映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

フランク・マーシャル&ライアン・サファーン監督「ジャズ・フェス:ニューオーリンズ・ストーリー」3547本目<KINENOTE未掲載>

ニューオーリンズのジャズ&ヘリテイジフェスティバル、今年が50周年なのか。ジャズフェスの話をいつも聞かされてたのは、30年くらい前。周りのロック少年少女たちがローリング・ストーンズからさかのぼってメコンデルタ発の泥臭いR&Bを熱心に聞いていて、彼らの話題はプロフェッサー・ロングヘア-とかネヴィル・ブラザーズとかDr.ジョンとかだった。私は洗練されたモータウン系とかフィリー・ソウルのほうが好きだったけど、いつか私もジャズフェスに行ってみたいなとずっと思ってた。30年間思い続けてる。

その頃は映像が簡単には見られない時代で、MTVが見られるようになってからもこのフェスの映像は見たことがなかったので、すごく興味をもって見始めた。

頭をカーンと殴られた気持ち。私の知ってるミュージシャンが全然いない。大きなフェスで、私が聞かないジャズミュージシャンも多いから、というより、私が聴いてた(というより聞かされてた)レジェンドはもうあまり残ってないみたいだ。当然だ。30年前も彼らはすでに孫のいるレジェンドだった。時間ができたからといって今からのこのこ行っても、もう遅すぎる。

「セプテンバー」が始まると勝手に気持ちが上がってくるけど、モーリス・ホワイト(デカ頭!)はもういないのだ。アラン・トゥーサンもいない。

でも、ジョージ・クリントンみたいに歌舞いてる若い地元のミュージシャンの音が伝統的だったりする。アーマ・トーマス81歳は現役、アーロン・ネヴィルの声は少し枯れたけど「アメイジング・グレイス」は昔にも増して胸に来る。30年前はこの町にあまり縁がなかったブルース・スプリングスティーンがアズベリー・パークの荒廃を歌った歌はこの町の傷ついた人たちの心に沁みとおる。

行きたいところがあれば、今すぐに行け。時間ができたときに行っても、そこにまだあるとは限らない。そこの様子が変わっていても受け入れられるかもしれないけど、なくなってしまう恐れもある。

最後に本筋と関係ない話をすると、後半に登場するマルディグラのなかのビッグ・チーフたちの身に着けているクジャクの羽は、ほぼ宝塚のフィナーレなんだよな。なんでこの2つが似通ってきたのか気になる。クジャクの羽が入手困難になってきて、宝塚の羽輪がだんだん小さくなってると聞いたけど、世界的に希少な在庫をニューオーリンズと宝塚で競っているんだろうか。などと思ってしまいました。