映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

アーサー・ペン 監督「奇跡の人」3439本目

すごい映画だ。最後まで目が離せなかった。

視覚・聴覚の二重障害を持つ人に限らず、接点を作れそうにない問題児に、周囲の者たちがどれくらい真剣に向き合えるか、という問題の最高の答えじゃないだろうか?

アーサー・ペン監督は、この5年後の「俺たちに明日はない」の監督だ。サリバン先生は、それと同じ年にダスティン・ホフマンを誘惑した(役柄の)アン・バンクロフトだ。なんて幅広い演技力。どちらの役も、そこにその人がいるようにリアリティがあります。

ヘレン・ケラーを演じたパティ・デューク、すごい。可愛い部分もありつつ、ジャングルで育った少年みたいに、何の秩序もないひとりぼっちの世界を生きているヘレンが、まさにそこにいるようです。

「奇跡の人」はヘレン・ケラーのことだとずっと思ってたけど原題は「奇跡を起こす人」=サリバン先生のほうだった。視点が違うよな、三重苦の象徴的存在に目が行く私と、克服させて奇跡をもたらした人に目が行く人たち。

頭の中は私たちと同じなのに、外部とのインターフェイスを持てない、閉じ込められたような状態の人たちの中には、ヘレン・ケラーのような人のほかに、自閉症の人もいる。彼女にサリバン先生がいて、東田直樹にファシリテーテッド・コミュニケーションがあった。神様がすべての人にそういう助けをもたらしてくれたら、と思う。

ザ・フーのTommyはこの実話に影響を受けたんだろうな。(ヘレン・ケラーと同様の障害をもちつつ匂いの感覚だけでピンボールの魔術師となって神格化される話)

これって「死の棘」とか「恍惚の人」とかと同じジャンルの映画とくくられるのかな。子どもの演技も含めて、感傷に訴える大げさな演出をしないところが立派で、抑えた分、映画の完成度が上がってる気がするのでした。

ジョン・フォード監督「怒りの葡萄」3438本目

1939年、大恐慌から回復しつつあるアメリカで、原作小説が発売された年のうちに公開された映画。ドキュメンタリー番組みたいなスピード感。

映画のなかでずっと「レッド・リヴァー・ヴァレー」が流れますが、レッド川って2つあるらしい。カナダ国境付近を流れる北のレッド川ではなく、ニューメキシコ~オクラホマ~ルイジアナと流れてミシシッピ川に合流する南のレッド川。この家族はこの川をさかのぼるように、夢の地カリフォルニアを目指して西へ、西へと旅をつづけたんですね。

この家族、主役のトムが30歳くらい、その父が”50歳の老農夫”という設定。(ビル・ナイみたいな父と東山千栄子みたいな母)移動中に亡くなる祖父母は70くらいか。まったくの新生活を始めるのは簡単じゃない年代です。

原作はバカ売れした一方で、オクラホマでもカリフォルニアでも「真実を伝えていない」と反発する人も多く、禁書扱いにされたとのこと。そうだよな、私この映画、明るい「ニーチェの馬」って感じだと思った。あの映画は私にはショックだったけど、この人たちも希望を奪われていくばかりだ。人はこうやって、「どんな仕事でもあればいい」という境地になっていくんだ。

お金のある人が、金脈を見つけて、安く人を使い、彼らの生活や環境への影響など何も考えずに商売をするようになり、さまざまなところからの突き上げで労働者保護や環境保護を考えるようになる。突き上げないで泣き寝入りしちゃダメなのだ。

予想では、がちがち労働闘争とか悲惨な死とかが連続する悲壮感の強い作品じゃないかと思ってたけど、実際はアメリカの大地を踏みしめる人間のたくましさが印象に残る、力強く明るい作品でした。どんな時代でもどんな国でも、しっかり働く大勢の人たちが支えてるんだよな。こういう人たちを大事にする国になってほしい、していきたいです。(選挙前なので、なんとなくそんなこと考える)

稲垣浩 監督「無法松の一生」3437本目

これ、過去(2015年)一度テレビでやったのを見て「感動した」とか書いてた私。稲垣監督の作品を見たのは過去にそれ1本だけ。三船敏郎がメキシコ映画「価値ある男」の主役に抜擢されたきっかけになったのがこの映画と聞いたので、じゅずつなぎ方式で再見してみます。

映像はカラー。高峰秀子はそろそろ、若くない主婦といった役どころも務める年代(同じ年に「張込み」に出ています)。映画界を早く引退したけど、エッセイを長いこと読んでたので同時代の人と思えるんだけど、三船敏郎は1997年に亡くなっているし、カラー作品をあまり見ていないので、違う時代の映画人ふたりが主役、という印象がちょっとあります。

