映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

シャルロット・ゲンズブール 監督「ジェーンとシャルロット」3809本目

いきなり東京だ。これオペラシティコンサートホール?ジェーン・バーキンがそこに来て歌ったのは2013年のことらしい。それから、ホテルの部屋、焼き鳥屋の赤ちょうちん…あれ、「ロスト・イン・トランスレーション」をシャルロット・ゲンズブールも撮りたくなったのかしら。

母ジェーンと娘シャルロット、と聞くと、「なまいきシャルロット」とか思い出してしまうけど、彼女も53歳だ。最近では「ニンフォマニアック」などで、とても大人な役をたくさんやっています。母も娘も、”常識”や”規範”より自分の中から出てくる感情や感覚を大事にし、自分を信じ、人間を信じる。すごく素直で繊細な二人です。人を疑って生きても、信じて生きても、一生は一度だけ。自分の心をきれいに保つと、きっと気持ちいいんだろうな、と思います。

ジェーン・バーキン、エルメスのバーキンの由来となった、片付けられないことで世界一有名な女性。名前はまったくもってイギリス人なんだけど、彼女のことはフランスで生まれ育った人のように思っている。それくらい、フランスに受け入れられ、愛された人です。私はフランスって国はかなり苦手なので(旅行したときに嫌な思い出しかない)、あの国で愛されるのってどういう人なんだろう、と思う。若い頃のジェーンも可愛い人だったけど、おばあさんになっても、心の柔らかい、可愛い人だなぁ…可愛いと思われたいとか考えない人だから、可愛いんだな。娘も「二番目の娘どうしだから似ている」という。

母と娘は、どこか二人の時間の終わりを見据えている。娘が母と自分を撮影している今この瞬間が、一瞬であり永遠だ、ということをわかっている。胸をぎゅっとつかまれる。母が、妖精みたいな少女だったときに歌った、ささやくような歌がはかなくて、本当に美しいものは必ずいつか死ぬ、ということを思い起こさせる。

この映画撮っといてよかったね。娘から母にできる最高のことだと思う。親しくおしゃべりをして、懐かしい場所に一緒に行って、少しだけ近くなる。お互いの痛みを少しだけ知る。

なんだか、自分のことでもないのに、そういう瞬間が大切でたまらない気がして、涙腺がゆるんでしまうのは、もう年寄りだからかな…。

 

本広克行 監督「ビューティフルドリーマー」3808本目

うる星やつらのほう、オリジナルの「ビューティフル・ドリーマー」(ナカグロあり)を検索してたらこんなのもあったので、見てみました。…まんまや!監督は、どうしても「ビューティフル・ドリーマー」を実写化してみたかったのかな。セリフから何から完コピな部分、多数。

商業映画っぽくなりすぎず、アマチュア感、大学生感、青臭さが残ってるのもよかったです。ていうか藤谷理子が出てるので「ヨーロッパ企画」かとずっと思って見てました。あの子いいですよね。何やらせても普通みたいに演じてくれて。

面白かったけど、結末はさわやかに現実に戻るのね。「ヨーロッパ企画」の作品だとばかり思っていたので、SF落ちに決まってる、と、決めつけて見てたので、若干、拍子抜けしてしまった。(←自分のせい)

升毅としかめっ面のヅラ台がずーっとにらめっこしてる場面が、好きすぎる。

 

押井守監督「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」3807本目

これ1984年か。バブルのまっただなか、やりたい放題やったんだな~

「世界サブカルチャー史」で押井守本人が語ってたので、見たくなりました。「うる星やつら」は昔から好きだったので、これだけ時間がたつ中で一度も見てないとは思えないけど、あんまり記憶にないな。

そういえば、ヒロインのラムちゃんはそもそも宇宙人だ。だからSF的な展開なんていくらでも考えられる。押井守、やったもの勝ち。

それにしてもラムちゃんの声が可愛い。(平野文。さすが)「夢邪気」の声は藤岡琢也か。アニメって時空を超えるから、5年前くらいの作品かなと思ってしまう(CGゼロなのも、制作上の信念だと思えば)けど、もう「チンドン屋」がわかる世代は少ないだろうな。(海外ではここ何て訳したんだろう、サンドイッチマンか?とまじめに悩んでしまった)

