映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

マーティン・スコセッシ監督「沈黙 サイレンス」1894本目

原作が家にあったので高校生のときに読んで、衝撃だったけど結末に納得したのを覚えてる。
あまりに残酷な描写と聞いてたので、この映画が公開されても見に行くのがちょっと怖かったけど、描き方は淡々としてて、表現が怖いわけではなかった。怖いのは日本人の同調圧力の徹底的な残酷さ…。日本で50年も生きてれば、自分自身何度もこのカケラくらいは経験してる。おもてなしだとか、クールジャパンだとか言っても、私たちのDNAには西欧で第二次大戦のときに行われたのと同じくらい残虐な血が流れてる。それを自覚することでしか、抑えることはできない。

家で見てても緊張する映画だな。
人がいかに、それぞれの正義に凝り固まって殺したり殺されたりするか。キリスト教イスラム教で起こってることが、江戸時代に日本でも起こってたんだよね。外国でこの映画を見る人が、日本や日本人だけを恐怖や憎悪をしないように祈ります。

リーアム・ニーソンの貫禄。アダム・ドライバーの情熱。アンドリュー・ガーフィールドの純真。

イッセー尾形の名演技。笑いと虐めはよく似てて、笑いの残酷さを知ってる人の笑いのほうが深い気がする。

マーティン・スコセッシがこの映画を作ったのは、自分だけのための宗教は他者への愛ではないということを、キリスト教を自分のものとして感じている人たちに伝えなければならなかったから…だと思う。

踏み絵を踏むことは、踏んでしまえば大きなことではなかっただろう。でも、そこまで人の信念を辱める必要もないだろ。

この映画は日本人にも被害者意識だけじゃなく加害者の自覚を持たせる目的もあったのかもしれない。もしそうだったとしても、監督を不遜だとは私には言えないです。