映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

マイケル・ウィンターボトム 監督「日蔭のふたり」3706本目

私、なんでこの映画の感想を書いてなかったんだろう。

大学の英文学部で原作者トマス・ハーディの授業を取ったけど、この本は読まないままだった。映画化されたものを見たのは偶然、確か・・・ドイツのどこか・・・ホテルかな。部屋に置かれたテレビで放送されてた。VODとかじゃなくて地上波。時差ボケで眠れなくて、夜中に部屋の電気もつけずに見てた。他のチャンネルでやってたドラマは、囚人らしい男性がボカシなしのフルヌードでぞろぞろ歩く場面がずっと続いてるので、びびってチャンネルを変えたら、この自由な若い人たちの牧歌的な(最初はね)ドラマをやってたので、こっちを見ることにした。途中から見たのでタイトル不明。言語は当然英語で、字幕はあったのかどうか思い出せない。

(結末にこれから触れますよ)

不幸にも前情報ゼロで見たので、結末に向けて起こるカタストロフィのショックが大きくてもう。一人旅、わりと傷心旅行の途中のヨーロッパのどこかの安いホテルの真っ暗な部屋で、まるでホラー映画のような、可愛い子どもたちの悲惨な姿を、その両親と同じくらい唐突に見てしまって、朝が来ても起き上がれないくらいのショックを受けて、今までに見た映画のなかで1,2を争う(ケーブルTVで繰り返し見てしまった「ローズマリーの赤ちゃん」と)トラウマ映画となってしまったのでした。

でもあの恐ろしいドラマはいったい何だったんだろうとずっと気になって、主役がケイト・ウィンスレットのド不幸なドラマ、テレビ映画かもしれないけどこれほどのキャスティングなら探せば見つかるはず・・・と探して、やっと見つかったのがコレ。大学生のときに原作を読んでいれば、こんな思いはせずに済んだのか。

「テス」は、当時の英語力でよくわからないまま読んだおかげか、ここまで不幸だとは感じなかった。テスはとてつもなく不運だけど、生まれてから死ぬまで、彼女自身は一度も人生を諦めなかったから、かな。この映画でも、妻と夫が助け合って添い遂げていればこれほどの絶望はなかったのか。

カトリックは離婚を禁じているけど、それ以上に自殺も禁じているので、子どもたちの魂は公式に救われることがない、という最悪の事態。そのうえ、結婚の手続きをとれなかったとはいえ、永遠の愛をやっと心から誓ったのに、試練に挫折してその意志を貫けなかったふたりに、神がほほえむことはあるのか?

19世紀イギリス「自然主義文学」は、映画がリアリズムを追求した時代に似てるのかな。

発見できたからといって、もう一度見ようという気持ちにはなれない映画だけど、見たときの気持ちを克明に覚えているので、いつでも感想は書けてしまうのでした。

日蔭のふたり [DVD]

日蔭のふたり [DVD]

  • ケイト・ウィンスレット
Amazon

 

オリヴィア・ニューマン 監督「ザリガニの鳴くところ」3705本目

(結末に触れています)

この原作(の翻訳)を読んだとき、「アメリカでベストセラーなんだ、すごく独特の世界で美しいけど、どこか拙くもある」って感想を書きました。著者は69歳の動物学者の女性。カイアの緻密な人物造形と比べて、二人の男の造形がゆるいし犯罪トリックの詰めが甘すぎるし、動機も見えてこない。・・・でも、これはありきたりの男女の物語ではなくて、たとえばネイティブ・アメリカンの娘と白人男性の物語だとしたら?彼女は人間社会より自然の一部であって、自分に近づいた二人の男は沼に魅入られたのだ、そこから抜けようとするものには沼の神の天罰が下るのだ・・・、という考え方も世界の片隅にはありうるんじゃないか?彼女が渡した首飾りは彼女の愛のしるしというより、彼女が彼女の沼に取り込んだ、宝物?獲物?のしるしにも思える。

出版者に話す言葉のなかに印象的なものがある。「カマキリの雌は強いんです」「ホタルは捕食のためにニセの光で誘う」(そして雄を食べる)「自然には善悪はないのかも。生きるための知恵よ、懸命なだけ」

