映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

斎藤久志 監督「草の響き」3791本目

これもまた佐藤泰志の原作。主役を演じるのは東出昌大。はなから彼は鬱という設定で、そういわれればそう見えるけど、彼のしっかりした体格や表情、力強く走る姿から、”暗さ”をあまり感じないのが、見ている者としては救いだな。その妻は奈緒。彼女の普通っぽさがこの世界に溶け込んでいて、一瞬ちょっと疲れたような表情も、いい。

これも、病んだ人がそこにいる日常の一片で、淡々と過ぎていく時間に半歩ずつ遅れていって、自分だけとてつもなく遠いところに置いて行かれると、当人だけが思っている、そういう風景だ。そのズレの存在、身近な他者が感じている痛みまでひしひしと受け止めてしまう人だから、著者は生きづらかったんだろうなとも思う。そういう日常をそのままの形で提示するのが、作家としての彼のいとなみ。

彼の作品に起承転結はなく、終わりを示すものもない。著者はやさしすぎて、作品中で生きている登場人物たちに「カット!」が言えなかったんじゃないか、と他の作品を見て思ったけど、別の見方をすると、作者が終わりを告げることは死を意味するから、生きている限りは書き続けるという意識でいたかったのかもしれない。

死にざまも生きざまの一部だ。それに誰かの死はその人のコミュニティの日常のひとこまでしかない。でもやっぱり、じわじわと、悪い、かなしみの予感が漂ってるんだよな。

自分の家族が倒れたり亡くなったりした直前の、よくもないけどまだそれほど悪くもない日常、を見ているようで、なんとも痛くかつ懐かしく感じるんだ、この人が原作の映画は。それでも懐かしさが勝つからか、見てしまうんだよな…。