映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

田中亮 監督「コンフィデンスマンJP 英雄編」3446本目

ここ2週間で、国内の飛行機往復を2回やったので、とぎれとぎれに見てみました。(今って国内線のプレミアムじゃない普通席でも映画がこんなに見られるのね。たまたま持ってた自前のイヤホンで聞いたら音も鮮明!)

「ダー子」「ボクちゃん」「リチャード」「ツチノコ」っていうネーミングはイケてると思う。でも毎回、脈絡のないどんでん返し、伏線のない意外性の連続で、あおられてばかりで、面白くはないのです。。。豪華でにぎやかで、役者さんたちが生き生きと暴れまわってるのは見てて気持ちいいです。まあ、あれか、宝塚の舞台を見てストーリーの意外性に目を見張った!とか言う人はいないし、そんなこと誰も期待してないので、それと同じようなものか。

いつまで作り続けるんだろうなぁ・・・

 

エリック・トレダノ/オリヴィエ・ナカシュ監督「スペシャルズ!政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たちの実話」3445本目

サブタイトル長いよ~ それに、映画で描かれてる現実はとても複雑なのに「悪い政府vs民間のいいやつら」という二元対決に持ち込んで単純化しようとしている。こういうのは好きじゃないなぁ。

この「正義の声」という施設は、他のどの施設からも断られた重度の自閉症児を受け入れている。自分たちが全員受け入れる、という志は素晴らしいけど、十分なケアができていないし、未熟な労働者を使っているし給料もちゃんと払えていない。気持ちだけではうまくいかない、という典型例になってしまっている。この施設が、政府より賢くうまく運営されているなら威張ってこの邦題を付ければいいけど、そうじゃないのが現実だし、この映画は安易なカタルシスを目指してない。

日本にもたくさんあるのだ、さまざまな事情で行くところがない人を受け入れる最終施設が。「正義の声」と同じように、認可がなかったり、どこかルールを外れてたりするけど必要に駆られて存続してる。ぜんぜん肯定できないような施設も多い。

0か1か、というようなきれいな正解は、ないんじゃないかと思う。無認可でちょっと高くてまあまあな施設、無認可で安くて設備は悪いけど献身的なスタッフががんばってる施設。少し改善するだけで認可が受けられる施設、逆立ちしても認可は受けられない施設。もし自閉症児のケアで画期的な進歩があっても、まだ取り残してる分野がある。複雑で毎日どんどん変わっていく世界で、気づいた人から少しでも良くしていく。取り残した人たちに気づいたら、そこからでも良くしていく。そうやっているうちに最初に改善したところが崩れだす・・・その繰り返し。行動する人は悩み続けて動き続ける。こういう映画で結末を批判的に見る人は、現実の世界では傍観者になりがちなんじゃないかな、という気がするんだ。

「トップガン・マーヴェリック」みたいな娯楽大作は、これからも永遠に、スカッとするカタルシス全開でいってほしい!と思うけど、現実と夢の区別をあいまいにするのは好きじゃないってことかな・・・。

 

 

パブロ・ベルヘル 監督「ブランカニエベス」3444本目

<ネタバレあります>

ブランカニエベスはスペイン語の「Snow White」=白雪姫か。スペイン語の響きは魅力的だけど、どういう映画かわからずうっかり見逃してしまいそうだったので、邦題は「白雪姫とこびと闘牛士団」とかのほうがいいような気もします。

スペイン語、カトリック教会、コントラストの強い白黒、と来ると大好きなルイス・ブニュエルの作品を思い出します。出演者たちの容貌も、みんな濃い。喜びと怒り、生と死が至るところにある。私には多分理解も共感もできないんだろうけど、彼らの異世界にすごく惹きつけられます。

