映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

岸善幸 監督「正欲」3815本目

「部活やめるってよ」「何者」も面白かった。というか、私は多分そっち側の人間なのかもしれない、別世界という感じではなくて、なんで今そういうことを取り上げるんだろう?と思ってる。

髪フェチの人と友達だったことがあって、彼は鋭角的なボブの切り口が好きだと割と普通のように言ってたし、人当たりのいい好青年で友達も多かったけど、フェチに関しては筋金入りで、普段もちょっと変わってる部分もあった。今どうしてるんだろう。それってもう25年も前のことなので、「なぜ今」と思ったけど、嗜好は当人にとっては普遍的なものだから、何世紀前にもいたし数世紀あとにもいて、それをいつ小説や映画にしようが、彼らには関係ないんだろうな。

なぜかこの映画では輝く美女に見えない(美女なのに)新垣結衣の硬い表情がみょうに自然で、心を入れ替えたら同じルックスでも違う人になれるんだな、と感心してしまった。磯村優斗はいつもうまいけど、そんなにことさら”暗いオタク”っぽく振舞わなくても、フェチの人たちは”予想に反して”清潔だったり美形だったりすると思う。

25年前より今のほうが、若い人たちの間で「普通であること」が絶対視されてるかも、という気はする。35年くらい前に私が大学を出て就職の面接に行ったとき、茶色のスーツを着た。一緒に同じ会社を受けた人は、黒のベルベットの上着とカラフルなスカートだった。今はみんな紺のスーツなんでしょう?それだけでけっこう恐怖を感じる。ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる灰色の男たちみたいだ。

だから、自分が”普通”じゃないと気づいた人たちは、まず自分が自分を罰するようになってしまったのかな。灰色の男たちの前に出たら大変なことになるから。誰にも迷惑をかけていなくても。だから、魂を叫ぶような歌を作る人たちや、刺激的な小説を書く人たちは、顔を出さなくなった。世間はますます残酷になっていく。友達のような顔をして近づいてくる人たちの多くは、やがて彼らを見下す。

仲間がいないのは寂しいけど、踏みつぶされるくらいなら一人で十分だ。明日起きてもまだ私だったとしても、私は一見平然とした顔で生きるよ。とか思うのでした。