・ディヴァン監督「あのこと」3640本目

公式に医師の手に寄らず堕胎するって、最悪どういうことだろう・・・と想像したおそろしいことが一通りぜんぶ時系列的になぞられた映画でした。さすがアニー・エルノー、今たぶん世界一自分を客体として観察できる人。一切目を背けずに、”そのこと”を写し続けた監督の覚悟もすごいな。

彼女(主役アンヌであり、作者アニーでもある)は後にノーベル文学賞を受賞するくらい突出した学生だったのでしょう。フランスの階級感覚を想像するのは難しいけど、若く野心的な彼女が、学位を取ることをどれほど重要な通過点として欲していたか。そこをしっかり伝えるのは、彼女の特異性を際立たせるためではなくて、堕胎しなければならない女性の事情と彼女の強い要望を描くためだと思います。

一方、そうなるに至った事情は、相手がどこで会った誰かという程度にしか触れられません。どのように彼らは避妊に失敗したか、彼女がどういう気持ちで行きずりの男と寝たのか。望まない妊娠に至る事情は人それぞれだから、ここを描きすぎるとその先の共感度合いにひびくから。堕胎の物語であって、恋愛や男女の物語ではないから、だと思います。日本映画だと、男が暴力的だったり、彼女に深い悩みがあったりと、避妊できなかった理屈をくどくどと描くこともありそうだけど、これはコンテクストの映画ではなくて、世界一(と私は思ってる)冷徹なアニー・エルノーによる堕胎する女性の観察小説だから。

それにしても、これを生き抜くには相当強い身体が必要だ。何度も身体を刺激しても、ひどい感染症にもならず奇跡の回復力をみせて勉強を続ける。堕胎しなくていい方が母体には安全なので、この状況に陥っても学業を続けられる仕組みを作る、という考えもあるだろうし、安全な堕胎(少なくとも違法ではない)方法の研究もひとつの解決方法です。でもやっぱり、この映画で起こったことを防ぐためには、なるべく確実な避妊と、直後に女性が自分でできる避妊対策が有効なんだろうな。・・・自分も女性なので、自分にも起こりえたかもしれないことをどう防ぐか、という風にどうしても考えてしまいますよね・・・。

30年前ならサンドリーヌ・ボネールがアンヌを演じたかな。顏は変わってないなのに、あまりに貫禄があって、彼女が母親役だと気づくのに時間がかかってしまいました!

あのこと(字幕版)

あのこと(字幕版)

  • アナマリア・ヴァルトロメイ
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中村高寛監督「ヨコハマメリー」3639本目

これは、胸に来るな・・・。戦後の混乱のなかを必死で生き抜いてきた人たち。世の中のモラルは、いつも後付けなのだ。一番大切なのは、生きること。それと、愛すること。その二つをまっとうした美しい生命たちの可憐な姿をいくつも見せてもらいました。

元次郎さんもメリーさんも、ミッキー安川も、大野一雄もその息子の大野慶人も、団鬼六もみんなもういない。でも多分、今もどこか、意外と近くに、こんな風にひたすら生きてる小さな人がたくさんいるんだろうな。

メリーさんは濱マイクの映画やドラマに出てきた、優雅で気位の高い年老いた娼婦のイメージだけど、大野一雄の「ラ・アルヘンチータ頌」だって同じくらい白塗りだ。時代感覚も美的感覚も久しく止まったままになってたけど、心の中はすごくロマンチックな少女のような人だったんじゃないだろうか。自分が思うとおりにしか生きられない不器用な人。自分の顏にヨーロッパのお人形の絵を描いて、お姫様の服を着てた。

映画の最後に、老人向けの施設にいるメリーさんの姿が映るんだけど、これがなんとも上品でお肌のきれいなおばあちゃんだ。若い頃はほんとにきれいだったんだろうなぁ。

それに、世間は冷たくても、伊勢佐木町には優しい人が何人もいた。彼女は今でいうホームレスだけど、彼女が寝るためのベンチを空けてあげていた人がいた。お茶を飲んだりクリーニングを出したり、髪を整えたりする場所があった。

