映画と人とわたし by エノキダケイコ

映画は時代の空気や、世代の感覚を伝え続ける、面白くて大切な文化だと思います。KINENOTEとこのブログに、見た映画の感想を記録しています。

永井聡監督「キャラクター」3460本目

<ネタバレあります!>

エンドクレジットの中に「企画 川村元気」とあって納得した。この映画、キャラクター設定はいいと思うんですよ。必要以上に残虐なのも、最近の少年マンガはみんなそうだから(鬼滅の刃でさえ)驚きはない。でも、刑事が何の前触れもなくめった刺しにされて死んだり、刃渡り40センチくらいありそうな刃物で急所(肝臓とか)を刺されれば(オウムの村井みたいに)一刺しでも失血死するのに夫婦が生き延びたり、警察と同時に家に向かったのに到着する前にめった刺しにする時間があったり。いろいろ、観客の感情をコントロールするためだけの不自然なサプライズが多くて腑に落ちない。

菅田将暉はこれより後にテレビで放送された「ミステリと言う勿れ」(最近テレビドラマを見るのだ)での髪型と同じなので妙に見慣れてたけど、彼はいつも良いです。FUKASEすごく良いですね。彼の動物みたいな純真さが大人として見ると変わって見えて、いい意味ではまり役でした。

お腹の中の赤ちゃんについては、過去のある村の事件の話が出たときからわかっていたので、やっぱりなという感じ。

面白いかと言われたら面白かったけど、こんなに必然性のないストーリー運びではなぁ。

FUKASEにはもっと映画に出てほしいです。彼はほんとに面白い。

キャラクター

フランシス・フォード・コッポラ監督「ディメンシア13」3459本目

<ネタバレあります>

ディメンシアって何だっけ、とつい調べてしまった。認知症だ。わずか13歳で死んだ子なのに?(最後まで回収されなかったので、このタイトルはヒントや伏線ではなかったらしい)

この映画は、悪い妻が主役として偽装工作を行ったりしているのが、途中であっさりやられて視点が入れ替わるのが「サイコ」を思い出しますよね。

KINENOTEでやたら評点が低いのは、肝心の”犯人”、”トリック”、”種明かし”、”動機づけ”があいまいなままだからかな。(私が読み取れなかっただけ?)

おどろおどろしい雰囲気はなかなか素敵でしたよ。

ポール・トーマス・アンダーソン監督「リコリス・ピザ」3458本目

ロマンチックさが皆無な恋愛映画。

リコリスといえば日本でぜったい売れないフレーバー、それがピザになったらどんなにマズいだろう?アメリカでは大人気らしいので、甘酸っぱい青春のイメージなのかな。

主役のルックスが平凡で、性格もしょうもない(という設定)。ドラマチックな事件はたくさん起こるけど、それぞれの人脈やビジネスに関連して起こるだけで、二人で心を一つにして切り抜けるわけじゃないのが新鮮。

でも、これが現実なんだよね。私たちも平凡な見た目で、一目惚れして運命の人だと思っても、他にもステキな女性はたくさんいる。彼女も、彼に興味がないわけじゃないけど、10歳も年下の生意気な小僧よりも、親に紹介できそうな男性を頭では優先してしまう。

だけど彼が突然警察にしょっ引かれると、死に物狂いで探すし、見つかったら息ができないくらい抱きしめる。
彼女が怪しげな中年にレストランで口説かれてたら、傍の美人を放って助けに走る。

自分の中の気持ちが本物かどうかなんて、最初は誰にもわからないのだ。胸がつぶれるような事件をいくつも経てやっと、この人と一生暮らしていくんだ、とわかる。この二人はいろいろあったけど、きっと別れない(もし別れても一生家族だ)。相手の笑顔が世界で一番素敵に思える。アバタはもうエクボにしか見えない。

