映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ジャ・ジャンクー「新世紀ロマンティクス」4110本目

居間の椅子に座って、今までに見たジャ・ジャンクー作品を思い出しながら見ていると、暗澹としてくるような、切ないような、あたたかいような、なんともいえない気持ちになってきました。彼の描く世界は中国の郊外なんだけど、一番さびれていた頃の私の故郷の近くの温泉街のようすと重ねて思い出してしまうんですよね。今までに何本か見た彼の作品は、わびしい気持ちになってしまうものばかりだったけど、ここにきてチャオとビンの数十年間をたどられてしまうと、こんなに探し続けても見つからない、見つけてもそれは探していたものとはもう違っている、その事実がますます重くて。「6歳のボクが大人になるまで」のような年代記なんだけど、希望に向かって成長していくのと逆。個人的には、この年月の重さが迫ってきました。

もうひとつ言うと、中国のいなかから日本に来て一生懸命勉強して、私によくなついてくれて、一生懸命仕事を探したけど、その後連絡が取れなくなった子のことを思い出したりしています。勝手に重ねて考えるのも失礼な話で、いなかに帰っても元気にやっていて、いい出会いがあって仕事を楽しんだりしているのかもしれないけど。

マカオ特別行政区の珠海というところは知りませんでした。香港に面する深圳のような街なのかな。と思って地図を見たら珠海から香港まで電車で2時間切るくらい狭い地域に集まってるようです。違う人が撮影したら、華々しいテクノロジーの集積地、豊かで明るい街、という風になるのかもしれません。

つまり私のノスタルジーは自分の経験からくるもので、KINENOTEの平均的なレビュー評点が低いのは個人の経験に左右されてない評価ってことなのかもしれません。

こういう中国の郊外とか行ってみたいけど、ますます遠ざかっていくようで行けないですね。留学生はこんなにたくさん日本に来てるけど。

 

佐向大監督「中山教頭の人生テスト」4109本目

<結末や核心部分にふれています、これから見る方はどうぞご覧にならないよう>

途中までは「すごくいい映画じゃないか」って思ってたんだけど、最後30分でドン引きしてしまった。中山教頭っていいキャラだし、一見本当にいそうに見えるけど、「大人の言うことは全部間違ってるんだよ」と言い切り、教室で「戦争はなくならない」と話す教師が、校長試験で自分自身がカンニングしてしまうっていうのは、ないだろう…。これが学校と関係ない、たとえば運転免許試験なら、人格を分けて悪いことができるかもしれないけど、ど真ん中の校長試験だと「バレたらごめんでは済まない」っていう頭が反射的に働くはずだ、小心者ほど。停職、減給、そして校長になる道は絶たれるはず。中山教頭は小市民なので、簡単に見つかりそうなやり方でカンニングをするようなことはないはず。隠れて不倫とか、賭博とかのほうがよっぽどありうる。

ルールを守ることをポリシーにして前代未聞の小学生の出席停止を実施する人が、たったの8万円のために学校のお金に手を付けるってのも不自然に思える。自分のふところから出せば済む話で、見つかっても言いわけのしようがある。これを得意げに告発する教師は私も人間的にどうかと思うけど。この世界には、善悪のものさしがなくて、何もかも小学生の善悪観みたいにぼんやりとしてる。なんか全部灰色だ。きびしいひとはみんなわるいひとだ、みたいな価値観。医療現場の人たちとか、電気や交通や水道とかのライフラインに従事してる人が見ると、一瞬でも気を抜くと人が死んじゃうので、ぜんぶ「いいよいいよ」ではだめな世界と、子どもの教育みたいなあいまいさを残す世界は区別してるもんだと思うんだ。タバコは見逃してもクスリは命がけでやめさせる、みたいな区別は、本気で人を守るつもりの人にはあるはず。(常習してしまった人を責めないでゆっくり更生させる、は別問題)

…みたいな感想を書いてる人が一人もいないのを見ると、私だけがきびしすぎるのかな。この映画はとてもよくできているし面白いけど、もっとたくさんの人がこの映画を見る機会があったとしたら、私みたいな人ももう少したくさん出てくるんじゃないかと思います。

 

パヤル・カパーリヤー監督「私たちが光と想うすべて」4108本目

<ストーリーに触れています>

これは、インドの女性が自分たち女性を初めて描いた(私が知らなかっただけで今までにもあったんだろうけど、私にとっては)自分たちの愛と心の映画だ、と思いました。これ西葛西でも同じような映画が作れそうだし、もっと言うと、東京近郊で働く日本人女性たちに置き換えても撮れるかもしれない。

インド映画にピアノのBGM、というところでまず驚きます。インドの映画はボリウッドものを見ることが多いけど(「河」とか「大地のうた」とか社会派作品も昔からあるか)、製薬業界にもIT業界にもインド出身の同僚はたくさんいて、みんな物静かで繊細なので、踊り歌う人々と普段の彼ら、どっちが本当なの?と聞いたこともあるくらいです。男性もだけど女性はもっと優しくて、実際に会って話した女性たちにはボリウッドのリズミカルな音楽よりこの映画の音楽のほうが合います。ストーリーも、ボリウッド的な荒唐無稽とは違うファンタジー感があって、ボリウッド推しのインドの人たちからは期待外れだと思われたかもしれません。

