映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ロバート・ゼメキス 監督「キャスト・アウェイ」3495本目

<結末にふれています>

ゼメキスといえばバック・トゥ・ザ・フューチャーにフォレスト・ガンプ。きっと楽しませてくれるに違いないと思ったら、辛い辛いお話だった。私はいつも人に「1日30時間あるんでしょ?」とか「いつ休むの」とか言われるほうで、何もしない時間がない人間なので、何もないところで何もできない、というのが心底恐怖だ。・・・(それはそれで、島を歩きつくして地図を作ったりなんだかんだして忙しくしてしまうんだろうか)いや、だから、この映画の主旨がわかるような気がする。彼にとって島での4年間は誰よりも長く苦痛で、それを耐える唯一の支えだった恋人に最後、救ってもらえないという結末が苦い。(いや自分のもとに来なかっただけで愛はあったからハッピーエンドだと考えるのか)

ただ、そうやって彼の苦痛をあおっておいて、救いを得られなかった彼がちっとも憔悴していないことで、映画はどっちつかずになってしまったのは事実。「それでも夜は明ける」や「レ・ミゼラブル」のようには彼の内面の苦渋に迫れず、逆に最後のカタルシスがないまま何気なく終わってしまったように思います。

トム・フォード監督「シングルマン」3494本目

RCサクセションの大昔の名盤と同じタイトルだな。あれも孤独を感じさせる名作だったけど、これもまた全く違う観点で素晴らしい。

どう素晴らしいかというと、トム・フォードの作品って「ノクターナル・アニマルズ」もそうだけど、徹頭徹尾が彼の妄想によるもので、想像力が果てしなく膨らんで、それを妥協のない美意識で映画という形に完成させたものなんだ。コリン・ファースの英国紳士の佇まいやブリティッシュ・アクセント、彼が象徴する英国的なすべてのもの。ジュリアン・ムーアの崩れた母性のような豊かさとはかなさ。マシュー・グードの秘めた太陽みたいな情熱。ニコラス・ホルトの少年のような知性。(サリンジャーを演じたのが彼だったね)監督が愛する、彼らのなかの美を、自分の好きな時代、好きな設定で妄想する世界のなかであそばせる。なんか昔の貴族のあそびのような映画だと思う。

監督の自分の体験をそのまま映画化したとは思えない。愛する者に去られたとき、彼が愛の絶頂期に事故死したとしたら?命を絶とうと決意したときに、もう一人の素晴らしい少年が現れて「先生、泳ぎに行こう」と誘う。・・・みたいな妄想。

タバコをうっかり濡らしてしまう事件も、教え子が家の近所まで追いかけてくる事件も、これが男女間だとなんかイヤらしくなりそう。この学生はゲイではない(少なくともその自覚のない)少年だし、二人は結ばれたりしないから、最後まで少女マンガみたいに清潔なんですよ。なんというか、遺伝子上は男性の人による麗しきBL映画でした。

私は一つの美意識が徹底しているものが好きだし尊敬する。トム・フォードの徹底ぶり、素晴らしかったです。

スティーヴン・スピルバーグ監督「宇宙戦争」3493本目

2005年というと今から17年前でダコタ・ファニングがまだこんなに小さい。でもトム・クルーズは「トップ・ガン」(1986年)の20年後で落ち着いた父親役。

家族ドラマのようなはじまりが、突然の巨大ロボットのようなものの出現で、世界はパニックに襲われる。逃げ惑う車に乗ろうと取り囲む人々はまるでゾンビ映画のよう。

同様のパニックがフェリー乗り場と、フェリーが海の怪物に襲われる場面でも生じて、こんどは「タイタニック」を思い出す。

・・・ほかにも、都度みたことのある映画を思い出しながら見てしまう。この作品のあと17年の間に作られた映画も多いかもしれないけど、既視感の連続で終わってしまう。

スピルバーグは、「ET」や「未知との遭遇」の後に、完全に敵としてやってくる「宇宙」を描く必要があったんだろうか。オチは理解できるけど、あまりにあっけない。

17年前の世界にはこの映画で何か訴えたいことがあったのかな。微妙に時間が経ちすぎてしまって、時代感覚を思い出せないのがちょっと残念です。

宇宙戦争 (吹替版)

