映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

「セプテンバー11」2726本目

世界中の監督がそれぞれ挑んだ短編オムニバス映画。911って2001年、もう19年も前なんだ。だからまだ今村昌平も生きて映画を撮ってた。私はまだ映像制作会社に転職していなくて、日常的に映画を見始めていない。というか、あの日のことはよく覚えてる。アメリカのIT会社で働いてて、ボスはめっちゃキツイアメリカ人弁護士だったけど、崩れていくビルをリアルタイムでテレビで見ながら、彼らの大事なものが足元から崩れていく、大変だ、と青ざめた。あの自信満々な、ちょっと鼻につくおせっかい焼きのアメリカが傷つけられた。これは大変なことになる…。事実は私の心配をはるかに超えて、世界は不可逆的に違うものになってしまいました。

ケン・ローチはこのオムニバスに呼ばれてもなお、そのアメリカを糾弾するもうひとつの「911」のドキュメンタリーを撮ったんだ。気概の人だなぁ。でも彼は間違ってない。アメリカ以外の国は、その前からずっと同じように誇りを奪われてきた。彼が住むイギリスと監督が撮りたいものを結び付けることを強要されなかったので、チリのクーデターを作品にすることができた。ケン・ローチらしい。私のひねくれた部分がいつも(そうは言ってもBBC出身のエリートのくせに)と心の中で言いたそうにしてるんだけど、この作品を見てちょっと共感が強まりました。

アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの、音だけの911、怖いなぁ。あのときにまばたきもできずに見ていた画面がよみがえってくる。この映画を見る勇気は私には19年間なかったってことだな。「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」はもっと寓話化してあるから私にも読めた。圧倒的なできごとをどう描くかって、きっとその人の根幹の生命活動の方向性なんじゃないかと思う。

今村昌平版はストレートな「反戦」がメッセージなのですが、極東の国の山奥の誰も知らない村で、田口トモロヲが蛇になってしまう(cf.映画「キャタピラー」)という極端に小さいローカル性の強い舞台をあえて選びました。聖戦という語から第二次大戦を連想する人も、この映画を作ったときからかなり減ったと思います。(戦後56年から戦後75年)。この作品は他の国の人たちに響くんだろうか、響かないんだろうか?

クロード・ルルーシュの視点も新鮮。イニャリトゥの逆だ。「奇跡でも起きなければ」というときに奇跡を起こしてしまうのが、愛とロマンスのルルーシュ監督らしい。これほど悲惨な事件についてハッピーエンドを描くことで、反感を持つ人もいると思うけど、やっぱりほっとしてしまう。

お膝元アメリカ代表のショーン・ペンはどうなんだろう。やっぱり、「その場所」が題材ですよね。足元という感じだもん。貿易センタービルが崩れ落ちたことで初めて光が差した部屋で、枯れていた花が咲き乱れる。でもその美しさを一緒に見たかった彼女はもういなかった。これは、テロリストが911の前にすでに失っていた家族たちはもう戻ってこないということだろうか。という見方は短絡的すぎ?

アフリカ代表は、ブルキナファソのイドリッサ・ウエドラオゴ監督作品。西アフリカの内陸国で元フランス領のイスラム教徒が半数以上を占める国。みんなフランス語で話していて、通貨はフランだ。フランスにいるアフリカ系モデルみたいに滑らかな肌とくっきりした顔立ちの子どもたち。市場の喧騒の中、ラジオのニュースで911テロを知る人々。あまりに遠い国の出来事だ。大変な事件かもしれないけど、それより母が重い病気で薬を買うお金がない。莫大な懸賞金がかかっているビンラディン(によく似た人)を一人の少年が見つける。…が、それらしき人は飛行機で飛び立っていった。このときは彼も生きてたしウエドラオゴ監督も生きてた。舗装されてない道路を歩く少年たちは学校へ戻っていく。…という日常に変わりはなかった、と。音楽がサリフ・ケイタだ。王族の血を引くアルビノのミュージシャンとして90年代に日本でも名をはせた彼は、まだ存命。そうか彼が生まれたマリはブルキナファソの北に位置していて同じくフランス語が公用語なのか。アフリカって本当にごく一部しか知らない…。

