映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

すずきじゅんいち監督「442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍」3690本目

タイトルを見ただけで緊張します。まず、誰がお金を出して誰が監督した映画なのか?

監督は日本人の名前。製作国は日本・アメリカとなってる。監督は長年アメリカで日本に関連した映画の仕事をしてた人なんだな。442部隊に加わった日系人たちの痛みを身近に想像できる場所にいた人だ。

日本からアメリカに移住してどれくらい時間が経てば、自分は日本人でなくアメリカ人だと思えるんだろう。時間を経て改めて日本を憧憬することもあるかもしれない。100%アメリカ人だと感じていたとしても、親戚は日本軍に従軍してるかもしれない。そうなると「麦の穂をゆらす風」だ。アメリカの人たちは合理的だから、彼らを日本の戦線には送らない。ヨーロッパに送られた彼らはすごい戦績をあげたらしい。たくさん敵を殺したとさわやかに笑う人もいる。元アメリカ兵たちは、日本にいる日本人には決して見せないそういう顔をして、過去を誇るんだろう。正しくアメリカ人、アメリカ兵になった人はその仲間として一緒に笑い合う。

彼らは一緒に戦う日系人の仲間を撃った憎むべき敵たち、ドイツ兵やイタリア兵たちをためらいなく撃ちまくった。敵として認識したのは「日本」というより「枢軸国」で、目の前にいたのはドイツやイタリアの兵士たちだった。彼らは収容所のユダヤ人たちを解放する手助けをした。自分の中に、ヒットラーとムッソリーニを討ってくれて、ユダヤ人を助けてくれてありがとう、と言いたいような気持が浮かんでくる。あの戦争における日本軍の戦い方には、現代の私たちはなかなか共感しづらいものがある。

「国」ってなんだろう。何を隔てるのが国境なんだろう。人種や民族じゃないし、必ずしも国籍でもない。「どの国からオリンピックに出場するか」とか、所属したチームで優勝を目指すとか、就職した会社で競争に勝つ、というようなものなのかな。

二世の彼らは親から日本的な美徳を徹底的に教え込まれてる。日本人たちは自分たちのことをアメリカ人として攻撃する。アメリカの白人たちは自分たちを差別する。選択肢は1つしかなくて、それは良いアメリカ市民となって戦うことだった。と想像する。

この映画の公開から13年経ってる。インタビューを受けた人たちはみんな80代後半だ。元気そうだけどもう亡くなった人もいるだろう、このときのようにはもう話せない人もいるだろう。

インタビューに応じた「二世」のなかで最も輝かしい勲章を受けたダニエル・イノウエは、もしや?と思ったら、ダニエル・イノウエ空港のあのダニエル・イノウエ本人だ。インタビュー当時も上院議員だったけど、2012年に亡くなっていることを考えると、これだけでもこの映画はものすごく貴重な記録だな。(彼が来日して当時の岸首相と会談したときのエピソードも強烈だったけど、ここには書きません)

私は戦争反対の立場を崩したことはないけど、自分が置かれた戦場で「戦うと決まったら賢く戦い、できるだけ血を流さずに、勝つ」と思い定めて戦う気持ちは、「普通」だと感じる。

すばらしい戦績をあげた彼らが、たまたま日本にいて日本軍として戦っていたらどうなっていたか。それはつまり、日本人を束ねるのは日本人よりアメリカ人のほうがうまくいくっていうことなの?

それでも私は軍人にならなければならないと言われたら喜んで刑務所にでも入るわ。