映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ監督「スペシャルズ!政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」3445本目

サブタイトル長いよ~ それに、映画で描かれてる現実はとても複雑なのに「悪い政府vs民間のいいやつら」という二元対決に持ち込んで単純化しようとしている。こういうのは好きじゃないなぁ。

この「正義の声」という施設は、他のどの施設からも断られた重度の自閉症児を受け入れている。自分たちが全員受け入れる、という志は素晴らしいけど、十分なケアができていないし、未熟な労働者を使っているし給料もちゃんと払えていない。気持ちだけではうまくいかない、という典型例になってしまっている。この施設が、政府より賢くうまく運営されているなら威張ってこの邦題を付ければいいけど、そうじゃないのが現実だし、この映画は安易なカタルシスを目指してない。

日本にもたくさんあるのだ、さまざまな事情で行くところがない人を受け入れる最終施設が。「正義の声」と同じように、認可がなかったり、どこかルールを外れてたりするけど必要に駆られて存続してる。ぜんぜん肯定できないような施設も多い。

0か1か、というようなきれいな正解は、ないんじゃないかと思う。無認可でちょっと高くてまあまあな施設、無認可で安くて設備は悪いけど献身的なスタッフががんばってる施設。少し改善するだけで認可が受けられる施設、逆立ちしても認可は受けられない施設。もし自閉症児のケアで画期的な進歩があっても、まだ取り残してる分野がある。複雑で毎日どんどん変わっていく世界で、気づいた人から少しでも良くしていく。取り残した人たちに気づいたら、そこからでも良くしていく。そうやっているうちに最初に改善したところが崩れだす・・・その繰り返し。行動する人は悩み続けて動き続ける。こういう映画で結末を批判的に見る人は、現実の世界では傍観者になりがちなんじゃないかな、という気がするんだ。

「トップガン・マーヴェリック」みたいな娯楽大作は、これからも永遠に、スカッとするカタルシス全開でいってほしい!と思うけど、現実と夢の区別をあいまいにするのは好きじゃないってことかな・・・。