映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

豊田四郎監督「夫婦善哉」37

1955年、昭和30年作品。

なななんと!夫婦善哉の夫婦は正式な夫婦じゃなくて、妻のいる男と女だったとは。
古女房と添い遂げる、というような話じゃなくて、駆け落ちした不倫カップルが苦労しながら夫婦になっていくという映画でした。途中で男の妻は亡くなりますが、2年も病気で田舎に行ったきりで、女優さんもあてがわれないまま、名前だけのまま死んでいくというあわれさ。戸籍が夫婦を育てるわけじゃなくて、一緒に苦労を重ねることで本物の家族になっていくとは思うので、最後に二人で飲む「夫婦善哉」はしぶーいいい味がするんでしょう…うむ。

淡島千景演じる元芸者、蝶子はんの芸達者(三味線も踊りも決まるし、気働きの良さは地なんだろうなぁという感じ)と対照的に、何やってもダメな森繁演じる若旦那、柳吉つぁん(若旦那なのに勘当されたっきり)が、これほどの芸者が駆け落ちするほどの男に見えません。

「駅前旅館」の森繁久彌が素晴らしかったので借りてみたんだけど…。ダメ男の役だからこそ、「浮雲」の森雅之みたいにセクシーに演じてほしかったなぁ。って自分が生まれる前の映画に注文つけてもどうにもならないのですが。

映画の出来はとても良いのです。道楽者の若旦那の情けなさとか。そんな男に尽くす女の美しさとか。時代の香りとか。蝶子を柳吉が「おばはん」って呼ぶところや、蝶子が遊んで帰ってきた柳吉を殺さんばかりにセッカンするところが、おかしくて庶民的。キレイにまとめないところがいい監督です。私は若いころの高峰秀子はすごく可愛くて好きだけど、成瀬巳喜男の演出する彼女のはかない女性像はちょっとなぁと思うところがあるので、この映画くらいのほうがいいです。

多分女には子どもか、子どものようにダメで可愛い男が必要で、苦労することが幸せだというひとつのゴールがあるのかもしれません。いつの時代のどの映画も、男の陰にいて全面的に男に尽くしてる女が一番キレイです。男も女もいまは情報過多で、一人の人だけをわき目も振らずに思い続けるのが難しい気がするけど…。

このときの森繁42歳。もっと若いころの、喜劇俳優の頃を見てみたいです。ツタヤで借りられるものもそうないと思うので、ちょっと探してみよう。社長シリーズもせっかくだから、いくつか。
というわけで、今日はこのへんで。