映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

足立紳監督「喜劇 愛妻物語」2948本目

愛妻物語といえば新藤兼人。映画を集中的に見るようになったばかりの2011年に見てました。あれからもう10年か(10年で3000本弱見たわけだ)。

のっけからダラダラしてるだけの夫と、彼をウザがるだけの妻。…妻、わかるなぁ…誰のせいでこんなに忙しく働いてると思ってんの…(あれ、私こんな男と付き合ったことあったっけ?)思ってもまさか口に出さないようなことを、ぽんぽんためらいなく言うから、なんかちょっとスカっとしてしまう…。水川あさみ、めちゃくちゃハマり役じゃないですか。なんでスカッとするかというと、暴言吐いてても顔がハンニャじゃなくてキレイだからかな。母と息子みたいで。

一方の濱田岳が、またハマり役。まだ若いのに締まらない体つき、優柔不断でいろんなことが苦手。才能はあるみたいなのに、仕事を選んじゃって全然売れない脚本家。きっと監督の自伝的作品か…?(新藤兼人の「愛妻物語」と同じだ、だから同じタイトルなんだな)…「百円の恋」を書いたのか。あの映画は良かったな。(これしか見てないや)

結局のところ、妻は夫に過大な期待をしてるし、自分の一部に厳しくすればうまくいくとでも思ってるみたいに、夫を叱咤、叱咤、ひたすら叱咤しつづける。言いすぎじゃない?って思うところもあるけど、二人+小さい娘と大泣きして、どうしようもなくこの人たちは家族なんだなぁ、ほとんど自分の身体の一部みたいになってるんだよな、と思う。

新藤兼人みたいなストイックさはないけど、怠け者じゃなくてダメな人たちの底力を描ける、いい脚本家なんじゃないかなぁ?

喜劇 愛妻物語

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  • 発売日: 2020/12/26
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河瀨直美監督「朝が来る」2947本目

<ネタバレあり>

去年10月の公開、およそ半年を経てVODで見ました。原作は辻村深月。

子どもを持つことを望んでいる夫婦のどちらかの生殖器官が子どもを作れないことがわかったときに、作れないほうが「離婚も考えてくれ」って言ったり、「いいよ」って言われて泣く。それって、子どもがホモセクシュアルだったら、孫の顔を見せられないって言って親に泣いて謝るべきっていう価値観なのかな。結婚ってみんな、子どもを作るために、あるいは子どもを作る前提でするの?どんな人間にも、100%働いていない器官が一つくらいはあるかもしれないのに、なんて楽観的なんだ。 

養子をもらうことは、身体をいためて産む子どもの代わりを見つけることじゃない。実子だって予想できない性格や能力を持っているかもしれないし、特別養子縁組をして戸籍に入れて育てるとしても、子どもは誰にとっても授かりもので、誰かのものになるわけじゃない。一緒にいられる時間は神様からの授かりものだから、感謝して一緒に過ごさせてもらう、ということしかないと思う。

…この映画を最後まで見る上で、その辺を乗り越えるのがハードルになる人は少ないのかな。

ひかりは友達の借金の肩代わりをするし、傷んだ茶髪と荒れた肌で息子の養父母を訪ねて追い返されてしまうけど、借金のカタに”風呂に沈められる”ことはないし、最後には養母の心からの謝罪を受ける。

ひかりは、”風呂に沈められ”る女の子たちや、ダニエル・ブレイクが助けようとしたシングル・マザーのケイティほどは落ちていかなかった。その辺が、強くて賢い女、河瀨直美が作った映画だなぁと思う。(私もそっちの仲間だと思う、多分。)ひかりに借金を負わせて消えた女友達は、河瀨監督の主人公にはならない。

この映画のポイントが、世間の無理解のなかでも闇に飲まれずに生き延びるっていうところにあるなら、少しほっとするかな。可哀想に見える人が可哀想なんじゃない、悪そうに見える人が悪いんじゃない。共感したり安心したりする部分もあるのに、怒りたいような変な気分なのは、自分はまだ達観できてないからかな…。

