映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

新藤兼人監督「鬼婆」18

飲み会がなくなってポッカリ時間が空いたので、今日も映画。

1964年公開作品。
芥川龍之介羅生門」の世界です。落武者を殺して武器や鎧を売って生計を立てている、中年女と息子の嫁。息子は戦で死んでしまい、別の男が嫁に手を出そうとします。生と性への激しい欲望がぶつかりあって、鬼が生まれる…。

こ、こわい…。というのが第一印象。鬼婆怖すぎます。わずか10年ほど前には「百万ドルのえくぼ」と呼ばれた宝塚娘役の超大スターが、ここまでヨゴレ役をやるのか。「裸の島」でもかなりイジメられてると書きましたが、まだまだでした。今度は鬼婆です。

この映画の乙羽信子まだ39歳だそうです。今なら(昔でも?)アラフォー女子とか言ってヒラヒラした服を着てコジャレたカフェとか韓国とか行ってチャラチャラしてる年代です。どのような覚悟があればこの役ができるのか。ここまで演じきれるのか…。

2回目は、監督と佐藤慶、吉村実子の3人が映画を見ながら語り合う、和やかな音声を聞きながら見ました。そうしたら…乙羽信子が(当然だけど)美人で身体もまだキレイだということが見えてきました。中年かもしれないけど老婆じゃないのです。鬼婆に見えるのは演技なのです。すごい役者さんなのです。なにが彼女をこんな演技にまで追い込むのか。それは監督への強い想いですよ、と言えばそうなんだろうけど、そのもっと先にあるのは映画っていうものの魔力??

嫁役をやった吉村実子はこのときまだ19歳。語り合い音声でも、「あのときは何もわからずにただ言われるままやっていた」ということをよく言っています。対照的に佐藤慶は「ほかの人の脚本と監督の指示で演じてるだけなのに、何か考えてるように見られるのが申し訳ない」等と、非常に思慮深いコメントが続きます。佐藤慶って俳優さんは、(役柄なんだろうけど)何を考えているかわからない、ちょっと怖い感じだとずっと思ってたけど、この人もまた映画の魔力にとりつかれて、魂をささげてしまった真摯な俳優さんなんですね。

語り合い音声の中で監督は、白黒フィルムでしか出せない効果など、メイキング的なこともたくさん話しています。これマジメに聞くと、映像制作の勉強になるんだろうなぁ…。

映画が終わってから、歯を磨きながら、顔を洗いながら、考えてみる…。

母親が子どもを殺すのは自殺の一種だというのを聞いたことがあります。
監督は鬼婆という映画を撮ろうと考えたとき、鬼婆役が頼める女優さんは乙羽信子以外にいなかったんだろうな。一番自分に近い存在にしか、自分と一緒にヨゴレてくれとは頼めない。

新藤監督の映画を見ながらずっと「こらえる事こそが人生だ」というようなことを書いてきましたが、私は本当は「人間は自分で思ってるほどには、こらえ性がない生き物だ」というのも真実だと思っています。生き残ったことに罪悪感を感じてきた監督は、我慢すると同時に、こらえられないものを吐き出しながら生きてきたはずです。

しかしこんなに重く厳しい(と、私には思える)関係は私には無理だわ…。
次はもちょっとユルく、軽い作品が見たいです。・・そんな作品ないか。