一部の人が彼女を神格化した、と批判的に書いてるものも見たけど、あんなにちっちゃなおばあちゃんに何を負わせようとしてもムリだ。もし施設にいる彼女に、私が何かのボランティアとして出会ってたら、たぶん可愛いおばあちゃんだなぁと思って自分から仲良くしただろうな。手をつないで一緒にトイレに行ったり、小さい女の子どうしのようにお菓子を食べたり。

メリーさん以外の街の女性たちは、みんな散り散りにいろんな人になっていったんだろうか。ヤンバルクイナみたいにその場にいつづけたメリーさん。安全なところからセンチメンタリズムで彼女を懐かしむのも人間、他人なのに手をさしのべて面倒をみてしまうのも人間。元次郎さんの染みる歌を聴きながら、なんともいえず素敵な気持ちになる、魔法のような作品でした。

ヨコハマメリー

ヨコハマメリー

  • 永登元次郎
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中江裕司 監督「土を喰らう十二ヵ月」3638本目

枯れた味わいのある、山菜や筍の土くささが漂ってくるような作品。河瀨直美の一連の作品や、「リトルフォレスト」や、NHKの「やまと尼寺 精進日記」など、山のものを料理するいろんな映像を思い出す。(お通夜の日にネクタイ締めて料理している沢田研二は、土井義春の父の土井勝に見えてしまう)

枯れてるけど、まだ死にそうにない。お腹は出たけど血色のいい沢田研二(ツトム)、地味なアースカラーをまとった松たか子(別れを告げに来たときだけ、藪を歩きづらそうなロングブーツに赤いスーツ)、ずうずうしい西田尚美と尾美としのり夫妻、みんなまあまあ元気だ。

というわけで、実は全然枯れてない映画だった。この監督は若い頃「パイナップルツアーズ」や名作「ナビイの恋」を撮った人じゃないか。てーげーで優しくて元気でバカ、そういう若者を描いた作品たち。あの、私と同世代のてーげーな監督が、今はこんなぱっと見「祖谷物語」みたいな映画を撮る歳になってたんだと思うと、感慨があります。

沢田研二って、多分イケメンでセクシーな自分があまり好きじゃなかった人なんじゃないかなと思う。同じように高齢者になった田中裕子と二人で、地味で普通な生活を送ることをじっくり味わってるように見える。

U-NEXT特典として付加されてた監督・松たか子・土井義春のトーク映像を見ると、監督は達観した教祖みたいな河瀨直美とは違って、緊張しまくってしゃべりまくっていて、ああやっぱりこの人は「ナビイの恋」の人だ、となんだかほっとしました。この作品でも、生に対する色気や欲がまだまだある自分たちが枯れた生活に憧れる、という距離感が感じられるところが、親しみやすさになってる気がします。ちゃんと明るくて、ちゃんと生き生きした、気持ちいい山の生活。水上勉はほんとはこんな人じゃなかったと思うけど(だって「飢餓海峡」だよ)、確かに沢田研二はすごくいいし、なんとなくこの映画好きだな。

 

ポール・バーホーベン 監督「ブラックブック」3637本目

「トータル・リコール」「氷の微笑」、イザベル・ユペールの「エル」を監督した、あのバーホーベン監督の2006年の作品。全編ドイツ語です。この監督の作品は、人物のたたずまいがリアルで、よく知っている誰かを見ているような生々しさがあります。(たとえロボットや娼婦でも)

ナチスの支配下にあるオランダのユダヤ人女性歌手が、ナチスの手を逃れようとして家族を失い、お金をだまし取られ、ぎりぎり生き延びて復讐に燃えます。敵を愛してしまう女スパイ。追いつめられては逃げのびて、生死のきわを走り抜けていく。裏切るのも愛するのも信じるのも彼女にとっては真剣です。

面白かったなぁ。映画らしい映画だ。それほど響いてこない映画との違いを説明するのが難しいけど、やっぱり人物たちの邪悪さと、それと裏腹な脇の甘さ、日常生活の普通さ、とかがリアリティを作り上げてるのかな。何一つ奇をてらったところのないバーホーベン監督作品、とてもいい作品でした。