こんな確信を持って人と付き合ったことはないので、すごくいいものを見せてもらった気がする。こういう関係に憧れる。

この監督のほかの作品は重いものも多いけど、どれも”どうしようもない人間のサガ、あるいは運命”を描いてるように思える。この作品では、年齢差も性格の違いも、お互いの欠点も、他の魅力的な異性たちも乗り越えてしまう二人を描いたのかなぁと思ってる。理性にも親にも他の誰にも止められない。”良い”運命の話ならこんなに楽しく見られるのだわ。

フレデリック・ワイズマン監督「ボストン市庁舎」3457本目

4時間半あれば羽田から台湾まで飛べちゃう。映画館だとその間、水も食事も出ないし体勢を変えることもままならない。家で画面を前にしても、いろいろ済ませる準備が要る。映画館で見た方々に敬意を表したいです。(「ハッピーアワー」はなかなかソフト化されない気がしたからがんばったけど、これは家で見る)

ワイズマン監督はいつも、何のコメントも加えず「中の人」を撮る。彼らはみんな一生懸命だ。考えはそれぞれだけど、その施設のために人生をささげてるように見える。怠け者やいい加減な人は出てこない。感情的になりすぎず、予算と支出と労働のバランスを賢く検討する人たち。LGBTを排除しない、立ち退き問題も冷静に議論する。市のスタッフも市民もなんて大人なんだろう。(カメラが回ってるからカッコつけてる部分は多少あるにしても)「ピルグリム・ファーザーズ」の上陸地マサチューセッツ州、プロテスタントの伝統、かな。これが、数々のドキュメンタリーを撮ってきたワイズマン監督が生まれ育った町。だからああいうドキュメンタリーが撮れるのかもしれない。

実際、この映画は民主主義のお手本だ。今までのワイズマン作品もみんなそうだったけど、市民の生活のすべてを扱う市役所が舞台なので、今までの作品の集大成のように思える。・・・強烈に民主的なこのボストン市長は誰だ?ググったら民主党のマーティ・ウォルシュという政治家だった。2014年からボストン市長を務め、バイデン内閣の組閣の際に労働長官に任命されて辞任したとのこと。メキシコ人雇用説明会で「昔はアイルランド人が犬とか豚と呼ばれていたが、政治で力を持つため努力した」って話をしてたのは、自分自身のことだったんだな。彼の後任は黒人女性のキム・ジェイニー、今は台湾系女性のミシェル・ウーが市長だ。ウーが選出されたときの主要候補者4人は全員民主党で全員女性だったとニュース(産経新聞)に出てました。筋金入りの民主党エリアだな!白人男性の意見も尊重してあげてね(こんなジョークが言える町があるなんて)

さまざまな立場の市民が、みんな弁が立つのだ。自分には権利を主張する資格があると知っていて、理路整然と意見を述べることができる。市役所の人たちが話を聞くのもうまい。

このような政治が自分の自治体で成立してないのは、第一に私自身がこの作品の中の誰よりも、自分の周囲の問題を把握もしてないし、議論の場を作ろうとも議論の場に出席して議論しようとも思ったことがないからだ。これは「お上」じゃなくて市民がボストンを作る映画。ワイズマン監督はずっと前から、見る人たちを感動させるんじゃなくて、動き出せってハッパをかけてきたのかもしれない。議論をするためには、まず自分の意見を構築する。そのために事実をよく調べる。・・・自分と敵対する立場の人の調査や理解は、ここでは必要じゃないみたいだ。みんながきちんと自分の立場を言えれば、取り持つことができる調停役がちゃんといるから。まぶしく見えるけど、それは、私たちの町に優れた調停役がいないという前に、自分が自分たちの立場を代弁するレベルにないところをちょっと恥ずかしく思うのがこの映画の主旨なんだ、きっと。

宗教やデマに踊らされたり、無力感でいっぱいになったりしない市民の町を想像することから始めるしかないのかな。

 

レイナルド・マーカス・グリーン 監督「ドリームプラン」3456本目

原題は「King Richard」。「ドリーム」(「私たちのアポロ計画」から改題、原題は「Hidden Figures」)を思い出します。これは小さい子どもにも見てほしい映画だと思うので、わかりやすい邦題にする必要があったんだろう。