ストーリーは白雪姫に沿ってるのに、スペインならではの闘牛士の父娘と極悪な継母という設定が面白い。それに「小人」がおとぎ話じゃなく現実の興行の小人たちで、最後は眠れる美女となったブランカニエベスも見世物小屋のテントに収まっているというブラックさ。優しく彼女の面倒を見ている小人のキスで目覚めず、一般客の男性のキスで一瞬目を開けるという成り行きもブラック。彼女を本当に愛している人は他にはいないのに・・・。スペインでは、単純なハッピーエンドより、ひねった切ない結末のほうが人気なのかな。

ともかく、なかなか独特の美しさとひねりのあるストーリーで面白かったです。

ブランカニエベス(字幕版)

ブランカニエベス(字幕版)

  • マカレナ・ガルシア
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今敏監督「パプリカ」3443本目

原作を読んだので映画のほうも見直してみました。すごいね、両方とも。とんでもないです。原作者も映画監督も、イカれてて言語道断で、神だ。

夢に入り込んで治療するというコンセプトは、たぶんこの原作が最初ではないだろうけど、2003年「エターナル・サンシャイン」や2010年「インセプション」より前だし、「インセプション」とよく似た小説「折りたたみ北京」はそれより後の2014年か。

筒井康隆の小説って、同時代のどんな小説家よりおかしいって思ってたけど、これを見ると今敏のほうがおかしい。(ものすごくほめてるつもり)

小説は登場人物が多いので、映画ではパプリカのクライアントである会社重役の能勢がはしょられて、冒頭から粉川警視監が登場する。というか、いきなり彼の夢の中のサーカスの場面からだ。この思い切った構成!観客が付いてくることより、映画としての荒唐無稽な楽しさ重視。彼らが入り込むホテルのエレベーターや廊下も、「シャイニング」みたいで良い。

夢に入る機械は最初から開発中の新型「DCミニ」だけで、原作でパプリカが使っていた実用レベルの旧型は存在しない。

巨大化するイヌイ氏は進撃の巨人のようだ。(このアニメが作られた2006年より後、2009年に連載開始してるけど)初めてこの映画を見たときは、こいつのことを「魔神」とか書いてた。ストーリー理解してない(笑)しかもこの場面、パプリカが狂乱の子供部屋世界全体をズルズルと飲み込んで膨らんで割れて、そのままエンディング、という、かなり誤った記憶をしていました。(そのように膨らんで割れるのはもっと最初のほう、パプリカじゃなくて島じいさんだ。

音楽がまた良い。素晴らしいです。平沢進の特徴は単純なリズム(ポリリズムとかじゃなくて)、長調でメロディの最後の音の収まりがいいこと。ドで始まってドで終わる、とか。

何度見ても見飽きない。細部まで楽しめる。惜しい人を早くに亡くした、と悲しむより、この作品に出会えた喜びが大きいなぁ。新作は出ないけど、これを何度でも何度でも見ればいいのだ。

パプリカ

パプリカ

  • 林原 めぐみ
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アイラ・サックス 監督「ポルトガル、夏の終わり」3442本目

<ネタバレあります>

日本では、人の名前の映画タイトルが、風景とか状況を表現したタイトルになることがちょくちょくある。もともと邦画は「丹下左膳」みたいな既知の英雄や「横道世之介」みたいに特異な名前でもなければ、タイトルに人名が使われることが少ない気もする。(ただの雑感でした)

この映画の主役フランキーはイザベル・ユペール先輩が演じている、というより、彼女のために当て書きされた映画。フランス人の一家がポルトガルに移住していて、フランキーの娘はヒスパニック系に見えるなと思ったら義理の娘で、ヘアメイクアーティストのアイリーンはNYの人なので彼女が表れるとみんな英語になる。こういう状況が、日本で日本語でおおむね日本人ばかりと暮らしてる自分には瞬間的には理解できず、ちょっと混乱しながら始まる。

アイリーンの彼氏のことをフランキーはとても嫌ってるけど、人当たり良いし、ほかの映画ではイケてるビジネスマンという設定で出てもおかしくない。フランキーの今の夫はサンタクロースみたいに大きくて優しげで、この映画は愛、思いやり、率直な人間関係、といった世界なんだとわかる。