無法松はとにかく純真で、若いころが乱暴なだけにそこからの改心、一途に良子を思い、小太郎を息子のように可愛がる彼に胸が痛みます。最後はもうフランダースの犬のネロ少年のようです。もっと言うと忠犬ハチ公です。なんという美しい普遍的な物語でしょう。でも心の奥底にチクっとする部分がある。そこではアンクル・トム的な黒人観にも近い「身分の差を乗り越えようなどと大それたことを考えない者こそ美しい」という道徳観が強くて、2022年の私には、松五郎個人の(そして良子個人の)愛を貫くほうが人間の本分なんじゃないか、という風にも感じられてちょっと複雑なのです。

この映画を見たメキシコの映画人たちが三船を主役にして映画を撮った、ということは、やはり「価値ある男」アニマス・トルハーノは「根は純真な男」という設定なんだろうな。

三船敏郎のなかの純真な部分が最大限に発揮された美しい映画でした。やっぱり名作。

無法松の一生

 

ウィリアム・ディターレ 監督「ゾラの生涯」3436本目

ポランスキーの「オフィサー・アンド・スパイ」を見たので、これも見てみます。あっちは2022年の公開されたばかりの新作だけど、これは1937年の作品。ワーナーブラザーズが作ったアメリカ映画です。

1894年のドレフュス事件を知らなかった(に限らず世界の歴史すべてにうとい)ので、彼を熱く擁護したゾラを知って、彼の側からこの事件を見てみたいと思います。

ディターレ監督って知らないなぁと思ってよく見たら、ディートリッヒ様の「キスメット」の監督でした。

内容は、「ライター・アンド・スパイ」と呼びたくなるくらいドレフュス事件のドレフュスに関わる部分に割く時間が長いし、ポランスキー版はリメイクかなと思うくらい、その部分に関しては映像に既視感があります。広場に集まった大衆の前で任を解かれ、上官が彼の軍服の徽章をちぎり取る場面とか。そこでゾラは大衆に紛れて柵の外から覗き込んでるだけ。・・・それくらい、この事件に関わったことがゾラの生涯において重大なことだったってことですね。

それでも主役はゾラ。彼はドレフュスを救って自分は判決を聞かずに亡くなり、ドレフュスは軍に戻って長生きします。ゾラはこの事件に関わったことで殺害されたという見方もあるようで、この文豪にとっては人生を左右した大事件です。一方、この後に起こった第二次大戦でホロコーストを生き延びたポランスキーから見れば、事件の主役はゾラではなくてドレフュスでなければならないのかもしれません。

映画って、弱気を助ける正義の人が主役になりがちだけど、正義の人が登場する前に踏みつけになった人は忘れられてしまう。死んでもエンドロールに俳優の名前も出てこなかったりする。

見終わって改めて、「オフィサー&スパイ」のほうが、「ゾラの生涯」のアナザーストーリーだったんだな・・・と思うのでした。

ゾラの生涯(字幕版)

 

川島雄三監督「暖簾」3435本目

川島雄三監督の作品は、人間が生きてて、完全な善人も完全な悪人もいない。みんなどこかズルくて、どこか可愛い。ふつうの人たちがワイドショーを見ることも、ネットで悪口を書くこともなかった時代。

戦後かつ”高度成長期”前夜の1958年(原作は1957年)。恋愛をあきらめて、戦争で長男を失っても台風ですべてを失っても守り抜こうとするのは、昆布問屋の「暖簾」。山崎豊子が実家の昆布問屋を舞台に書いた、おそらくリアリティのある作品です。

「家」とか「会社」とか「暖簾」とか。「女に金を借りたら末代までの恥」とか。日本人は昔から建前を大事にしすぎて途中からそっちが本気になってしまって、自分たちの人間的なたのしみを後回しにしたり、陰で楽しむようになってしまったのかな。

それにしても役者がそろってます。森繁と仲良くしてるのは、「鬼婆」じゃなくて「100万ドルのエクボ」の頃の可憐な乙羽信子。森繁にいい縁談が来たので身を引き、結婚したのはしっかり者の山田五十鈴。二人を引き合わせた中村鴈次郎、山茶花究、中村メイコ・・・。

戦後は、年老いた父と、戦地から生きて戻ってきたダメなほうの息子(少年時代は頭師佳孝)の二役を森繁が演じます。娘がひとりいるので、山崎豊子を反映した役は彼女なんだろうな。