養子についての映画はたくさん作られてきてるけど、「そして、父になる」も「秘密と嘘」もこの作品も切り口が違っていて、見るたびに心の違うところに触れるので、もうしばらくいろんな人が作っていくといいと思います。

朝が来る

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  • 発売日: 2021/02/24
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トレイヴォン・フリー&マーティン・デズモンド・ロー監督「隔たる世界の二人」2946本目(KINENOTE未掲載)

<ネタバレというか、あらすじ全部書いてます>

32分間の短編。

昨夜ナンパした女性の家で目を覚ました黒人男性。建物を出たところで、人にぶつかって白人警官に呼び止められ、いちゃもんを付けられて取り押さえられ、押さえどころがまずくて窒息してしまう。通行人の女性がその一部始終を目撃し、スマホで動画を撮ってることにも気づかないくらい、警官たちは彼を取り押さえることだけに夢中になってる。

2回目。誰にもぶつからず、煙草を吸っていただけなのに、また取り押さえられて今度は撃たれてしまう。

3回目。一夜を共にした彼女への態度は、どんどん紳士的になっていって、今度は二人で朝食のフレンチトーストまで作っているのに、犯罪容疑者と部屋を間違えられて、家に押し入った警官に撃たれる。

4回目も打たれる。5回目もとにかく撃たれる。6回目もいつの間にか撃たれている。7回目、逃げても打たれる。(続く)

なんか、近代アメリカ史における、白人警官による理不尽な黒人殺害事件のぜんぶを追体験させられているかのような不幸な主人公。もはや「一夜をともにした女性」は置いてけぼりだ(笑)。

次の「回」は彼女と話し合う。彼女のアドバイスは「撃ち返す。相手がニガーなら話してみるけどね」。今度は巡査に自分から話しかけてみる。でも別の流れ弾にやられる。

その次。それまでの話をまた全部巡査にしてみる。とうとう巡査は彼をパトカーで自宅まで送ることに。車内で巡査は自分が昔いじめられていた話をしたり、主人公は白人の恩恵の話まで…どんだけ遠くに住んでるんだ!

車は、ジョージ・フロイドをはじめとした、警官による殺害の被害者の名前が屋上に書かれた建物の間を走り抜けてやっと、愛犬の待つ彼の家へ。そこで突然、すべてを最初から知り尽くしていた、神のような悪魔のような視点を持つ巡査がネタバレの後彼を射殺して「また明日」。待ちぼうけをくう愛犬。

100回繰り返してもダメ。「ダメ」がこの映画の主張だから。フィクションというより主張映画という感じです。

アメリカにいる黒人がすべて犠牲者になったとしても、今度はアジア人あたりがターゲットになるだけだ。嫌いな順に、自分たちがかつて受けてきた屈辱を晴らす対象が選ばれるだけ。ターゲットのほうをいくら研究しても絶対解決しないんだ、加害者になる側がどうやって加害者となっていったかを「自分」のこととして共有する勇気をもたなければ。アンガーマネジメントというより、自分の心の奥にどんどん溜まっていって、日に日に見えないところへ隠れていく「憎しみ」とどう向き合うかという問題なんじゃないかと思う。

いじめとか虐待という言葉が、程度によって使い分けられるべきなのか考えると、そういう言葉を使いたくなくなるんだけど、子どものころからわりと憎まれたり攻撃されたりしやすい私としては、最初に攻撃される自分の何がそうさせているのかを思い悩んで、結局それでは事態を変えられないことに気づく。自分自身の中にも、頑迷でなかなか人を許せない部分があることも認識するに至る。自分が変わらないのと同じように人も変わらないから「話し合ってわかりあう」ことには限界がある。逃げるしかない、対立を避ける、というのが「イマココ」といった感じなんだけど、加害者になりがちな人にも「嫌いな人に注目するな、目をそらせ、気にするな」としか言えないな。最近は「正義って人それぞれ違うイメージを持ってるから、正しいことを目下の人に仕込もうとする」こと自体がNGだと思う。自戒も兼ねて。

ウィル・マコーミック& マイケル・ゴビエ監督「愛してるって言っておくね」2945本目(KINENOTE未掲載)

