映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ウディ・アレン監督「アニー・ホール」2428本目

ウディ・アレン自身がウディ・アレンを演じる映画を見るのは久しぶり。最近はケイト・ブランシェットやらホアキン・フェニックスやらがウディアレンの化身となって主役を務める映画が多いから、リメイク前のオリジナルを見てるような不思議な感じ。

というのも、この映画は前にも見たけどどうしてもまた見たくなって借りてしまった。ダイアン・キートンのマニッシュなファッションが素敵だったのが忘れられなくて。

改めて見てみると、アニー・ホールは変なところが神経質だけどごくおおざっぱな女性で(運転とか)、のんびりとした温かい微笑みとカチッとしたネクタイにベストがミスマッチだから、彼女のやわらかさが際立つんだな、きっと。歌声もやわらかくて優しい。こんな女性になりたかったなぁ。

「ミスター・グッドバーを探して」のときの彼女のゆるい感じも好きだったけど、あれってミステリーというか恐怖ドラマですよね、ゆるいとこんな目に合うんだぞ、みたいな。…ほかの映画まで引っ張ってきてダイアン・キートンの魅力を語るのはこのくらいにして。

最初に見たときは、ダイアン・キートンが素敵な一方、いったいなんでアルヴィンのような男とつきあうんだ、と不思議に思った…けど思い返してみたら私だって友達に「なんであいつと」と言われるような(以下略)

「およそ非理性的で不合理なことばかり」なのが若いころの男女関係なんでしょうね。とてもとても普遍的なんですよ、この映画は。ウディ・アレンが再会したダイアン・キートンを「やっぱり素晴らしい」と感じたその瞬間が、彼の人生のひとつのピーク、永遠の瞬間だった、という映画なんだと思います。

石井裕也監督「町田くんの世界」2427本目

まったく期待しないで見たら、思いのほか面白かった。

町田くんっていう稀有なキャラが、マウンティングしあう時代には清浄剤であり潤滑油であり、キャスティングの妙と監督の熱意とでいい作品に仕上がっていました。

町田くん!細田佳央太って子は初めて見たけど町田くんというキャラにしか見えない。(彼でなければ中川大志だな)

お人よしって実在けど、ここまで徹頭徹尾バカ(いい意味で)はいないし、お人よしが他人に影響を持つことはもっと可能性が低い。けど、だからこそ、現代の都会のおとぎ話として和ませてくれるんだな。

なんか、ありがとうと言いたくなります。

まじめな関水渚も、どネガティブの池松壮亮も、チャラ男の岩田剛典も、スカした前田敦子もいい。石井裕也監督の作品は、「川の底からこんにちは」が一番好きで、それ以降はすこし減速したと思ってたけど、ここに来てまたいいなぁと思えました。メアリー・ポピンズかよ!

「そういうのどこで教わったの」

「Men's Non-Noだよ!」

東陽一監督「絵の中のぼくの村」2426本目

ふたごの物語だけど、タイトルは「ぼくらの村」じゃないんだな。原作があって、それは双子の共著ではなく一人の著書だからか。

田舎の子どもたちの映画って他にもいくつもあって、「菊次郎の夏」とかもそうだし、そういえばゲームソフトの「ぼくのなつやすみ」ってのもあったなぁ。

この映画はジブリっぽいんですよね。木の上の三婆がかわいかったり、いったんもめんみたいに飛び回る布とか、民間伝承とか遠野物語にも通じる。あ、河瀨直美とかも同じ里山系ですね。「となりのトトロ」の宮崎駿は1941年生まれ、東監督は1934年生まれ、原作者の田島征三は1940年生まれなので、日本の里山で過ごした原風景は近いものなんじゃないでしょうかね。もっと言うと、アメリカじゃなくヨーロッパの映画祭の人たちってこういう手付かずの原風景っぽいものが好きだなーと思ってたんだけど、今年の「パラサイト」のパルムドールを見ると、審査員が変わったのか目の付け所が現代の異国に向いたのか、興味深いところです。

この映画も、この前に見た「第三夫人と髪飾り」みたいに風景や暮らしが自然であまりにも心惹きつけるものがあるので、筋はどうでもいいっちゃいいのです。「第三夫人」は主人公が昔のひとで、彼女自身が村を出ることはなかったと思うけど、この映画の場合はふたごが二人とも山を出て都会に行ったから、ノスタルジーが大きいんでしょうね。

ミッシェル・オスロ 監督「ディリリとパリの時間旅行」2425本目

予告編を見てすごく期待したんだけど、一度実写映像を作ってからCGアニメに落としたような絵が、面白いけど、美しいというよりちょっと雑に感じられてしまう。そうなってしまうと、絵を追いかけて楽しめなくなって筋を追うことに徹してしまう。

