映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ルカ・グァダニーノ 監督「君の名前で僕を呼んで」1899本目

歴史に残りそうなタイトル。
何も知らなくても、これがきわめてロマンチックな恋の映画だということがわかる。
その中でも、繊細で新鮮な感覚を期待させます。
だって、冒頭から軽やかでクラシカルなピアノ曲が流れて、ギリシャ彫刻の画像に手書き文字なんて、すごく斬新じゃないですか?タイトルが素敵だなだけじゃなくて、次に何が来るのか想像できないという、映画を見る者の喜びをぐんぐん高めてくれています。

ジェームズ・アイヴォリーとくれば、私たちの世代が思い出すのは「ハワーズ・エンド」「眺めのいい部屋」、そして「モーリス」。エリオの幼さも美しいし、オリヴァーの快活さも美しい。エリオが奏でるギターの音色もピアノの響も、すごく気を配って非常に綺麗に録音されています。「いいピアノの音」「いい弦を張ったギターの音」です。

最初から彼らは女の子たちになんか興味ないのね。
エリオくん=ティモシー・シャラメ は、この映画の続編が撮影されるころにはオリヴァー=アーミー・ハマーのような屈強な若者へと成長してるのでしょうか。

印象的な場面で何度も使われる坂本龍一ピアノ曲もまた美しい。「1996」に入ってる「M.A.Y in the Backyard」って曲。なんか恋する若者たちのバックにこんな曲が流れてると、とても高いところにいる人たちって感じがしてしまう。(私も若い頃、パンクとかワールドミュージックとかじゃなくてこんなピアノ曲を聴きながら恋をしたら、だいぶ上等な人間になってただろうか・・・わけないだろ・・・)
水死体みたいに美少年の彫像が浮かび上がって来るのを彼と彼が見て喜んでいる図って、無邪気でちょっと象徴的。

Is there anything I should know?
Because I wanted you to know.
って言いながら銅像の周りをぐるりと辿って向き合う。
何かが変わっちゃうのかな。何かが始まっちゃうのかな。

ラストシーンすごくいいですね。
家族がみんないるダイニングの隅で、暖炉に向かってうずくまるエリオ。
何もかもわかった上で、普段通りにテーブルに皿を並べる母。

これとか「アデル、ブルーは熱い色」とか「(500)日のサマー」とかさ。自分が恋をしたような甘さと苦さに浸れる映画ですよね。見終わってから苦しくなったりする。でも結局たぶん、すごく高揚したり泣きじゃくったりすることで生きた!って思えるのだ。

自分の名前で相手を呼ぶ、というのを真似してやってみるカップルっているんだろうな。同性どうしでも異性でも、なんか可愛くていい(異性だと違和感あるか)。

映像商品ではいくつかシーンを抜いて、続編に備えてるって話があった。続き、見たいなぁ!

マーク・ウェブ 監督「gifted/ギフテッド」1898本目

「(500)日のサマー」が、優しく何気ない映画だったように、この映画も、喜怒哀楽があるけどどこか穏やかさが続いてるようなところがある。それは、フランクがメアリーを見る目がずっと暖かいから。メアリーがずっと元気で優しいから。

でも、なんとなく小粒な感じだなぁ。期待通りすぎて。私もっといい部分を見落としてるのかしら・・・。

ショーン・ベイカー 監督「タンジェリン」1897本目

クリスマス・イブのロサンゼルス。分厚い上着を着た女、タンクトップ一枚の女。みんな娼婦だ。
半分くらい見たところで、iPhone3台で撮ったという話を思い出しました。
臨場感あるなーと思って見てたけど、言われないとわからない。それは映像に手ブレがないし音声もクリアだからかも。なるべくビカッと光る白いライトとか当てずに、それでも明るく撮るのってどうやったんだろう。実はがっつりと台座に置いて、ごついマイクも接続して撮ってたりして??

トランスジェンダーの二人が生きてて素敵で、「本物の女」のダイナの方がくたびれた雰囲気。アルメニア人ドライバーもいいなぁ。妻の母親からは、国を追われた悲劇の民みたいなレッテルとか絶対貼るなよ!と怒られそう。

群像劇というのでしょうか、こういう作品には観客の私がその場にいるように感じられる演出は効果的。
しかし、監督は何を撮りたかったんだろう、何を伝えたかったんだろう。よくわからないけど、突っ込んで考え込むのはとても無粋な感じのする映画です。

車の中にぶら下がってるオレンジの形の芳香剤が、なんか安っぽくて可愛い。。。
まさかこれが映画のタイトル??

