映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

クロエ・ジャオ 監督「ノマドランド」2944本目

迫りくるアカデミー賞候補作だし、原作のほうが映画より悲惨という情報も入ってきて、気になったので映画館いってきました。実名でアマゾンやウォルドラッグ(ウォルマート経営のドラッグストアかな)が登場し、ロケまでやらせてもらってる映画の限界という気もする。

早期半隠居して、この先の生活費をどう抑えていくかで頭がいっぱいで、田舎へ移住か、キャンピングカーを買うか、など真剣に考えている私としてはヤケにタイムリーで気になるテーマです。日本には「わびしいトレーラーハウス暮らし」という層がないので、若者たちの夢の旅みたいなイメージが強いけど、老後の車上生活の現実を見せつけられた感じが強いです。

日本は可愛い女子が自分でせっせと可愛く改造したキャンピングカーのYouTube映像とかが流れてて、今めっちゃイケてる趣味、みたいになってるけど。理想と現実。

フランシス・マクド―マンドの重力あふれる存在感が、相変わらずすごいですね。ノマド暮らしを余儀なくされてきた老人たちの表情はとても明るいけど、”給料のいい”アマゾン仕分けの仕事は、たまにしかないし、キャンプサイトの係員もウォルドラッグの仕事も、長く続かない。(アマゾンの仕分けの時給は最低時給の2倍だけど、オフィスワークの人たちとは比較にならないくらい低いので、ブルーカラーの人たちがデモをやってるニュースを見たことがある)しわの多い、頭の白い人たちが荒野のただなかで暮らす姿は、弱弱しくてちょっと痛い。でも彼らが見つめる大きな夕焼けは果てしなく美しくて、彼らの心も果てしなく開かれて至福なのかもしれない。というより私はもともと旅行ばっかりしてて、そういう暮らしが心底したいと思っているので、その場面では私がファーンと化してそこでコーヒーを飲んでいるようなのです。外国まで行かなくても、裏高尾でも、大自然のど真ん中に自分一人ですっくと立つと、心も体も洗われて地球と一つになるようで最高なんですよ(たとえ傍からは中年女がふらふらしてるようにしか見えなくても)

貧しくて家を持てず、親戚の世話になりたくないから一人で旅を続けてる人がこの映画には多い。彼らはヒッピーのなれの果てじゃなくて、年を取ってそれまで持っていたものを失ったことでやっと身軽になれて、自由を掴めたともいえる。

家のある人たちと同じように、今日も明日もやりたいことをなるべくやるだけ。お金があればお金のかかる生活をし、なければお金のかからない生活をする。そぎ落とすことで研ぎ澄まされていくものもある。

人んちのふかふかのベッドで寝ても眠れない。遠慮じゃなくて嫌なんだ。ファーンの夫は彼女の中で生きている、本当に生きてるから、どんなにいい男が現れてもその人と家族にはなれない。ありがとう、でも放っといて、という気持ちなんじゃないかな。

この作品は、マイケル・ムーアはもちろんだけど、ケン・ローチほどの結論も見せない。ダルデンヌ兄弟くらい結論を突き放してるけど、でもノマドたちの表情を見れば、可哀そうな人たち、社会を是正しろ、というだけじゃないことはわかるんじゃないかな。「経済から落っこちてしまって、車上生活しかできない人たちがいる。」という社会的視点と「でもお金って天国まで持っていけたっけ?残された時間が短いなら、自由を味わってもいいんじゃない?」という精神論的視点が共存してる。

自分がノマドの一人だったら友達や昔の同僚たちからどう見られるんだろう?と想像してしまうと落ち着かない。「なんであんないい仕事を捨てたんだ、再婚でもして落ち着いたらどうだ。一人で好きなことして暮らすのが楽しいなんて、意地を張ってるだけじゃないか?」そうじゃなくて、愛する人を亡くしたり、理想的な仕事や家を失ったりするのが生きるということだし老いるということだから、日本のどんな人にも、この主人公と同じ心理で自然と向き合うことは、多かれ少なかれあるんですよ。必ず。そうなったときにどんな自分でいられるか、を無言で真正面から問いかける作品。

原作の小説のほうも読んでみなきゃ。