映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

ジョン・デュラガン 監督「ブコウスキー:オールドパンク」2804本目

知らない人だけど借りてみた。「パンク」って聞くとへたくそでうるさい音楽のアレ?って思いますよね。(注:私は元パンクスと人前で言っているくらいパンクを愛している)英語圏の「パンク」は不良、ゴロツキ、みたいな意味で使われることも多い気がします。だからこの映画は音楽映画と同列ではなく、ウィリアム・バロウズやジャック・ケルアックを読んでみたり映画化された「オン・ザ・ロード」を見たりする流れで見てみようと思います。

しかしこの人は、1940年代にLAからNYに移住してビートニクスたちと同時代にそこにいたのに、創作活動はいったんあきらめて1960年代の末にやっと芽が出たとのこと。彼とビートニクスとのつながりは、ググっても何も出てきません。近い部分あると思うけどなぁ。でも正直、偽悪的、露悪的なビートニクスの詩人たちより、映画の中で彼自身が朗読する詩のほうが易しくわかりやすい言葉で真っ正直なことを語っていて、なんというか、日本でいえば裸の大将とか棟方志功みたいなとっつきやすい感じで愛嬌があります。笑える。笑顔が子どもみたいで、周囲の人たちからきっと愛されただろうなと思うし。

ハリー・ディーン・スタントンに似てる人が出てると思ったら彼だった。仲良かったらしい。二人並べた姿も、きっとすごくいい。こんな二人が毎晩ダラダラしてるバーがあったら、見るだけでいいから行きたい。

U2のボノやトム・ウェイツもファンなんだな。彼の詩や小説はユーモラスで地道であったかい。ビートニクスたちは自分たちが賢くて偉くてその他の奴らはバカだと上からものを言うけど、ブコウスキーは一生郵便局で嫌な仕事を続けるつもりでいたところが好きだ。嫌だとちゃんとわかっていたことも、それでも続ける覚悟をしてたところが。

…また読みたい本が増えてしまった!

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ビリー・ワイルダー監督「地獄の英雄」2803本目

邦題は「地獄の英雄」、原題はKINENOTEでは「The Big Carnival」となっているけど映画では「Ace in the Hole」となっています。特ダネのために事故の解決を遅らせる不良記者の話だから、英雄でもカーニバルでもなく、ポーカーの切り札が穴の中に閉じ込められている、というタイトルが合ってますね。

「サンセット大通り」みたいな、悪いやつが案の定自分で堀った落とし穴に落ちるイヤ~な物語。この映画の中で起こる事故は、家族まで来ているのに報道規制が敷かれるどころか悪徳記者が場を仕切って、人命が最後の最後になっているという、とんでもない状況。今はおそらく世界中にかなりの部分で、同様の失敗を数々重ねたあとで、人命最優先の徹底が図られてるはずなので、この映画は古き「悪き」時代の物語として見ればいいのかもしれませんが。

マスコミ攻撃だけに終わる人もいると思うけど、自分たちの物見遊山の好奇心が1000人、10000人、と積み重なって、多くの人が求めるものを視聴率順に機械的に提供しているだけのプラットフォームがマスコミだから、マスコミがなくなればまた違う口コミやら新しいメディアやらが出てきたり、自分で車を出して見に行くこの映画のような人たちが大勢結集するだけ。おおもとはどんな人にもある「珍しいものを見たい気持ち」だからね。それをみんな少しずつ抑えて、被害者を助けるのを最優先にしましょうっていうことを改めて胸に刻みたいです。

カーク・ダグラス演じる野心の塊のような記者が、最後の最後まであがく生きざまというか死にざまは、徹底していて、ある意味あっぱれでした。

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デヴィッド・フィンチャー 監督「Mank マンク」2802本目

久々のフィンチャー監督作品。

あえての白黒だろうけど、「市民ケーン」と同じ光量で撮るべき映画じゃないだろう。人物が遠めで画面暗めなので、誰が誰だかわかりません…とくに室内の女性たち。

時系列がバラバラ(こまごまと年号が表示されるけれど)だし、そもそもの背景を知らないから名前も顔も覚えられないし(私どうも、邦画でも洋画でも、人の区別がつくのに時間がかかるみたいだ)。 

いっしょうけんめい、Wikipediaとかでマンクやウィリアム・ハーストのことを調べながら見ても、映画と有機的につながって人物像や時代背景が立ち上がってくる…ということがない。「市民ケーン」は、かつて成功者だった男の悲哀を描いて胸を打つ作品だったけど、これは、しゃべりがうまいけどしゃべりすぎて身を滅ぼした脚本家のお話、という印象しか持てない…。