リチャード・フライシャー 監督「ミクロの決死圏」1896本目

さっき見た「大魔神」と同じ1966年の作品。なんかこういう対比って楽しい。

あれ、原題は「Fantastic Voyage」素敵な旅、か。体内への旅と考えると素敵なのは確かだけど、このタイトルでは医療SF感がゼロです。邦題のほうがいいな。

冒頭でTWAとロゴの入った飛行機が着陸します。調べてみたらトランスワールド航空というのがアメリカにあって、その後アメリカン航空に吸収されたのね。東京には就航しなかったから知らなかったのか。パンナムはもとより、ノースウェストもないし、栄枯盛衰だよなぁ・・・。

でこの映画、以前にも見た記憶があるけど、こんな冷戦スパイものの設定だったんですね。
大真面目に科学的な説明をしてる・・・放射線とか。ドラえもんウルトラマンの科学的分析を経た私たちにはもはや、トンデモ科学にしか見えないはずなのに、だんだん彼らの世界に引きずり込まれてしまって、一緒に海流や気流や血小板と戦ってしまいます。これ、こども用科学番組が作れるな。
ただでも危険なミッションが、スパイ活動が関係してくるとスリル倍増だし、「裏切り」行動に及ぶ信憑性が出てきます。もう、一人足りないのに誰も注目しないことなんて追及しません。とてもスリリングな科学ファンタジーSF学習ドラマ?でした。

安田公義 監督「大魔神」1895本目

1966年の大映映画。
普通に、むかしの時代劇。このころの時代劇は、役者さんたちがまだ着物を着なれていて自然です。昔の日本の山々は、こういう少し濁った緑・茶系の色味だった、なんてことはないか。そうそう変わるわけないですね。当時の映画フィルムの色味なんだろうけど、妙に懐かしいような画面です。
そこに巨大な兵馬俑、じゃない、大魔神がぬおーっと立ち上がる。いやもともと立ってるけど、岩壁から抜け出て歩き始める。
時代劇としても、普通に見応えがあります。真剣で迫力のある演技、高田美和は博多人形みたいな美少女だし、悪党は見るからにタフだし。大魔神は、そこにいて違和感のないルックスだし、矢も鉄砲も受け付けないし、頭に棒が刺さってても、火を放たれても平気なのはハニワだから・・・。と、なんとなく納得しながら見られます。

しかし彼のトリガーポイントは何なのか。自分への敬意vs敵意でしょうか。いや・・・単に高田美和に惚れたか?(参考:キングコング)何らかの思いを遂げたあと、ハニワは土くれに還り、彼の魂は異次元へと旅立つのでした・・・。恋する男の物語、かな・・・。

いや面白かった。

マーティン・スコセッシ監督「沈黙 サイレンス」1894本目

原作が家にあったので高校生のときに読んで、衝撃だったけど結末に納得したのを覚えてる。
あまりに残酷な描写と聞いてたので、この映画が公開されても見に行くのがちょっと怖かったけど、描き方は淡々としてて、表現が怖いわけではなかった。怖いのは日本人の同調圧力の徹底的な残酷さ…。日本で50年も生きてれば、自分自身何度もこのカケラくらいは経験してる。おもてなしだとか、クールジャパンだとか言っても、私たちのDNAには西欧で第二次大戦のときに行われたのと同じくらい残虐な血が流れてる。それを自覚することでしか、抑えることはできない。

家で見てても緊張する映画だな。
人がいかに、それぞれの正義に凝り固まって殺したり殺されたりするか。キリスト教イスラム教で起こってることが、江戸時代に日本でも起こってたんだよね。外国でこの映画を見る人が、日本や日本人だけを恐怖や憎悪をしないように祈ります。

リーアム・ニーソンの貫禄。アダム・ドライバーの情熱。アンドリュー・ガーフィールドの純真。

イッセー尾形の名演技。笑いと虐めはよく似てて、笑いの残酷さを知ってる人の笑いのほうが深い気がする。

マーティン・スコセッシがこの映画を作ったのは、自分だけのための宗教は他者への愛ではないということを、キリスト教を自分のものとして感じている人たちに伝えなければならなかったから…だと思う。

踏み絵を踏むことは、踏んでしまえば大きなことではなかっただろう。でも、そこまで人の信念を辱める必要もないだろ。

この映画は日本人にも被害者意識だけじゃなく加害者の自覚を持たせる目的もあったのかもしれない。もしそうだったとしても、監督を不遜だとは私には言えないです。

コーネル・ムンドルッツォ監督「ホワイト・ゴッド 少女と犬の狂詩曲」1893本目

犬ヶ島」の関係で借りたかと思ったけど違った。「ジュピターズムーン」が良かったので、同じ監督の一つ前の作品を借りたのでした。それにしてもこの「犬ヶ島」感。人間はみんな「白人」なんだけど、やけにエキゾチックで、どこの人たち?って不思議な感触。主人公の少女の、まだ子供なのにしっかりした存在感、強いまなざし。

普段一緒に暮らしていない父親との、妙に男女を感じさせる視線のやりとり。ひそかなのでいやらしくないけど、ちょっとドキッとします。

犬パニック映画として見ると、不自然なところなく巧妙に犬たちに演技させていてすごいと思う。擬人化しなかった分、感情移入しにくい。 犬たちが反撃を始めるまでは理解できるけど、集団蜂起する気持ちまでは入れないなぁ。

それでもラストシーンにはなんだかすごい感動を覚えました。違う動物どうしの言葉を介さないコミュニケーション。宗教や道徳がいくら違っても、人間どうしでこのくらいの意思疎通ができないことはないはずだよな…とか思ったり。

少女の愛犬バーゲンと仲良くなる弱虫わんこが可愛い。
それにしても、雑種の愛犬と娘を前夫にあずけて仕事に行ってしまう母ったら冷たい…と思うけど、仕方ないっていう設定なのかなー。ペットホテルとかなかったんだろうか…。