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ピーター・メダック 監督「チェンジリング」3492本目

<結末にふれています>

カナダ映画だし、アンジーが出てるほうの「チェンジリング」がなかなかの秀作だったので、この作品はどうも、マイナー感があります。

1980年作品にしては、あの頃のアメリカ映画のどこか賑やかな風合いがなくて、同じ頃のドイツ映画かしらという雰囲気。(好きですこの感じ)

Changelingという言葉の意味は「取り換え子」なので内容もアンジー版(イーストウッド監督版って言えよって?)と似てるんだろうか。

ストーリーはどうやら、他の子を身代わりに立てられて殺されたその家の少年が自分を探してほしくて、新住人に訴えかけるというもので、過去に起こったことは陰惨だけど、主人公は無傷だしいいい人のまま。ホラーというより「世にも不思議な物語」とか「世界の超常現象」的。可哀そうな子どものホラーということで、ギレルモ・デル・トロが監督あるいはプロデュースした南米映画も連想します。

何一つ珍しいことは起こらないけど、主役のジョージ・C・スコットの誠実な強さがすがすがしいし、恨みを抱いて死んだ子どもが、無闇に殺戮を繰り返すのではなくて、「取り換え子」への道を阻むものだけを攻撃するところが健気にも思えて、とても清潔感のある作品です。意外な佳作。

そしてなぜか、ツイン・ピークスを最初から通しで見てみたい気持ちになるのでした。なんでだろう。

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デヴィッド・マメット監督「フィル・スペクター」3491本目<KINENOTE未掲載>

これも「テレビ映画」だからKINENOTEに載らないのか。希代のヒットメーカー、Wall of Soundのフィル・スペクターの映画で、アル・パチーノとヘレン・ミレンが出てるのに。

フィル・スペクター。「レット・イット・ビー」は名盤だけど「ロング・アンド・ワインディング・ロード」が大げさで原曲の良さをつぶしてるとポール・マッカートニーは言ったらしい。もともと「イエスタデイ」みたいなものを目指していたとしたら、ドラマチックで演出過多かもしれない、だけど一般的にも私個人の感覚としても名曲だ。(RCサクセションの「シングルマン」がアレンジで感動的になったのに似てる気がする)「クリスマスアルバム」を愛聴してたこともあるし、ラモーンズの「エンド・オブ・センチュリー」の「ロックンロール・レイディオ」はライブでは3倍の速さで演奏されるものすごくシンプルな曲だけど、レコードでは誰もが共感して涙ぐむ名曲になった。

アル・パチーノが演じる彼は落ち着きがなくて常時うまいこと言い訳ばかりしていて、なんとなくウディ・アレンみたいだ。ものすごい才能があるのに自己肯定感が低くて、被害者意識が逆流して自分より弱いものをときに激しく痛めつける。彼らが作るものがなかったら、世界は数パーセントくらい平凡で面白みも感動もないものになるんじゃないだろうか。才能と人格を切り分けて評価したり、彼らが人を傷つけずに制作ができるようにする方法はないんだろうか。ないのかな。

こういう映画を見てしまうと、現実世界で殺人を犯して、すごくショボい写真を撮られてしまう一般の人たちにも、この上なく素晴らしい才能があって、生まれてから死ぬまで誰にも知られずに埋もれてしまうこともあるんだろうか、と思って恐ろしい気持ちになったりもする。アスファルトを突き破れずに、幼虫のまま死んでしまうセミみたいだ。