結局4,5回も見ようと試みて、やっと最後まで見られました。内容というより構成や撮影が私にはとてもきびしい映画だったなぁ。

オリヴィア・ワイルド「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」2801本目

レンタルは始まってないけどNetflixにはでてました。

アイデアが良くて、設定を聞いただけでニヤリ、クスリ、と笑ってしまいます。日本でもどこの国でもありそうな話。監督してるのがリチャード・ジュエルでイヤミな記者をやってたオリヴィア・ワイルドってところがまた、イイです。

ダサ賢い2人のキャラクターが最高です。日本にもいっぱいいる、けっこう可愛いのにオタクすぎて近寄りがたい子たちって。

2人は卒業前夜に一番盛り上がっていそうなパーティの場所を探して、町をさまよいます。大金持ちの自己愛野郎の船上豪華パーティの次は、Lyftでバイトしてる校長先生の車で演劇少年の芝居小屋?へ。いつになったらニックのパーティにたどり着けるのか…。

女性版マイルドな「ハングオーバー」って感じもしますね。映画大好きな女性なら、作ってみたいと思う気持ち、わかります。ドラッグの力でバービー人形になるのも、女性らしい発想。(脚本は没になった後で何度も書き直されたらしい。バービーはオリビアの発想ですって。最初は「いい先生」の役のオファーを受けたのかな~~)

リーダーキャラのモリーと社会運動に熱心なレズビアンのエイミーを中心に、ジョージタウン大学に行く少し金髪にした男の子ニック、Googleに就職する長髪のメキシコ系、スケボーが得意でスタンフォードに行く日系少年(福くんが大きくなったようなかんじ)…。

最後の最後に(これネタバレ?)空港でエイミーを見送って涙ぐんでたモリーのところに、時間が余ったと戻ってきたエイミー。「パンケーキ食べよう!」これ最高だなぁ。

問題は、映画に出てくるような女どうしの「親友」関係って、なっかなか築けないってところだよな…。

アッバス・キアロスタミ監督「トスカーナの贋作」2800本目

イランの巨匠、アッバス・キアロスタミ監督の割と新しい2010年の作品。

原題は「Certified copy」、一部しか作らない重要文書とかをコピーして「Certified copy」の印を押すと、原本と同じというお墨付きが付いた複製物のことです。贋作というのは本物であると偽る意図で作られる偽物のことなので、だいぶ趣旨が違うなぁと思ってしまいますね。

作家とそのサイン会に来た女性が一緒に行動するうちに夫婦と見られる。その誤解のなかで起こる出来事や気持ちのすれ違いが、この映画で描かれています。

キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」や「そして人生はつづく」では、ドキュメンタリーふうに素人を出演させるんだけど事実ではなく彼らが演じてるものはまぎれもなく虚構。なのに時系列に沿って彼らは年をとり、家は古びていく。出演者は「これはフィクションなんだけど」というようなセリフを言うのが不思議な映画をとる監督です。彼は真実と虚構という線引きや関係性に強く関心を持っているのかな。

この映画では言葉をよくよく注意して見てみたい…モナリザの原画のことは「original」と呼んでる。真実、原画、原本、本物、…に対して虚構、複製、偽物、があって、しかも複製の中には「認証された複製物」もある。でもそれは原本ではない。本物って何だっけ?

 それにしてもジュリエット・ビノシュはあちこちでかけて行く人だなぁ。是枝監督にも「出して出して」とアプローチをして「真実」の出演を勝ち取ったと聞きます。この映画で作家にぐいぐいアプローチするのも、呼び出しといて彼の言う意見にあれこれイチャモンつける感じも、なんとなくリアルに感じてしまいます。日本だとこういう会話にならず、ファンが先生の話を一方的に拝聴するんだろうな。一方のウィリアム・シメルって理想的な中年男性って感じのダンディっぷりだ!「愛、アムール」ではイザベル・ユペールの夫の役だったのか。

カフェで店のおばちゃんに夫婦と間違えられて、調子を合わせる女。いろんな偽物が跋扈している映画です。

電話をしながら店を出た二人、彼女が息子からの電話でいらだっている脇で彼はなんだか夫のようになっています。広場に着いて、「冬枯れの庭(garden of leaflessness)」の話が途切れたあと、彼女が泉のへりに坐る。そのあとの会話がフランス語になってるのですが、(え?どこからフランス語になったの?)と何度も見直してしまいました。彼がどんどん彼女に取り込まれていく感じが面白いです。 こんなことが実際にあるとすれば、二人の語彙(文化というか)や生活環境が、国が違っても意外と似ていて、普段からそれぞれの夫・妻と「うんざりだ」みたいな話をしてるからかな。

