「ミツバチのささやき」「エル・スール」をVHSで探し出して見たのがもう11年も前。この監督の作品は、じゃあアマプラで再見しよう、ということができない。今でも昔の作品をなかなか見る機会のない監督です。
この新作映画の印象は、なんとなく、11年前の印象を思い出してみると、けっこう違う。VHSで見たからかもしれないけど、映像が美しくてストーリーはあまりはっきりしない(あるいは私にはわからない)映画だったような記憶があります。でもこの新作には、もっと言いたいことがあって、訴えてくる。失われた映画のかけらを強く追い求める老監督。やっと見つかったその「かけら」は、失われたピースを簡単に埋めてくれるものではなかった。でも何かが、まぶたの裏に浮かび上がってくる・・・。そんな思いを受け止めた気がします。
ペドロ・アルモドバル監督「ペイン・アンド・グローリー」にも、大昔に失われた映画を取り戻そうとする老監督が出てくる。解釈も表現も違うので似ているとは全然思わなかったし、その思いの強さ、深さ、ありようも違う。でも、同じなのかもしれない。(この二人は親子ほど世代が違うような印象だけど、じつは9歳しか違わない)
監督と近所の仲間が暮らす海辺のトレーラーハウス+αみたいな居住地が最高に好きだなぁ。目の前が海。日よけで覆っただけのアウトドアの仕事場。大きな犬、釣った魚を調理してワインを持ち寄ってギターを弾いて語り合う夜。
監督自身は車を持たないので、海辺の町からバスで都会へ移動する。何度も「お金がない」という場面がある。昔からこの監督に心酔していた人たちなら胸が痛むかもしれない。
で、失われた映画の結末なのですが、<ネタバレですみません>なんかすごくベタではあります。チャイナの表現もベタだし、出会って死ぬことも。でもそのやっと会えたスペイン・中国の少女の表情、まなざしが、この映画のものすごく重要な部分を占めています。泣きべその少女とフリオが画面いっぱいにこっちを見つめる。それを見ている”失われたピース”が目を閉じる。そこに何か深い交感が生じている。監督が感動する場面ではなくて、彼はその交感を演出しただけ。
監督らしさがあるのかどうかは、残念なことに私にはわからなかったけど、すごくいい映画でした。