神様が、美しいものは常にキラキラ輝いて、誰が見てもわかるようにしておいてくれたらよかったのに。

今のアル・パチーノって、こういう厭らしいじいさんの演技があまりにもうまい。ヘレン・ミレン(が演じたリンダ)弁護士が欠席した裁判で結局彼が有罪になって、獄中で亡くなったという結末は、なんともすっきりしなかったな・・・。

ジョニー・ロイヤル 監督「イルミナティ 世界を操る闇の秘密結社」3490本目

フリーメイソンは”友愛会”でイルミナティはそれより悪に傾いた信条を持ってるんだっけ、くらいのイメージしかない状態で見ました。・・・どういう団体なのか、いいのか悪いのかよくわからなかったけど、かつて超こまかい階層があって古代文化をとりいれた儀式が行われていたけど、今はもう存在しないということはわかった。

階層・・・飛行機の上級会員も、私は実用的な「一番下のやつ」を取って満足したけど、毎年最上級を目指す人も多い。面倒な儀式や格式にロマンを感じる人もいるんだろう。私も多分20年前なら「わー、不思議-、面白いー」とか思ったかもしれないけど、2022年9月の今、日本とくに政治家が陥っている状況を見ていると、いたずらに神秘主義に興味をもつことの短所をもうこれ以上見たくないなぁという気もします。(じゃあこの映画見るなよ私)

そんな私がこういう映画を見たり、いろんな国に行っていろんな人に会ったりしてきたのは、「自分が知らないことがたくさんあるのはいやだ」という底なしの知識欲、好奇心の副作用のようなものだと今は思ってます。しょせん物見遊山なので、ミイラ取りがミイラにもなり切れず、どこへ行ってもコウモリにしかなれませんでしたが。

知らなくて平気、私は私の道を行きます、と言い切れる人になりたいけど、そうなったら多分もう映画を見て感想を書くこともないんだろうな。

これを読んでくださった方々、そんな日がいつか来るまで、もうしばらくお付き合いいただければと思います・・・。

 

アジョイ・ボーズ監督「ビートルズとインド」3489本目<KINENOTE未掲載>

U-NEXTに出てたので興味深く見ました。ちょうど「ビートルズ・イン・インド」という別の映画が近々日本で公開されるとのこと。「イン・インド」は2020年、こっちは2021年なのでこっちのほうが新しい。

「超越瞑想」が一気に世界的なブームになったのは、このドキュメンタリーでいうようにビートルズの影響だろうし、主宰者のスキャンダル(真偽のほどはともかく)で一気にキワモノ扱いされた後も、壺を売ったり財産を供出させるでもなく、今も生き続けているからには、瞑想としての効果はある程度認識されているのかもしれません。

瞑想、いろいろやったんですよ私。超越瞑想もやったし別の宗派?のものも。(今は何もやってない)超越瞑想は最初に10数万円というまとまった金額が必要だけど、すごく簡単で楽なのが良いです。ただ、はまるとさらに上級コースがあって、次々にお金がかかるのと(※受けなくても全く問題はない)、そこで説明される世の中や人間の仕組みの説明が、昔インドで考えられていたことそのままと思われ、今の私たちには「??」と感じられたりします。なんとなく、ちゃんとやればリラックスやストレス軽減効果はほぼ確実にあるので、後付けで理屈を説明しなくても良い、しない方がインド以外の文化のなかで育った者には受け入れやすい気がします。

近々公開される「イン・インド」は超越瞑想の実践者でありサポーターであるデヴィッド・リンチがプロデュースしてるというので、怖いもの見たさもあります。(彼の深層心理に瞑想で深く深く下りていくなんて、怖くないのかしら本人は・・・とか思ってしまうけど、底の底には静かで美しいものが流れてるのかもしれません)

こちらの作品の監督はカルカッタ生まれのインド人。自分たちが大事にしてきた哲学や音楽を否定しないでほしい、良さをわかってほしい、という気持ちが伝わってくる映画でした。