宗教の違いやカーストの違い、伝統的な風習や文化、いろんなもののなかで自己主張を抑えて生きてきた女性がこの国には多いと思います。最高の大学を出て欧米の企業で大金を稼ぐことでカーストを超えるのがムンバイ・ドリームとされているけど、争いを避けたい優しい人たちにとっては、家族や仲間たちと集まって助け合って暮らすことは反撥したくなるだけではなくて、大事な人たちとの生活でもあるのかもしれない。家族のために毎晩スパイスを炒るところから料理をする、離れているけど夫のことを想う、という日々はささやかな心のぬくもりでもあり、39歳の女性監督にとって身近な思いなんじゃないかな。興味のない人と結婚させられるのは嫌だけど、一度付き合い始めたら、あるいは結婚したら、その人のことだけを大事に思い続けるのだって自由だ。自分が救命した男性がもし夫だったら。でも、会いたいけど、もし会えたら別れを告げたくなりそうだ。…家族を大切にしたい気持ちだけ持って帰って、ドクターと新しい生活を始めたっていいと思うけどね…。

調理人のふるさとラトナギリは、ムンバイから電車で7時間弱ほど海岸沿いを南下した海辺の町のようです(Google Mapによる)。楽しみのための旅行なんてしたことのない人が多いと思うので、いい非日常を過ごせてるんじゃないかな。(しばらく留守にしてるようだけど、猫はどうなったかな…。)

私たちが光と想うすべて

私たちが光と想うすべて

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ツォウ・シーチン監督「左利きの少女」4107本目

ショーン・ベイカー監督には「フロリダプロジェクト」で出会って、その後ずっと追っかけています。カラフルでキッチュで、感情むき出しで失敗ばっかりしてる登場人物に対するまなざしが温かい。そういうベイカー監督の世界を、そのまま台北にもってきたというか、昔から台北にもあったそんな世界を再発見した作品、と感じました。

昔ながらの家のしきたり、裕福になることや悪目立ちしないことが良いという伝統的な価値観。もっと若い頃にやらかしたことを、隠し通すのが親心とか、黙って耐えて尽くすとか、善にも見える努力のために押しつぶされている気持ちもあったんだな。

「ごめんなさい」と言って回る場面があるんですよ。そこで誰も怒らずに、これからは気を付けてねと笑う。こういう世界がいいな。ちゃんとけんかして、しょうがないなーって思って、明日からがんばる。この町に住みたいです。

出演者についていうと、5歳のイージンがとにかく可愛い!可愛い!”悪魔の左手”のことでひどく傷つくけど、立ち直ってがんばる強い子のはず。

そのお姉ちゃんはこの作品中一番の乱暴者でワル(アノーラ的な)だけど、真心が隠れています。つっても過去も今も一番いろいろあります。

お母さんは若干メロドラマ入っててシリアス感があります。その父と母と妹たちが伝統価値観のど真ん中で、その元夫はフェイドアウト…。

シーチン監督はベイカー監督作品にずっと深くかかわってきたそうなので、世界観が同じなのは当然なんだけど、彼女自身の世界をこれからどう広げていくのかがポイントなんだろうな。重くしすぎず、今まで見えていなかったいろんな町の片隅に目を向けていってほしいです。

ルイ・マル監督「ブラック・ムーン」4106本目

以前一度見たけど、なんだかわからないままレンタル期限終了となった作品を見直してみます。ルイ・マルわりと好きなはずなんだけどな。

「地下鉄のザジ」と「五月のミル」の監督だ。子ども心、大いなる皮肉、生死と性。などをキーワードとして見てみたいです。

主役の女の子の名前はリリーだけど、不思議の国のアリス感すごい。理由を説明しづらいけど、まじめで無垢な子どもが女性になりはじめていて、子どものプライドと性への好奇心、やけに軽い死とそれに対する興味…と、彼女の目線で語られるから妄想が膨らみ、謎が深まる世界が広がります。子どもの妄想というポイントからは「落下の王国」の極端な世界観も思い出します。

それにしてもユニコーンの演技力すごい。ユニコーンが出てくるってことは、西欧世界的には女性の性の目覚めが描かれてるわけなんだろうし、冒頭自分は男性であるというように男装しているリリーが、男たちが女たちを虐殺しているのを見て髪を振り乱して逃げる(女性性の自覚)→女たちが男をリンチ(それもいやだ)→虫たち・ユニコーン・全裸の子どもたち・白い羊たちと黒い羊たち・豚・鶏・蛇。

