辛い映画だったなぁ。かわいそう、かわいそう、と口から出そうになるのを抑えながら見ました。難民の貧困や苦難は日本でも大きな問題だけど、貧富の差の開きが問題になっているレバノンの、これが実態だとしたら本当に切ないです。貧富の「貧」がこの映画の描く世界で、「富」のほうがどこかの国から膨大な金銭を費やして違法に出国した元CEOだ。あまり汚い言葉は使いたくないけど、醜悪すぎる。
世の中の無常を悟ったうえで他人に優しくできることが大人の条件だとしたら、ゼインは世界じゅうの大概の成人よりずっと大人だ。彼と幼いヨナスこそが、親子のあるべき姿だ。
それでもエンディングにぬくもりを持たせたのは、ゼインの弁護士として出演もしている女性の監督の視点の優しさだと思う。彼女は、ゼインの妹を嫁がせた両親も、彼女を妻にした男も、追い詰めようとはしなかった。善悪の線引きをせず、「世の中がみんな悪いんだ」みたいな安易な逃げ方もしなかった。一番見てほしかったのは、ゼインや子供たちの悲痛で美しい姿。彼らが細い足で自分で立って、こんな状況でも事態を切り開こうとしている力強さを見せたかったから、彼らがたおれるだけの「かわいそう」な結末にはしなかった。なぜなら、もしも彼らのうち何人かがたおれてしまったとしても、子どもたちの根源的な明るさや強さは失われることはないから。
本物のゼインたちと、その背後にいる無数の子どもたちとその親たちが少しでも安泰に幸せになることを祈りつつ、日本の本音と建て前のはざまで収容されている難民の方々のために何ができるか、今日も考えています。