「責任とってね」は英語では何と訳したんだろう。ああ、これも気になってしかたない。

ストーリーは破綻しようとして破綻しているというか、この頃ってほんと、今敏とかもめくるめく空想の異世界を縦横無尽に駆け抜けていて、日本人がまじめで堅いなんて誰が言った、心の中はこんななんだ、と言いたくなる。(誰にともなく)

昔見たものや好きだったものを改めて見直すのって、ほんとにいいな。今の世界にVODがあることに感謝だ。

 

ダニー・ガルシア監督「Rolling Stone ブライアン・ジョーンズの生と死」3806本目

ドラッグで亡くなったんだとばかり思ってたけど、この時代なら陰謀もあったのかもな…。誰の?警察の?周囲の利益関係者?…大きくなりすぎた人物には、その周囲に闇が集まってくる。なんかホラー系の映画の話をしてるみたいだけど、欲や羨望にまみれて闇に飲まれてしまう人のうち誰かが、危害を加えたい気持ちを抑えられなくなった、という可能性はいろんなケースでありうると思う。

何が何でもドラッグだけが悪い、弱いところのあるスターはみんな自滅する、というわけでもないのかもしれない。これからは、ロックスター+若すぎる死=ドラッグ、という思考停止は控えるようにします。

 

クリストファー・ノーラン監督「フォロウィング」3805本目

<ストーリーにふれています>

ノーラン監督のデビュー作。自主制作感や低予算感は強いけど、重厚で、制作者のこだわりのテイストがあふれる作品です。

複雑な時系列や主人公が抱える問題のありかたは、「メメント」を思わせるものがあって、これが下敷きになって「メメント」ができたのかな、と思う。集中して見れば一度でも理解できるけど、それでも、もう一度見返してみて初めてわかることも多い。

感想を書かれているみなさん、いろんな他の映画も思い出しているようですが、私は「マルホランド・ドライブ」も思い出しました。ノーラン監督がこのあと何度もテーマにする”良心の呵責”が、現実に起こったことの認識を歪めて、観客はその歪んだ現実だけを見せられる。犯罪者ってきっと私たちと紙一重で、万が一犯罪を犯してしまった場合、その重みに耐えられずに記憶を喪失したり、自分の行動を誰かに転嫁してしまったりする。この「紙一重感」が恐怖なんですよね、ある日自分がこうなってしまわないかと。

「マルホランド・ドライブ」を思い出したもうひとつの理由は、主人公の見た目がだんだん変わっていくところ。「マルホランド」では彼女が憧れた女性と自分が一体化していくけど、この作品では(「メメント」もだ)主人公を刺激し、そそのかす自分の分身が現れる。犯罪者の心理って、怖いけどすごく興味を惹かれてしまう。現代人の深層心理に迫っていくところが、ノーラン監督作品のすごさ、かもしれません。対象が1個人であっても、1つの国や1つの戦争、宇宙間であっても、浅く広くならずに、どこかを深く深く掘る。

この作品は、最後のどんでん返しが鮮やかだし、見る人を落ち着かなくさせる犯罪心理学的な部分が印象的だけど、この新人監督がいまのクリストファー・ノーランになることまでは、私には予想できない。だから、この作品を絶賛し、コマーシャルな作品の監督を次々と彼に任せていったプロの人たちの見る目はすごいなと、改めて思うのです。

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クリストファー・ノーラン監督「インソムニア」3804本目

「オッペンハイマー」見たら、ノーラン監督レトロスペクティブやりたくなりました。まだ見てないのが何本かある。

この作品は、悪徳警官アル・パチーノと、柔和に見えるけど実は冷血な大作家ロビン・ウィリアムズ…と聞いただけで、込み入った心理戦が予想されて胃がむかむかしてきます。(←ほめてます)

アル・パチーノってほんと、”悪気がある”演技がうまい…良心の呵責に目をつぶって、目先の利益のためにウソを重ねる男の表情。これが素なのかなと思うくらい、こういう役が多いけど、この映画の場合、ラストの場面のすっきりした表情との違いが、彼の演技の幅なんだなぁ。

ロビン・ウィリアムズの悪役は、見てるとなんか辛くなりますね。私やほかのあらゆる人と同様に、天使のような笑顔のときの彼にも悪い心はある。それを外に出して見せることは、彼を優しいピエロだと信じている子どもたちに対する裏切りになるのか?いい人でありたい、いい人だと思われて幸せになりたい、という望みは人類共通だと思うけど、その生き方を選んでしまうことは大変な重荷なのかもしれない。

