イングマール・ベルイマンの映画には、神(キリスト教的な)が常にいる。言い方は悪いけど、神にたたられていると思うくらい、逃れられない。その彼の育ってきた環境を、彼自身が、彼の両親の出会いから描いたのがこの映画。自分を語るうえで、両親の育ちや出会いから語るなんて、なんという・・・周到さ。父親の、父親自身の育ちに対する大きな劣等感と、おおらかな母親の苦悩。自分だけでなく親のそんなことまで、あばきだす必要ってあるの?
なんとこの映画は、イングマール少年が母親の胎内にやっと宿ったところで終わります。まだ生まれてないよー!
この父親がさ・・・。イケメンで真面目すぎる神学者である一方、精神的には脆弱で見栄っ張りで、彼の正義感は正義と言えるのかどうかもわからない。愛人と一緒に暮らしながら、高貴な女性(のちのイングマールの母)を恋しがって、「私のベッドで泣くのよ」。これほどダメな男性像がありますか・・・。友達がこんな男と付き合ってたら間違いなく別れろって言います。
だけど愛し合ってるんですよ、彼らは。愛ってなんだろう。その後何度もこの愛は試されることになるけど、それでも彼らの間にあるのは愛なのです。
そんな愛を描こうとする息子。彼にはこの、呪いのような両親の愛が、他に類をみない美しいものに思えていたのかもしれません。
この映画には神が出てこないけど、外側から包み込むように大きく広く存在しています。その神はなんとなく、黒い。
この映画の続きとも言われている「日曜日のピュ」も見たいな・・・なかなか手に入らなさそうだけど、VHSを探してみるか。