レストランに入ってワインを頼んだらコルクが入っていて男は不機嫌にない…そこから彼は英語でしゃべり、女はフランス語を続けている。面白い。たまに女の言葉に英語が混じるようになる。二人のケンカは、二人の間のことではなく、それぞれの夫婦間の妻としての彼女、夫としての彼、がやりあっているように見えることもあって、まったく不自然とも思えない。

教会へ行って合わない靴を脱ぎ、ブラを外して楽になった彼女に、彼はまたフランス語で話しかけています。取り込まれ続ける男。「砂の女」みたいな気がしてくる。確信犯?

DVDに収録されたメイキングによると、これは監督自身の経験に基づいていて、それをジュリエット・ビノシュと話していた時に彼女にあて書きしてみようと思いついた、んですって。

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ジャン・リュック・ゴダール 監督「軽蔑」2799本目

映画スタジオでの撮影風景から始まる冒頭は、「出演 ブリジット・バルドー」といったテロップをわざわざ読み上げる声も入ります。なんじゃこりゃ。メタ構成?

ブリジット・バルドーはスッポンポンできれいで、赤ちゃんみたいに可愛い。(男性から見たらエロチックなのかな)「五月のミル」で知ったミシェル・ピコリが若くてBBとからんでるのが不思議でならないけど、この作品での彼はアート映画の小じゃれた青年ふう。しかもゴダールの化身として嫉妬深いのに妻を嫌いな男と同行させる、ひねくれた夫を演じています。しかも、妻は英語がほとんどしゃべれないのに、アメリカ人プロデューサーと。前の場面でフリッツ・ラング演じるフリッツ・ラング監督が「現代人は神の不在を見て安心したがる」と言っていたことが示唆するのは、妻の不在に妻を想うということなのでしょうか。

フリッツ・ラング本人はいったい何か国語しゃべれるんだ?と思ったら、オーストリア→ドイツ→フランス→アメリカ、と移り住んだ人だったんですね。どうりでフランス語が堪能だ。

ずっと無音なのにちょいちょい、変なタイミングで入るお葬式みたいな音楽も不思議。 

そして、ゴダールが化体したピッコリが念じて妻と間男を呪い殺した?ような結末。

愛するが故の不毛を描き続けたのがゴダールだった、のかな…。

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AJ・シュナック 監督「アバウト・ア・サン」2798本目

昔シアトルで、この町に来たからにはニルヴァーナ買わなきゃと思って行ったCDショップで、店員の小僧に「Ah? Nirvana? That's classic!」って笑われて違うCDを勧められたのが忘れられません。確か両方とも買ったけど、英語ではレジェンドとか言わないでクラシックって言うんだ!グランジなのに!と思った程度の英語力でした。

アバディーンってスコットランドにもあるけど彼が育ったのはワシントン州、米国の一番「左上」。シアトルは上品な都会だけど、それ以外の町のことはほとんど知らなかった。地元生まれの事務系の女の子とかと話すと、少しだけ雰囲気がわかるけど(会社になぜかトラックで来てるので訊いたら家で農業もやってる、とか)、中心部以外は田舎なんだよな。このドキュメンタリーではカート・コバーン自身がシアトルにコンプレックスがあったとか生い立ちを語っていて、意外だったけどなるほどという気もする。

亡くなる前年の最後のインタビューの終わりに子どもと親の関係を語っているんだけど、子どもの声や、奥さんのコートニーの呼ぶ声なんかも入ってて、タイトルの「サン」はカートのことじゃなくて自分の息子とのダブルミーニングか!とはっとしたけど、調べたら彼らの子どもは女の子だったので違いました。

ニルヴァーナは私があまり音楽を聴かなくなりつつあった時代のバンドで、カート・コバーンは若いスターだと思ってたけど、実は私と2つしか違わなくて、聞いてきた音楽も近い。彼がヘロインにはまったのは、胃の痛みだと思い込んでいた脊柱側弯症のせいだった、みたいな話があって、ペドロ・アルモドバル監督の背骨の話みたいだなと思った。私も今右手が上がらないし歩けなかったこともあるな。痛みがひどいと一瞬死ねたらって思ったりするのだ。

姿も声も美しくて、賢すぎて気難しい、非凡ゆえの苦しみを持ち続けた人。どんなに愛するものたちが側にいても、そこは誰とも共有しようがなかったんだろうな…。