ビーナス&セリーナの怒涛の活躍をもうみんな知ってるので、安心して、期待して、見ることができます。彼女たちを初めて見たとき、今までのテニス選手たちと違う、怖い、と感じたっけ・・・私が大学生だった頃は、テニスってのはスコートからレースだらけの下着をチラチラ覗かせて、花のように蝶のように舞うスポーツだった。(チャラい東京の大学のテニスサークルの場合ね)フィギュアスケートとか新体操の仲間みたいだった。この姉妹を見て初めて、そうかスポーツとして、格闘技みたいに戦ってもいいんだと気づいてはっとした。それがパワー・テニス。彼女たちは短距離のスターみたいだったのだ。

オリンピックに出られる体躯の娘を、オリンピックに出すよりテニスで世界一にするほうが、もしかしたら簡単でずっと儲かると思いついた父はすごい。緻密な計画を立ててしぶとく実現するのも、もっとすごい。だけどだいぶ無理もあっただろう、バレエダンサーのセルゲイ・ポルーニンを家族がどんな犠牲を払ってサポートしたか描いたドキュメンタリーは辛い内容だった。だけど、二人の父リチャードの成果は確かに歴史を作った。賢く強い世界一の黒人女性を二人育て上げて、世界中からの尊敬を集めた。

ただ、その後テニス界が、スポーツ界が変わったのかどうかは、私はスポーツを普段見ないので知らないのだ。歴史として見るときには、今とかこれからのことも知りたいもんです。ネットで調べればわかるかな。。。。(ふがいない)

 

ジャスティン・カーゼル 監督「ニトラム」3455本目

オーストラリアのタスマニア島は、私が老後を過ごしたい場所No.1。(というか叶わない夢)英国の流刑地だった歴史を持つオーストラリアの中でも、特別過酷な刑務所があったのがタスマニア島の端っこの半島にあるこのポート・アーサー。今は穏やかで優しい丘なんだけど、その一角の壁で囲まれた場所で起こった乱射事件について、地元ガイドが解説してくれた記憶があります。不吉なことや不幸なことなんて何も感じなかったあの場所のことについて、きちんと知っておきたい。

マーティンは家族とはうまくいかなかったけど、ヘレンという女神と出会って家族らしさを知ったり、亡くしてからもとんでもない財産を相続したのは、すごい運の強さだ。だけど人とうまくやれない彼を、もっとお日様の当たるほうに導いていくことはできなかったのかな・・・と考えるのは、私が今、少しだけ教育に携わってるからか。

ヘレンの邸宅で札束と犬一匹と孤独に暮らすマーティン。母親は彼をコントロールすることをずっと前からギブアップしている。

免許を持ってなくても車を運転できたり、銃まで買えてしまうというユルさが、自然豊かなタスマニアらしさなのか。

死者35人もの被害を与えるのに、爆弾でもなくライフルが使われたということは、戦争みたいな尋常じゃない装備があったってことなのだ。銃器店でいともたやすく札束だけでその装備を手にするマーティン。オーストラリア国内と、おそらく銃器の民間販売が行われている他の国々に向けて、銃規制について考えさせる意図が感じられる。(でも、銃が手に入らなくても刃物や自作の銃で攻撃できるって、みんなもう知ってるけど)事件のことはオーストラリア・ニュージーランド辺りでは広く知られてるので、乱射そのものを再現しなくても伝わるだろうし、生々しくて辛い人の気持ちも配慮してるんだろうけど、日本には説明が欲しい人が多いんじゃないかな。

ヘレンも寂しかったんだろう。彼の周囲のみんなが、笑顔ややさしさやお金がちょっと欲しい、という気持ちで、無軌道な彼に、彼には管理できないさまざまなものを与えてしまった。彼らみんな、事件を知ってショックだったろうに。