Netflixの契約が今日までなのであわてて見る。アカデミー賞の短編作品賞にノミネートされている、わずか12分の作品。

タイトルが気になってずっと見ようと思ってた。小さい女の子が過干渉のおばあちゃんにでも「愛してる」って言っておく映画かと勝手に想像してました。まるで違った。

画面には沈み切った雰囲気の、会話のない夫婦の食卓。洗濯機に残っていた青いTシャツ、サッカーと猫が好きな、元気そうな女の子の写真。どうやら失われたらしいその女の子と両親は、影(魂だけを表したものかな)の形では元気で仲良しです。

事件が起ころうとしている学校に行かせたくない両親の魂や、自分の事件のせいで離れていこうとしている父と母をつなぎとめようとする娘の魂を描いてるところが、表現として新しいと思います。ちょっと日本的な情緒にも通じる。(「コーヒーが冷めないうちに」を見たからそう思うわけではない)

長編映画は途中で冗長に感じる瞬間があったりするけど、短編は一瞬も無駄がなくていいですね。ほんと。

 

クロエ・ジャオ 監督「ノマドランド」2944本目

迫りくるアカデミー賞候補作だし、原作のほうが映画より悲惨という情報も入ってきて、気になったので映画館いってきました。実名でアマゾンやウォルドラッグ(ウォルマート経営のドラッグストアかな)が登場し、ロケまでやらせてもらってる映画の限界という気もする。

早期半隠居して、この先の生活費をどう抑えていくかで頭がいっぱいで、田舎へ移住か、キャンピングカーを買うか、など真剣に考えている私としてはヤケにタイムリーで気になるテーマです。日本には「わびしいトレーラーハウス暮らし」という層がないので、若者たちの夢の旅みたいなイメージが強いけど、老後の車上生活の現実を見せつけられた感じが強いです。

日本は可愛い女子が自分でせっせと可愛く改造したキャンピングカーのYouTube映像とかが流れてて、今めっちゃイケてる趣味、みたいになってるけど。理想と現実。

フランシス・マクド―マンドの重力あふれる存在感が、相変わらずすごいですね。ノマド暮らしを余儀なくされてきた老人たちの表情はとても明るいけど、”給料のいい”アマゾン仕分けの仕事は、たまにしかないし、キャンプサイトの係員もウォルドラッグの仕事も、長く続かない。(アマゾンの仕分けの時給は最低時給の2倍だけど、オフィスワークの人たちとは比較にならないくらい低いので、ブルーカラーの人たちがデモをやってるニュースを見たことがある)しわの多い、頭の白い人たちが荒野のただなかで暮らす姿は、弱弱しくてちょっと痛い。でも彼らが見つめる大きな夕焼けは果てしなく美しくて、彼らの心も果てしなく開かれて至福なのかもしれない。というより私はもともと旅行ばっかりしてて、そういう暮らしが心底したいと思っているので、その場面では私がファーンと化してそこでコーヒーを飲んでいるようなのです。外国まで行かなくても、裏高尾でも、大自然のど真ん中に自分一人ですっくと立つと、心も体も洗われて地球と一つになるようで最高なんですよ(たとえ傍からは中年女がふらふらしてるようにしか見えなくても)

貧しくて家を持てず、親戚の世話になりたくないから一人で旅を続けてる人がこの映画には多い。彼らはヒッピーのなれの果てじゃなくて、年を取ってそれまで持っていたものを失ったことでやっと身軽になれて、自由を掴めたともいえる。

家のある人たちと同じように、今日も明日もやりたいことをなるべくやるだけ。お金があればお金のかかる生活をし、なければお金のかからない生活をする。そぎ落とすことで研ぎ澄まされていくものもある。

人んちのふかふかのベッドで寝ても眠れない。遠慮じゃなくて嫌なんだ。ファーンの夫は彼女の中で生きている、本当に生きてるから、どんなにいい男が現れてもその人と家族にはなれない。ありがとう、でも放っといて、という気持ちなんじゃないかな。