DVDにの特典映像のなかに、”メイキング”というか、この映画を撮影していたときの様子をとったプライベートフィルムが収録されていて、川島雄三監督の姿をかなりしっかりと見ることができます。やせた若い男。出演者にくっつくようにして、上目づかいで見ながら指示を出すちょっとギョロ目の、ゆがんだ笑いを口元に浮かべた男。・・・作品を見てると、酸いも甘いも知り尽くした老成した監督、きっと中年以上の穏やかな人だろう・・・などとイメージしてしまうけど、逆と言っていいような容貌と雰囲気です。この若造(このときは)の弟子が今村昌平ってのもすごい話で、にわかに信じられない気がします。人間って外見からは何もわからないんだな、と改めて思ったりするのでした。

リチャード・クワイン 監督「パリで一緒に」3434本目

見始めるとすぐ、冒頭がすごく豪華。パリの高級ホテルのプールサイドで、おっさんたちが美女にかしづかれている。エキストラがものすごく多い。やたらとお金がかかってる。石油王の道楽か?利益が出すぎた会社が税金対策のために作ったのか?

この頃のアメリカ人のフランスに対する憧れってすごいですね。「パリ」がつく有名な映画だけで何本あるだろう?アメリカと違うのはわかるけど、何がそんなに大人気だったのか。今アメリカでパリに憧れてる人なんていないんじゃないのかしら?

脚本家が主役の映画って、製作者が期待するほど、見てる人は楽しめないのだ。玄人受けなのだ。一番のスペクタクルはたぶん頭の中の出来事だから、それが映画になってからの方が面白い。

映画全体の印象は・・・なぜか長澤まさみが浮かんできた。「コンフィデンスマン」みたいに、リアルじゃない豪華さをわざとらしく楽しむ映画。それにしては、ほとんど二人だけの間でストーリーが進むので(劇中映画の中でさえ)、こんなに豪華なのに、脚本をカンヅメで書いているホテルの一室にずっと閉じこもってる閉塞感が続く。

結末は最初からわかってるような映画だけど、オードリー・ヘップバーンはとにかく今回も可愛くて美しい。こんな心の人間に生まれたかった・・・(見た目以前の心持ちが違いすぎる)

遊園地に行って一番人気のアトラクションに入ったら、めまぐるしくて疲れちゃった・・・というふうな映画でした。もっと若かったらするっと入り込んで楽しめたかなぁ~

パリで一緒に

パリで一緒に

  • ウィリアム・ホールデン
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是枝裕和監督「ベイビー・ブローカー」3433本目

<ネタバレあります、注意>

面白かったけど、何だろ、この「普通な感じ」・・・。私より先に見た人たちはどう感じたんだろう?

是枝作品を見たときの、胸が苦しくなるような感じがなくて、さらさら見られた。全体的に俳優たちがとても嬉しそうに演じてたからかな。その高揚感はいい作品を作る現場にはとても必要なものだと思うけど、「万引き家族」の場合はそういう高揚感そのものが強すぎて違和感があって、その違和感が映画の肝だった。つまり、本当は他人どうしの万引き集団なのに理想の家族で、本来平和なはずの家の外の世界には残酷さしかない、という辛さ。でもこの映画は、疑似家族の5人の幸福感と、警官たち、赤ちゃんを欲する家族たち、売春あっせんをするおばちゃん、全関係者の幸福度に違いが感じられなかった。

日本で作ったら、イ・ジウンの役は松岡茉優なのかな。彼女ならもっと痛々しく、憎々しく演じたかな・・・なんて想像してしまうのはよくないけど。イ・ジウン、すごく良かったんだけど、見終わってみたら、彼女の中に赤ちゃんの父を刺す必然性を思い出せなかった。誰かに当たることがあるとしても、自分のほうが傷ついてしまう優しい女性だと感じた。どろどろの、真っ黒な、憎しみが、彼女にはない。彼女のナイフでは人は殺せない。死なない。

ソン・ガンホはあまりにもいつものソン・ガンホで、はまり役だったけど、最後にうまいこと姿を隠すのは、それまでのうかつな彼にしてはうまくやりすぎかな?それじゃ「パラサイト」の結末だ。是枝監督っぽくない、と私は思ってしまう。

ペ・ドゥナって大好きで、今回もとてもいいなと思って見てたんだけど、見終わってみたら今ひとつ、どういう性格だったか印象に残ってない。

私の感受性がにぶくなったのかな。もう一度見ないとダメかな。うーむ。