へんな映画だった。
可愛い女の子二人が、これでもかこれでもかと、少女なりの破壊のかぎりを尽くす映画だった。そこまでやるか?と違和感を感じたんだけど、そういう違和感には意味があることが多い。
この映画がつくられた1966年のチェコスロバキアは、ちょうど社会主義国になったばかり。元気な若い女の子たちのはじけるエネルギーには行き場がなくて、めちゃくちゃやりたい願望があったんだろうか。
今の日本やアメリカなら、少女たちが殺りくの限りを尽くす映画くらい普通に作りそうだ。大暴れしてもあの程度という「ひなぎく」のあの子たちが、逆になんだか不憫に思える。
身なりのいい老人男性をひっかけては、高級レストランでごちそうさせておいて、「乗り遅れちゃうんじゃない?」と列車に押し込んでバイバイ。若い男の子たちも群がってくるけど、彼らのことは電話で「またね」というくらい。若い男の子は彼女たちと同格で、老人たちは権威側ということかな。彼女達は老人たちをからかったりカモにしたりするけど、生身の人たちを傷つけようとか苦しめようという気持ちはない。
高級ホテルの誰もいないパーティ会場で、最初は遠慮がちだったのが、すぐに慣れてやりたい放題。今の日本でも、ごちそうの上をハイヒールで踏み歩くなんて映像は作れないだろうなぁ。食べ物を粗末にするのは、食べ物がまったくないんじゃなくて、あの老人たちのような「権威」が隠しているのを、「出してきなさいよ、私たちにも食べさせてよ」っていう感じなんだろうか、と想像してみる。だから、好き放題するあいだ、誰にも邪魔されたくない。のかなぁ。
正直よくわからないままだけど、可愛くて好き☆っていうような映画には思えなかったなぁ。
すごくセンスがよくて可愛いものがたくさん出てくる映画だったことは確かです。