この作品は、マイケル・ムーアはもちろんだけど、ケン・ローチほどの結論も見せない。ダルデンヌ兄弟くらい結論を突き放してるけど、でもノマドたちの表情を見れば、可哀そうな人たち、社会を是正しろ、というだけじゃないことはわかるんじゃないかな。「経済から落っこちてしまって、車上生活しかできない人たちがいる。」という社会的視点と「でもお金って天国まで持っていけたっけ?残された時間が短いなら、自由を味わってもいいんじゃない?」という精神論的視点が共存してる。

自分がノマドの一人だったら友達や昔の同僚たちからどう見られるんだろう?と想像してしまうと落ち着かない。「なんであんないい仕事を捨てたんだ、再婚でもして落ち着いたらどうだ。一人で好きなことして暮らすのが楽しいなんて、意地を張ってるだけじゃないか?」そうじゃなくて、愛する人を亡くしたり、理想的な仕事や家を失ったりするのが生きるということだし老いるということだから、日本のどんな人にも、この主人公と同じ心理で自然と向き合うことは、多かれ少なかれあるんですよ。必ず。そうなったときにどんな自分でいられるか、を無言で真正面から問いかける作品。

原作の小説のほうも読んでみなきゃ。

ジャン・リュック・ゴダール監督「勝手にしやがれ」2943本目

英語のタイトル「Breathless」はフランス語の直訳なのね?

前に見たときは感想を書かなかったみたいだけど、ジーン・セバーグが「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン!」って言いながら新聞を売り歩いてたのがカッコよくてキュートで、もうそこだけ一生忘れられません。ジャン・ポール・ベルモントも、ひどい男なんだけどあまりにカッコイイからしょうがない。

でもそのときはまだ、ゴダールがめんどくさい男だという認識がなく、なんかマカロンとかスフレみたいにコジャレたおフランスの映画だぜ、くらいに思ってたので、 今見ると男のめんどくささも、振り回される女も、あまり真剣に見られず「勝手にやってろよ(いつものように)」みたいな気持ちになってしまうのでした。

…もしかして、見ないほうがよかったかな…映画のイメージとしては…。

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大林宣彦監督「海辺の映画館」2942本目

予想はしてたけど、これは、ものすごくコンテクストが重要な作品だな。あの大林宣彦監督の、よりによって最後の作品。ということをほぼ全員知った上で見て評価してるわけだけど、全く知らずにこれを見たとき、どのように私は楽しめるだろうか?

わりあい最近「ハウス」「麗猫伝説」「花筐」を見た(コンテクストを踏まえた)私としては、 ああ大林監督って面白い人だなぁ、極彩色でいろどられた古民家で魑魅魍魎と人間とみんなで囲炉裏を囲んで酒を酌み交わすような、全然枯れてないイマジネーション。バラエティに富むキャスティングは「好きな人みんなを呼んでみた」んだろうな。ファンタ爺の高橋幸宏の唐突さは意外と気にならず、伊藤歩を見るのは久しぶりだけど、やっぱりキレイだなぁ。

これは大林監督のあの世へ行く直前の「走馬灯(のように脳裏をかけめぐる思い出)」か。(Wikipediaを見たら常盤貴子もそう言ってたらしい)

認知症予備軍のお年寄りのお話を聞くボランティアをやってたとき、彼らがつらつらと語るランダムな思い出やビジョンは、言葉になってくる部分だけだとこじんまりと感じられてたけど、もしかしたら頭の中にはカラフルでにぎやかでエネルギーあふれる世界が広がってたのかも、という気がしてきてなんだか愉快になる。どんな一人の人間にも、映画一本分以上の世界が詰まってるのかも。

ストーリーを構築して反戦の思いをファンタジーとして昇華、なんてまどろっこしいことはしない。もともと、起承転結の納得のいくストーリーを重視してなかったのかも。「ハウス」も「麗猫」もそんな映画だった。それがまた面白かった。ここまでランダムなものをランダムなままごちゃっとまとめて、面白いと思わせるのはマジックなんだろうなぁ。

皆さんどんな感想を書いてるんだろう…。これから読ませていただきます。

海辺の映画館ーキネマの玉手箱

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  • 発売日: 2021/02/15
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