紛争でしか知らないボスニア・ヘルツェゴビナ代表はダニス・タノヴィッチ監督。隣のセルビア・モンテネグロはエミール・クストリッツァ監督の出身国だけど、彼らが生まれたころは全部ユーゴスラビアだった。二人とも民族的にはイスラム教の影響が強い。生まれた国が内戦で分割して別の国になってしまった人たちから見て、初めて国内で攻撃を受けたアメリカのことは「私たちはずっと前からこうだよ」っていう気持ちにしかならないだろうな。足がないことをいつもギャグにする青年と、911の当日にもデモに出かける暗い目をした女性。すごく、その町の日常はそうなんだろうなと思えた作品です。

エジプトはユーセフ・シャヒーン監督。911にちょうど居合わせたエジプト人監督が言葉を失うけれど、海岸にいるとレバノンの爆弾テロで失った息子の幽霊が海からやってくる。息子と語り合うのは、アメリカがいかに他の国を攻撃して膨大な数の人々を殺してきたか。…監督役の俳優が驚いたり悲しんだりする表情が、ちょっと大げさで、なんとなく日本のテレビドラマみたいだな。

イスラエルはアモス・ギタイ監督。父親がポーランド出身でバウハウスの有名な建築家だったが、ナチスに追われてイスラエルへ逃げたという出自。大学まではイスラエル、のちにアメリカに留学した経験の持ち主です。この作品では自爆テロが起こったばかりの現場で救急車を待ちながらトリアージュ中の救急隊員と、邪魔ばかりする報道記者たちが入り乱れます。「9月11日には歴史的にさまざまな重大事が起こっていました」「何?放送中断?アメリカがどうしたの?」…大事なことは今そこで命を救うこと。地元の人にとって、その事件を報道することは、アメリカで起こった事件を報道することよりは大事かもしれないけど。監督はアメリカに暮らした経験があってもなお、自国を最大限に思い守り続けてると感じました。アメリカはユダヤ人の国かもしれないけど、イスラエルはアメリカの一部ではない。

インド代表はミーラー・ナーイル監督。「モンスーン・ウェディング」は欧米向けにわかりやすくインド文化を開設したような英語の映画だったけど、これはニューヨークに住むイスラム教徒のパキスタン人家族のお話。貿易センタービル近くに仕事に出かけた息子が帰ってこない。母はポスターを張り出して息子を探し求めるが、彼は犯人グループの一人としてFBIに指名手配されてしまう。のちに彼はボランティア救命士として現場に駆けつけて亡くなったことが判明して名誉を回復される。という実話。これもまた、彼女が描かなければならなかった物語ですね。

イランのサミラ・マフマルバフ監督が取り上げたのは、イランの難民キャンプにいるアフガニスタン難民。力関係が複雑だ。地政学のお勉強だ。真面目な女性の先生が、小さい子どもたちに911で起こったことを伝えて、1分間の黙とうをしましょうと言うけれど、みんな小さすぎて事件のことがほとんど理解できない。笑ったりふざけたりする天真爛漫な子どもたち。アフガニスタンは911の加害者側と認識されることが多かったんじゃないかと思うけど、その国の子どもたちはテロリストの仲間に見えますか?っていうメッセージなのかな。この先生の気持ちは、「お願いだからこの中から誰もテロリストにならないで。犠牲者にもならないで」かもしれない。

多国籍企業で働いてたとき、同じ業務をやっている各国の担当者の集まりはサミットみたいだった。だんだん仲良くなってきて、食事しながらドイツ人に「アメリカに移住してアメリカ企業で働いてるドイツ人っていう自分が嫌になることがある」と言われたことも、韓国人に「父は日本軍に殺された」って言われたこともある。中国オフィスのAさんは共産党員で、米国籍を持ってるBさんに追い出された」って話も聞いた。そういう突然くる重い瞬間が、世界に目を向けて理解しようとし続けることの大切さを心の底に刻み込んでくれました。

世界中の監督を集めなければならなかった理由が、こういう作品を見てると実感できます。偏らないためには、中道の意見を言うのでも黙っているのでもなく、様々な人たちに発言の機会を与えることなんだな。参加している監督の日本語のWikipediaの項目が全部あったのはちょっと驚きました。私が知らなかっただけで、それぞれの国を誇り高く代表している名監督なんだと思います。リスペクト。

セプテンバー11 [DVD]

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  • 発売日: 2003/09/05
  • メディア: DVD