彼を親友アイリーンとくっつけようとしたけど玉砕、むしろアイリーンはフランキーの夫ジミーといい雰囲気だ。残り少ない時間を、その先のことを考えて仕切り倒そうとしたけど思い通りにはならない。だけど丘の上に愛する人たちと一緒に過ごす瞬間(ほんとに短時間)は、何よりも美しくて、彼女は多分この風景を思いながら天国へ行くのかもしれない。なんとなく少し切ない気持ちになるけど、大きな気持ちのうねりは起こらない映画でしたね。

 

 

ペマ・ツェテン監督「羊飼いと風船」3441本目

原題は「Balloon」だけど、「羊飼いの転生」みたいな邦題だったら、牧歌的なものを期待して気持ちを持て余すこともなかったかな・・・

この映画はチベットの伝統的文化vs中国の一人っ子政策、という観点から見るものなのかもしれないけど、ブータン好きの私としては、これがブータンだったらどうなんだろう、と考えてしまうな。

この映画を見るかぎり、ものすごくざっくり言うと、チベットの人たちの暮らしぶりはブータンと”スタン諸国”の中間みたいに見える。敬虔なチベット密教がベースにあるのは同じだけど、ブータンは小さな山岳国(九州くらい)で、チベット自治区は世界最大級の広さのチベット高原が国土(日本の6倍)だ。ブータンはネパールやインドとの行き来が多いけど、チベットには漢民族やおとなりの新疆ウイグル自治区からの遊牧民もいそうだ。ブータンは伝統的な文化を守りつつ、国王や優秀な青年たちは欧米に留学して先進的な学問も修めている。「Gross National Happiness」が具体的にどういう政策をやってるのかほとんど知らないけど、人口はずっと増加してるので少子化政策は取ってないんじゃないかと思う。一方のチベットは、中国への同化政策が過剰だという報道もある。

日本とは比較が難しいからブータンを思い浮かべてみたけど、この映画の妻の悩みは、伝統文化vs先進的な文化、だけではなくて、もっといろいろな要因がある気がしてしまうんだよなぁ。

それにしても、子どもを作るかどうするかは夫婦二人の問題だけど、妊娠は100%避けられるとは限らないし、身体をいためることなので最終的には妻が苦しむことになる。少子化政策があろうとなかろうと、望まれない子どもを授かってしまう可能性は地球上のどこに生まれてもあるからな。4人、5人、と産める財力はない家が多いけど、医療が進んだ国でも、妊娠・出産には病気や死亡のリスクが大きいけど、身体のリスクを負うのは女性だけ。

この映画は「産めない理由」に注目すると、チベット仏教vs少子化政策だけど、もろもろの事情を全部かぶって堕胎するのは、肉体的にも辛いけど精神的には出家するくらいのもんなんだぞ、という点に着目すると、普遍的な女性の問題を描いた映画なんだな。

こういう映画は、女性の感想をもっと読んでみたいな・・・。

 

 

フランソワ・オゾン監督「しあわせの雨傘」3440本目

原題は「飾り壺」の意味のフランス語。”しあわせの雨傘”とはだいぶ違うよな・・・何十年ドヌーヴに「シェルブール」を負わせ続けるのか。(確かに傘会社の話だけど)

ドヌーヴが、夫に代わって経営の才覚を表すのはいいんだけど、それまで長年、飾り壺として従順な主婦をやってきたっていうのがピンとこないですね。フランソワ・オゾン監督なのに、毒が少ない。才覚を現した後もどんでん返しがあったりして、一筋縄ではいかなくて、面白い映画だったけど、どんでん返し後のストーリーはいまひとつ納得感が少なかったです。

しあわせの雨傘 (字幕版)

しあわせの雨傘 (字幕版)

  • カトリーヌ・ドヌーヴ
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