これを見ても、マーティンのことが理解できたと思う人はいないだろうし、わからないからどうするかを考え始めるしかないんだろうな。

・・・タスマニア移住の夢?変わらないですよ。今でもそれほど簡単に銃が買えてみんな持っているのには驚いたけど、これは世界中のどの町でも起こりうる事件だと思いました。

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ケネス・アンガー監督「マジック・ランタン・サイクル」3454本目

誰だこの人は?サムネイル画像に見覚えがあって気になったので見てみましたが、この短編映画集の中で一番古い「花火」は1947年って戦後すぐじゃないか?カルト的なにおいがするけど95歳で健在。Wikipediaで解説を読んでも謎だ。KINENOTEでもこの映画の解説はちょっぴりしかないので、アップリンクの解説ページがカラフルで詳しくて良いです。

「花火」1947年。白黒でセリフなし音楽ありの、サイレント時代のような作品。強烈な自虐性と男性への性衝動がなにかの形に昇華された作品。

「プース・モーメント」1949年。カラー。インドの舞踊衣装をあれこれ見てるような作品だと思ったけど、実際は大昔のハリウッド映画の衣装だって。音楽はちょっとサイケな感じ。フランツ・フェルディナンドがカバーしたらしい。短かった。

「ラビッツ・ムーン」1950年撮影。キラキラした森にいるピエロの映像はきれいだけど、空の月はカキワリというよりもっとチャチだなぁ。同じアクションが繰り返されて、前半とてつもなく冗長だけど、ハーレクインと月のお姫様の動きも優雅で、不思議な美しさのある映像です。

「人造の水」1953年。公園の水飲み場みたいな噴水や「真実の口」みたいな彫刻が、これもまた繰り返し繰り返し投影されます。

「快楽殿の創造」53分。プレジャードーム、快楽殿って魅惑のことばだなぁ。でもこの作品の場所は”アヘン窟”のように見える・・・という場面は移り変わって、さまざまな人が静かに踊っていたり。頭を鳥かごに入れてほほ笑む女性はここで登場します。踊らないバレエといった雰囲気。

「スコピオ・ライジング」1963年。オールディーズのヒット曲が次々に流れるなか、ガレージでバイクのメンテをするリーゼントに革ジャンの青年。ただ彼はファッションの仕上げに帽子を被ったり、鋲つきのベルトを2本重ねでつけたり・・・”トム・オブ・フィンランド”すぎる・・・。狂乱のパーティとキリストの受難っぽい古典映画のような映像。カギ十字まで登場します。もう、いつまで見せられても、共感も理解もできないんだってば・・・(誰に言ってる)

「K.K.K. KUSTOM KAR KOMMANDOS」1965年制作、尺はわずか3分!こんどはバイクじゃなくて四輪フェチです。ふわふわのダチョウの毛でぴかぴかな表面をぬぐう映像は高級車のCMみたいです。人間がほとんど映らず、車とダチョウ毛だけ!

「我が悪魔の兄弟の呪文」1969年。音楽にミック・ジャガー。確かに悪魔的でした。最後に「ラビット・ムーン」の短縮版つき。短縮したので冗長でなく、カキワリの月がちゃんとした映像になってました。

「ルシファー・ライジング」1980年。溶岩沸き立つ火山の火口から。ちょっと映画っぽくなってきました。舞台はエジプト、古代の神々やピラミッド、神秘主義めいた原題の男性、なんだか「サスペリア」の学校の奥で行われてる秘儀みたいな。技術が上がってくると、監督のやりたいことが明確になってきるように思いますが、ルクソールの宮殿の空の上をUFOが通ったりして、むしろ「ムー」のイラストのようになっていくのがまた、なんとも。

全体的に、振付のないバレエ、セリフのない映画、という感じで、アンガー監督はイメージと音楽の外にイマジネーションを広げない人なのだ。このどちらかでも存在したら、私にももっと伝わっただろうに。というか、イメージだけで圧倒してくれたパラジャーノフの作品を改めて思い出して、私の個人的な印象だけど、パラジャーノフ偉大!と思うのでした。

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