著者も監督も女性で、プロデューサーがリーサ・ウィザースプーン。と聞くと、この作品もまた新しい「女性のリベンジ・ムービー」のひとつの形なのかもしれない、と思えてくる。「ラスト・ナイト・イン・ソーホー」とか「プロミシング・ヤング・ウーマン」みたいな。そもそも、地味な女一人にいい男二人というのは、女性が書くストーリーなのだ。女性が女性として重く背負ってきたものを、静かに解き放つ映画だ、という気もするんですよね。カイヤは最後に、同情の対象というみじめな存在を超えた、と。「テルマ&ルイーズ」ばりに。だって彼女には最初から、失うものは何もないんだもん。リーサ・ウィザースプーンや女性の制作陣が「あんな男、殺しちゃえばいいのよ!」ってカイヤを囲んで励ましてる図が目に浮かんでしまう。これもしかしたら「フライド・グリーン・トマト」の系列の映画でもあるのかな・・・。

ザリガニの鳴くところ (字幕版)

ザリガニの鳴くところ (字幕版)

  • デイジー・エドガー=ジョーンズ
Amazon

 

 

マルセル・カルネ監督「愛人ジュリエット」3704本目

1951年の作品だけど、リマスターされていてすっごく映像がきれいです。

「天井桟敷の人々」の監督だよね。「巴里の空の下」とか「嘆きのテレーズ」も見たな。人々が優雅で、ダンスを踊るように動く。夢の中みたいにどこかロマンチックで、でも胸がつぶれるくらい切ない。

この作品ではジェラール・フィリップが完璧な貧しい王子様で、とにかく美しくて健気なのだ。彼のプリンセスであるジュリエットも、純真で可愛らしい。濃いキャラの彼の雇い主を演じたロジェ・コーシモン、国も言語も違うのにベルイマン監督の「夏の夜は三たび微笑む」のグンナール・ビヨルンストランドを連想した。北欧やフランスに、こんなにくっきりとした容貌で黒髪黒い目の人がいるのか、と勝手に意外に感じてしまって。

私こういう、夢の中っていう空気のなかで、登場人物がみんなふわふわしてる世界がなんかすごく好きなんですよ。「去年マリエンバードで」とかも。見てて疲れない。昔の監督すぎて見られる作品は限られるけど、また見てみよう。

 

ペドロ・アルモドバル監督「抱擁のかけら」3703本目

アルモドバル監督作品はほとんど見てるけど、この作品の内容がよく思い出せなかったので、また見てみました。

順番でいうと、世界に知れ渡った「オール・アバウト・マイ・マザー」より「ボルベール」より後で、今見ると色彩のコントラストが強くなり、画面構成が洗練されてシンプルになっていて、「ペイン&グローリー」へ近づいていくのがわかる気がします。ストーリーも、この2本は、映画監督がかつて愛する人をフィーチャーして撮った作品に対してずっと持ち続けている悔悟の気持ちが中心となっているという点が共通しています。

この作品のなかのペネロペ・クルスは実に愛くるしいけど、”愛される女”でしかなくて、二人の男の間を行ったり来たりするだけ。自分の出演作品を完成させたいという意志以外、なにも見えてこない女性です。アルモドバル監督の女性に対する意識をずっと知りたくて、観察してるつもりなんだけど、「ペイン&グローリー」ほどあからさまに男性俳優を使わず、自分の愛する人の象徴として彼女を用いたんだろうか。オードリー・ヘップバーンふうの可愛いアイコンのようなジャケット写真を見ても、そう思います。

この作品でも「ペイン&グローリー」でも、復活した監督が完成させたい作品そのものは、わずかに垣間見ることしかできません。それぞれの映画で、似てるところもあるけど違うアプローチで物語は展開していて、これもすごく美しく切ない作品なんだけど、やっぱり「ペイン&グローリー」のほうが完成に近い、という気がしました。

それでもアルモドバル監督は、何かびっくりするような美しいものや意外な展開を見せてくれるから、何度見ても飽きないな・・・。

抱擁のかけら (字幕版)

抱擁のかけら (字幕版)

  • ペネロペ・クルス
Amazon

 

リチャード・カーティス監督「ラブ・アクチュアリー」3702本目

どんな人にも愛する喜びがある。異性でも家族でも。片思いでも両想いでも。という、ユーモラスで温かい作品です。

冒頭に、アメリカ同時多発テロについて言及する箇所があるんですよ。犠牲者の方々が最後に残したのは愛のメッセージだった。という流れなんだけど、私、これがダメというか、グッときすぎてしまって・・・。イエジー・スコリモフスキー「イレブン・ミニッツ」が頭から離れなくて、このあとの愛し合う人々がカタストロフィを迎えるように思えて、なんか泣いちゃうんですよ。ばかみたいだけど。まるで幽霊が出るよと言われるとギャン泣きする小学生並みに。

