映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ミシェル・ゴンドリー監督「グッバイ、サマー」2727本目

リンドグレーンのジュブナイル小説みたいな(それにしちゃ下世話か)、少年のころの冒険を描いた、夢いっぱいの素敵な作品。

原題は二人のあだ名なのに、エスプリのない邦題だな~。英語だし。この邦題をつけた人は、過去の作品を見たことがないのかも。せめて「僕らの走る家」とかさ…うーむ

この作品は脚本もミシェル・ゴンドリー。チャーリー・カウフマンじゃないので、ちゃんとゴンドリー風味で、あけすけだけど意味不明じゃなくて可愛い。ゴンドリー作品て、ビヨークのMVとかを見ても、可愛くてなんか変。といってもカウフマンは「ものすごく変」なのでどこに接点があったのか想像つかないなー。

この映画は監督の自伝的作品らしい。まさか農機具のエンジンを使ったキャンピング・カーは本当に作ったりしてないと思うけど、女の子に間違えられる繊細な僕と、機械いじりが得意なちょっと変わったテオが一緒に過ごした素敵な季節があったんだろうな。でもちょっと心配になる。監督本人のインタビューを読んでも、大作が流れてしまった後この小品を作ることにしたと書いてある。ペドロ・アルモドバルにしろ他の巨匠にしろ、自分の幼少期はたいがい監督自身の制作衝動のみなもとだ。最初から自分丸出しのグザヴィエ・ドランみたいな監督は別として、彼のような制作者がこういう自伝を作ってしまうということは、今の彼にはあふれる制作衝動ではなく自分を振り返る隙間ができてしまっている。彼がこれから新奇な作品を作るパワーは戻ってくるんだろうか。

さて。オドレイ・トトゥは「アメリ」後わりと悪い女の役なんかもやってちゃんと大人の俳優になって、こういうおばちゃんの役もこなす。だってフランスの女性は成熟することを良しとするから。

主役の男の子ダニエルは、担任の先生から「女生徒」と言われるくらい、細くて少女みたい。(監督自身がモデルらしい)まだ声変わりもしてないこんなコドモが、女性の裸の絵を描いていっしょうけんめい練習に励むもんなんですか?

ダニエルの親はスピリチュアルにかぶれていて親は子どもに過干渉、兄はパンクになり、彼自身はありあまる感性を持て余している。変わり者どうしの新しい友達テオ(彼のモデルになった子は実在するけど、その後何十年も会ってないらしい)の父は自称アーティスト、母は肥満からくる心臓病。その兄は麻薬中毒の末軍隊へ。…という、なかなか生きづらい日々を送っています。動く家を作って冒険に出かけるのは、当時の彼らの夢だったんでしょうね。

「髪を切っても女に間違えられたらもう生きていけないから、切るのが怖かった」とゴンドリー監督は自分の体験をインタビューで語っています。しかしなんで日本人のマッサージ嬢が「マッサージ&散髪」をやってるんだろう…現実には多分フランス領だったベトナム人とかじゃないかと思うけど、彼女たちに「カワイイ」って言わせたかったのかもね。

できるだけ小さいキャンピング・カーで暮らすのは、私の夢でもあります。この映画はテオが町を出て、新学期が始まり、ダニエルも刺激のない日常に戻っていきます。一番楽しかったことって意外と忘れてしまうけど、私も小さい頃、アパート裏の「秘密基地」で遊んだこととか思い出してしまいました。

グッバイ、サマー(字幕版)

グッバイ、サマー(字幕版)

  • 発売日: 2017/04/04
  • メディア: Prime Video