虫が体の上を這うとか、見るだけにしてもゴキブリなんかは鳥肌が立つほど気持ち悪かったりして、いずれにしても身体感覚をヒットする出来事が連続します。

大きなネズミと謎の言語で話す家の奥の老女は、娘→ママのミルクを欲したりして、本当は赤ん坊なのか。何をしても笑われるし、目覚まし時計は止めても止めても鳴り続ける。嫌なことばかり起こって、止めることができない、巻き込まれている。息子はタイピングか点字で彼女に言葉を伝えてるんだろうか。安易な死と、いけにえの子羊にょる安直な復活、娘が母となって、生まれ直した老女を母乳ではぐくむ。

真面目な話をしてるときに、どうやってもパンツが脱げてしまって爆笑、写真を撮る、怒る、ってまるで「クレヨンしんちゃん」のような幼児感覚です。

追いかけるのをやめて、老女がいたベッドで寝ていたらやってくるユニコーン。蛇は狡猾のしるしで、彼女はカオスを乗り越えて大人になる決意をしたのでした。…みたいな。

理解しようとしてもわかるもんじゃないけど、仏画とかヒエロニムス・ボスの絵を見るように、今何が映っているのか、よく目を凝らして見ていると、断片からうっすら全体が見えてくるような気がします。

こういう映画って、理屈が得意な大人より、小さい子のほうが制作者の意図がストレートに伝わるのかもね。

 

ブルーノ・ニュイッテン監督「カミーユ・クローデル」4105本目

1988年作品。カミーユ・クローデルという人のことを、当時この映画で知ったけど、見るのは初めて。その後今に至るまでのどこかで、彼女の彫刻作品を見て、ロダンのようにドラマチックだけど線の弱さを感じた記憶があります。

イザベル・アジャーニって人は女性性が強くてそれに翻弄されるイメージがあって(彼女が演じる役柄のイメージだと思います)、ヴィヴィアン・リーの系譜だと思っていたけど、この映画ではヘレナ・ボナム・カーターも連想しました。童顔で美しくて、汚れ役を辞さない。中でもこの作品は彼女の打ち立てた最高の役柄と言えそう。

少し離れて彼女を見下ろしていると、クレイジーだし危険だしちょっと怖いし…でも、今まで生きてきた中で、一瞬、彼女と同じ気持ちでいたことがあったんじゃない?(私の場合、一瞬より多いな、10瞬とか20瞬くらいあったかもしれない)歳をとってすっかり丸くなったけど、19歳のときの誇りや恐れはこんなものだったんじゃないか?

カミーユの、イザベルの、イノセントさを思うと、ただただ切ないですね。計算高い周囲の人たちと違って彼女は常に本物で、どんなに傷つけられても心に嘘をつかない崇高な魂だから。

昔も今も、彼女のような純粋な芸術家はたくさん存在してると思います。彼女たち、彼らが、壊れてしまわず、少しでも心安らかに創作をつづけられるといいな…。

カミーユ・クローデル [DVD]

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アンジェイ・ズラウスキー監督「シルバー・グローブ」4104本目

きっと何かで「一度は見ておくべき映画」として紹介されていたのをTSUTAYAの「単品レンタルリスト」に入れておいたんだろう。VODメインになってからTSUTAYAはたまにしか借りなくなってしまったけど、DVDでしか見られない作品も多いので、今でも半年に1回くらいはまとめて借りています。うちに届く頃には、なぜ借りたか覚えていることはまずない。

ポーランドの映画や文学って、アンジェイ・ワイダやイェジー・スコリモフスキー、スタニスワフ・レムとかを見ても、ヨーロッパ的な暗さ・重さ・歴史の長さと、ロシア的厳しさや面倒くささが重なって、ぐるぐるにからまってこじらせて外部のものにはなかなか入り込めない世界という気がします。すぐ南には、意外に明るいチェコがあるのに(最近知ったばかりだけど)。

この作品はKINENOTEのレビュアーの方々の感想や解説によると、長いし真剣に細部まで見ようとすると疲れそうなので、気軽に流して見てみました。それでもビジュアルのインパクトはすごい。人間の、みにくさというより動物的な部分を強調するとこうなるのか。動物的な部分といっても食や住については全く触れられず、生死と生き残りに必要な繁殖だけが取り上げられています。

普通に考えると、複数の男に一人の女より、複数の女に一人の男のほうが繁殖に適してる(人類は一度に基本一人、母体に長期間大きな負荷をかける形で繁殖するので)のに、男が多いのは、宇宙飛行士の男女比としては普通だけど、妊娠期間や子どもの成長機関が短いとしても、この映画の子孫は増えすぎ…。女性は復活するからいいのか?

シルバー・グローブの人々は「第七の封印」の死神のような顔をしていて、衣類の装飾はネイティブ・アメリカンが使った羽根飾りみたい。命を保ち、つなぐことが精いっぱいの開拓者ではなく、ずっと祭りや呪いのような宗教的なことを続けている聖職者たちに見える。シルバーグローブは地獄の門の前の広場で、もう生産活動が要らなくなった人間がそれでも争う姿を描いた、と言われたら納得しそうだ。

見どころはこの延々と続く強烈な祝祭的・呪術的な映像だと思います。この映像のためにはセリフは観念的にならざるをえなかったってことなのかな。