映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

新藤兼人監督「裸の島」15

1960年公開作品。「モスクワ国際映画祭」グランプリ受賞。
この映画は、事前の情報なしでいきなり見てよかったです。
「原爆の子」の次の「裸の島」だから、きっとにぎやかに市井の人々を描いた力強い作品だろうと思って見たら、一向にストーリーが動かない。せりふもない。なんて単調な映画なんだろう…と思ったときに気がつきました。この映画には一切のせりふがないのです。そして登場人物の4人家族は、単調に単調に、ひたすら砂漠のような島の畑に水桶を運び続ける、島の唯一の住人なのでした。

その次に「ひどく重いなぁこの労働は」と思い、やがて「いや、これはない。現実にはありえない労働を描いてるんだ」と気付きます。

これは「シーシュポスの神話」なんだな。「大草原の小さな家」ではなく。

シーシュポスの神話というのはカミュのエッセイに出てくる神話で、「シーシュポスは神様の怒りを買って、ひたすら大きな岩を山頂まで運んで行き、転がり落ちたらまた山頂まで運ぶという一生を送る」というようなお話です。「裸の島」の夫婦は、あえて苛酷に設定した世界の中で、ひたすら辛い労働を続けます。

一方US開拓時代を描いて、人気TVドラマシリーズになった「大草原の小さな家」には、苛酷な自然の中に常にほかの家族との助け合いやふれあいがあるし、温かさが常にあります。

「裸の島」は、シーシュポスの神話よりさらに地面に近くて体温が感じられて、赤い血が流れています。「大草原」のような生きる喜びはほとんど描かれません。途中からは、「それが人生なんだよなぁ」と思いながらは見ていました。映画の中の生活は本当に厳しいけど、労働ではなく職場の人間関係や家庭のことで、このような砂漠のような心を抱えてる人もたくさんいると思います。

観終わった後でスッキリすることは何もないけど、裸の島に水を注ぎ続けるみじかい一生と、上司にイジメられ続けるオレたちの一生と、結局どっちを選ぶかなんだよなぁ。どこに行っても人生ってこんななんだよなぁ。と思えれば見たかいがあると思います。

人生はgoing concernです。常にいろんなものをケアし続けなければ回らない。辛いことをたくさん経験したければ長生きすればいい、というようなものです。若いころはその事実を辛いと感じたけど、今はたくさん辛い思いができればお得だと思ってるくらいです。だから人間はすごいし、生きることは楽しい。

しかし新藤監督、どこまで乙羽さんをイジめるんでしょう…。
「原爆の子」まではあんなにふっくらとして豊かだったのに、すっかり痩せて人生に疲れた表情が出ています。うすくなった体で重い水桶をひたすら運び続ける。新藤監督って人は、素晴らしい仕事をしてる人だけど、私が乙羽さんの友達だったら絶対に別れろって言うだろうなぁ。それでも乙羽さんはくじけない。その意思の強さに、監督はさらに苛酷な課題を与える…そんな厳しい愛情だったのでしょうか。

新藤兼人 私の十本」で立花珠樹氏は「シナリオライターとして出発した言葉の世界の人が、言葉のない映画を作ろうとしたことが、新藤さんのすごいところだ」と言っていて、本当にそうだなぁと思いました。とても実験的だけど、行き当たりばったりではなくて、ずっと温めていたイメージをどこまで純粋につきつめられるか実験したようなすごい映画の挑戦だ、と驚いた一本でした。以上。