しかしこの作品、商業映画の3作目ですよね。これほどの大俳優たちを使いこなす、すごい新人監督だったんだなぁ。この頃は一人の人間の中の善と悪(とくに悪の部分)に注目した作品が多いように感じるけど、今は社会全体をまるで一人の人間みたいに見て善と悪がどのように現れるか、という大きな絵を描いてくれているように思います。

他の作品もどんどん見てみよう。

 

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クリストファー・ノーラン監督「オッペンハイマー」3803本目

やっと見た―!めちゃくちゃ出遅れた。

で、感想です。つい最近、まるでこの映画のパロディのような村田喜代子の「新古事記」という小説を読んだばかりで(※実際はパロディではなく小説のほうが先。すっごく面白かった)、フローレンス・ピューが出てることもあって「ドント・ウォーリー・ダーリン」も思い出してしまうけど、この映画でいちばん強く思い出したのはポランスキー監督の「オフィサー・アンド・スパイ」でした。原子爆弾を開発した、という衝撃的な事実を置いておけば、一人の空気読みづらい天才科学者と、彼を妬んだ策略家との争いがいちばん印象に残るから。あと「Winny」の金子氏も思い出しますね。日本はアメリがと違って、彼を一度もまつりあげることなく、叩き潰しただけだったのが、なんだか恥ずかしく思えてきます。

キリアン・マーフィーの眼はいつ見ても透きとおってて美しい。不器用なキャラクターとの相乗効果で、無実を主張しているような、受難者の瞳と見えてしまいますね。妻エミリー・ブラントは、「私が正妻よ!」感強くてぴったり(もとは不倫なのに)。一方のフローレンス・ピュー、いつもは健康でたくましいのに(今回も背中の線とかはたくましいけど)どこか崩れた今回の役もうまかった!ロバート・ダウニーJrは、確かに彼なんだけど、こんなアクの強い官僚的な役がこれほどうまいなんて。ケイシー・アフレックどこにいたっけ、と思ったら、すぐ暗殺者を仕向けそうな将校が彼か。この映画のなかで一番ゾッとする怖さを感じさせました。助手ラミ・マレックもはまってました。彼はロックスターよりこういう役のほうが合うと思う。ボーア博士のケネス・ブラナー、いつもはあまり好きじゃないけどこの役の彼は好きだなぁ。アインシュタインを演じたトム・コンティもよかった。…という感じで役者陣が素晴らしかったですね。さすがノーラン監督、このキャスティングの良さ。

科学は諸刃の剣だから、開発者にその用途や使用範囲を決めさせてはいけない。利用する側の市民の代表が、英知の限りを尽くして最もダメージやリスクの少ない落としどころを決めなければならない。と思うのですが、そこはぶれない映画でした。

あとはやっぱり、日本人として、広島・長崎に彼らが何をしたのか、どんな映像を見てオッペンハイマーが何を悟ったのか。衝撃的な本物のような映像はゼロだったな。オッペンハイマーの夢だか妄想だかの中の映像に、ほんのマイルドな映像加工がちょっとだけあったけど、アメリカ大衆向けの商業映画ではこれ以上は無理ってことなんでしょう。オッペンハイマーの心境の変化の根拠として、映画のとても大事な部分なので、普通ならもっとしっかり描く必要があると思うけど、アラン・レネが作る反戦ドキュメンタリーではないから。

でも、そういう映像はないとわかって見ていても、閃光や熱線や、開発の成功を祝う場面では胸がずきっとします。あまり心臓にいいものじゃありません。それでも日本の大人はみんな、できるだけこの映画を見た方がいいと思う。(広島・長崎にも、もちろん行った方がいい)戦争のない未来のために必要なのは対話で、話し始める前に相手がどういう状況、どういう心情で戦争を戦ったのか、知っておくことは大事。(その上で、日本人は「私たちは怒ってるんだぞ、赦してなんかいない」というアピールをもっとしてもいいんじゃないか、とも思ったりします。ほんとに腹を立てるかどうか、仲たがいをするのか、とか、補償をどうこう言うのとは別の次元で。)

構成がややこしいとはいえ、見た目が老化してたり、映像を白黒にしたり、混乱したとしてもいくつかの時代に分かれていることは明らかで、「メメント」とかよりずっとマイルドで尖ってないアメリカの普通の人向けに作った作品だとわかる作品でした。