それくらい、愛は美しいけどはかないものだと私は認識している。でも、何度も冒頭で断念したこの映画を改めて見てみようと思ったのは、割と今落ち着いて生活に満足できてるからかな・・・。

とか言うのがばかばかしいほど、全体的にはハッピーな映画です。特に、アメリカで英国男がもてると信じて渡米するおめでたい青年のくだりと、クラウディア・シーファー好きの男がクラウディア・シーファーそっくりの女性(本人が演じてる)と知り合って付き合い始めるくだりとか。偶然に出会って、ふっと好きになって、うまくいったりいかなかったり。でもみんな愛して誰かに愛されて、というひとつひとつは小さな人生を送るのだ。

なんとなく、近くに人がいてもいいなという気分になる。こんなおばちゃんにもまだ、誰かと知り合って仲良くなる機会があるんだろうか。自分から山にこもっていないで、ドアを開けて待っててもいいのかな、という気にさせる映画なのでした。

 

ロバート・シオドマク監督「殺人者」3701本目

こういうスリリングな昔のサスペンス映画、大好き。バート・ランカスターのデビュー作ですって?彼の出演した映画って何本も見たけど、「泳ぐひと」のさまよい歩く姿が一番印象に残ってます。この作品の彼も、さまよい生き惑う若い頃の姿で、みょうに関連性を感じられてしまう。たくましいんだけど、妙に無垢な青い瞳がどこか頼りない。悪いんだけど極悪じゃなくて、うまく利用されて殺されるほう。賢く立ち回ってるつもりの他の男たち、そしてファム・ファタールの「キティ」。カーク・ダグラスみたいにアゴが割れたクール・ビューティ。

こういう女に魅入られたら、男ってのは道を踏み外してしまうんだろうな・・・。小粒なやつなら、どの会社にもどの団体にもいるのよ、こういうの。同性のことはよくわからないんだけど、少なくとも相当の割合で、いい女に操られたいと思ってる男が存在するようだ。トホホ。(死語)

退屈な日常から逃げ出したい欲求は「テルマ&ルイーズ」のように女性にもあるんだろうな。中には悪い男に連れ去られてひどい目にあう女性もたくさんいるのかもなぁ。冒険するなら誰も連れずに一人で飛び出す私には、連れは要らないけどな。

殺人者(字幕版)

殺人者(字幕版)

  • バート・ランカスター
Amazon

 

渡辺謙作 監督「はい、泳げません」3700本目

今年の4月から水泳教室に通い始めて、7カ月たったところ。いちおう背泳ぎとクロールはできたはずなのに、息継ぎのしかたを忘れてまるで泳げなくなってた。「はい、泳げ・・・ません(涙)」それでも先生方の教え方がうまくて、この7カ月でずいぶん泳げるようになりました。水泳は、筋力がなくてもできて、やってるうちに引き締まってくるのがいいですね・・・。

綾瀬はるかはアスリートや剣客の役が決まりますね。なんて清潔で健康的な、イルカみたいな水着姿でしょう。長谷川博己もぴったり。麻生久美子に無理に関西弁を話させる必要もなかった気がするけど彼女もいいし、阿部純子もいい。映像のセンスがちょっと変わってるというか凝ってるのもいい。ただ、コメディを期待した人には重かったようだし、本当にトラウマにさいなまれている人にしては健全すぎて(一生水辺から離れて暮らす人だっているだろう)、なかなかぴったりくる観客がいない映画になってしまったかもしれない。

キャスティングや映像、構成など、とても出来のいい作品で、見方によっては完成度が高いんじゃないかなぁ。なんとなくいいなと思う画面もたくさんあったし。

それはそうと、私は今ゴーグルのゴムのアレルギーが判明して、水泳に行くと顔が腫れ上がるという悲しい状態になっている。ゴムのないゴーグルを買ったらもう大丈夫!と思ってたのに、水から上がったらまた顔が痛い。プールの塩素が強すぎたりするのかな・・・。これで水泳に行けなくなったらすごく悲しいわ。