男性支配団って若干違和感のある名前だな。男性による支配を目指す団体かしら。フランスの絵画が好きな人には、ロートレックやルノアールが出てきたり、サラ・ベルナールがそこにいたりするのが楽しいと思うけど、「ミッドナイト・イン・パリ」みたいで全部盛りラーメンになってしまって、ギャグマンガみたいなおしゃれじゃない方向を向いてしまってませんか?(日本の女子がパリっぽいと思うのは「アメリ」みたいなやつだから)平たく言うと、可愛くない。カッコよく、あるいは美しく、という方向に振れれるでもなく、あまり絵に楽しみを見出せませんでした。

ストーリーもあまり新鮮じゃないし、男性支配団なんて前時代的な(時間旅行してるからだけど)名前はイケてないし…

ちょっと、なんともいえない作品なのでした。 

アッシュ・メイフェア 監督「第三夫人と髪飾り」2424本目

気になることが3つあります。

1、髪飾りはどこに出てきたのか?

答えは、第二夫人が男女の行為のことを第三夫人メイに説いて聞かせるときに、彼女がメイの身体を髪飾りでなでた…という場面だそうです。ネットの記事を見てわかりました。Wikipediaに項目がないし、KINENOTEの情報だけでは「もっと知りたい!」となりますよね。

2、ポスタービジュアルが中身を表せてない

とにかく美しい映像なんですよ。主役のメイは、頬がふっくらして強いまなざしの可愛い少女なんだけど、いちばん怖い顔が使われてしまっています。彼女には強いところもあるけど、純粋な自然さが一番の持ち味なのに。

3、食事の場面があまりにも少ない

不満というわけではないけど、性と生死がテーマの映像作品って、たいがい「食」の場面も多いのに、この映画では婚礼の席でメイがちょこんと座っていたくらいで、食の場面がほとんどありません。だから、夜を経て子どもが生まれても、なんだか妖精の世界みたいでちっとも生々しくないんです。動物や人間が死ぬ場面もあるけど、それも聖なるいけにえのようです。

静かで幽玄ですらある川沿いの山奥で、豊かな養蚕家の一族が暮らしています。世界遺産のチャンアンという場所で撮影したのだそうです。ベトナムの女性はふつうの人も皆つつましく美しい(ホーチミンに行ったときの私の印象)けど、この映画の中の人たちはさらに透き通るように美しい。特にわずか14歳で第三夫人として嫁いできたメイの少女らしさ。少年みたいな好奇心と、生まれたばかりの色香がなんとも官能的でした。

でも、静かななかに起こる出来事はタブーもあって、ベトナムでは公開4日で上映禁止になったんですって。一番の問題は実際には13歳だったメイ役の女優さんが若すぎるという問題だそうです。伝統を重んじる社会だからこんなに美しい文化を残せたんだろうけど、秘密を白日の下にさらすことはいつでもどこでも誰かを傷つけるんだろう。

トラン・アン・ユンが美術監修か、だから美しいのかな?

ステファノ・ソッリマ 監督「ボーダーライン:ソルジャーズ・デイ」2423本目

「ボーダーライン」続編だけど監督が違うしエミリー・ブラントは出てない。

トーンが暗くて、ベニシオ・デル・トロが戦いまくり、お嬢ちゃんが振り回されまくったという感じで、バイオレンスの場面が多いのであまり私には惹かれるものがない映画でしたかね…。 

今泉力哉 監督「愛がなんだ」2422本目

原作がいいんだろうな、この映画の面白さは。役者もそろっています。岸井ゆきの、いいなぁ。成田凌も、なりきる力が高いけど、ほんとのところどういう人なんだろうなーと思わせる。

この映画も、学校内ヒエラルキー関連映画みたいで、惚れられたものが強者で惚れたものが弱者。この優劣関係はぜったいに覆らない。テルコ→マモル→スミレ、ナカハラ→ヨーコという一方向の愛情。私はスミレに一番近いと思うので、ヒエラルキーものの映画に共感できないんだけど、世の中の人はすぐに上か下か決めたがる一方、私は人の上に立たないことを旨としているので下に見られることが多くてよく腹を立てます。下だと思ってるから親切にしてるわけじゃないんだが。

中でもナカハラが尽くし型ストーカー王だな。そこに現れるマモルの友達、中島歩。「花子とアン」で蓮子と駆け落ちした文学青年ふうのイケメンだ。常にマモルを意識しながらテルコは彼と付き合うのかな。

愛と執着。愛ってほんとわからないけど執着=愛ではなくて、憎しみ→執着ってのもある。テルコのすごいところは、自分のしつこさが「好き」じゃないことをからっとわかっていて、自分を哀れんだりしないところだけど、そういう風だからこの関係性から抜けることもない。

男女関係なく、好きな人や心配な人っていて、だいたいそういうのってウザがられるのが関の山だ。親子でも友達でも。でも、そういうのが面白いんだよね…。