映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

アッバス・キアロスタミ監督「トスカーナの贋作」2800本目

イランの巨匠、アッバス・キアロスタミ監督の割と新しい2010年の作品。

原題は「Certified copy」、一部しか作らない重要文書とかをコピーして「Certified copy」の印を押すと、原本と同じというお墨付きが付いた複製物のことです。贋作というのは本物であると偽る意図で作られる偽物のことなので、だいぶ趣旨が違うなぁと思ってしまいますね。

作家とそのサイン会に来た女性が一緒に行動するうちに夫婦と見られる。その誤解のなかで起こる出来事や気持ちのすれ違いが、この映画で描かれています。

キアロスタミ監督の「友だちのうちはどこ?」や「そして人生はつづく」では、ドキュメンタリーふうに素人を出演させるんだけど事実ではなく彼らが演じてるものはまぎれもなく虚構。なのに時系列に沿って彼らは年をとり、家は古びていく。出演者は「これはフィクションなんだけど」というようなセリフを言うのが不思議な映画をとる監督です。彼は真実と虚構という線引きや関係性に強く関心を持っているのかな。

この映画では言葉をよくよく注意して見てみたい…モナリザの原画のことは「original」と呼んでる。真実、原画、原本、本物、…に対して虚構、複製、偽物、があって、しかも複製の中には「認証された複製物」もある。でもそれは原本ではない。本物って何だっけ?

 それにしてもジュリエット・ビノシュはあちこちでかけて行く人だなぁ。是枝監督にも「出して出して」とアプローチをして「真実」の出演を勝ち取ったと聞きます。この映画で作家にぐいぐいアプローチするのも、呼び出しといて彼の言う意見にあれこれイチャモンつける感じも、なんとなくリアルに感じてしまいます。日本だとこういう会話にならず、ファンが先生の話を一方的に拝聴するんだろうな。一方のウィリアム・シメルって理想的な中年男性って感じのダンディっぷりだ!「愛、アムール」ではイザベル・ユペールの夫の役だったのか。

カフェで店のおばちゃんに夫婦と間違えられて、調子を合わせる女。いろんな偽物が跋扈している映画です。

電話をしながら店を出た二人、彼女が息子からの電話でいらだっている脇で彼はなんだか夫のようになっています。広場に着いて、「冬枯れの庭(garden of leaflessness)」の話が途切れたあと、彼女が泉のへりに坐る。そのあとの会話がフランス語になってるのですが、(え?どこからフランス語になったの?)と何度も見直してしまいました。彼がどんどん彼女に取り込まれていく感じが面白いです。 こんなことが実際にあるとすれば、二人の語彙(文化というか)や生活環境が、国が違っても意外と似ていて、普段からそれぞれの夫・妻と「うんざりだ」みたいな話をしてるからかな。

レストランに入ってワインを頼んだらコルクが入っていて男は不機嫌にない…そこから彼は英語でしゃべり、女はフランス語を続けている。面白い。たまに女の言葉に英語が混じるようになる。二人のケンカは、二人の間のことではなく、それぞれの夫婦間の妻としての彼女、夫としての彼、がやりあっているように見えることもあって、まったく不自然とも思えない。

教会へ行って合わない靴を脱ぎ、ブラを外して楽になった彼女に、彼はまたフランス語で話しかけています。取り込まれ続ける男。「砂の女」みたいな気がしてくる。確信犯?

DVDに収録されたメイキングによると、これは監督自身の経験に基づいていて、それをジュリエット・ビノシュと話していた時に彼女にあて書きしてみようと思いついた、んですって。

トスカーナの贋作 [DVD]

トスカーナの贋作 [DVD]

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